カスピ海の謎? | あぶくさぶく

あぶくさぶく

トルコ語あれこれ

カスピ海が トルコ語で <Hazar Denizi>と呼ばれることは ご承知の通りですが、この <Hazar>という名前が どこから来たのか 前から気になってました. 調べてみると、かつて <Hazar Kağanlığı>という大きな国が カスピ海、黒海から 北の方に 存在していたことがわかりました. 現在のトルコ共和国の 3倍ぐらいありそうな 大きな国で 630年~1030年まで 400年間も 存在していたそうです. <Hazar>というのは Tiele(丁零)や ウイグルなど テュルク系の民族を中心とした人たちだったらしいです. <Hazar Denizi> が この <Hazar>から来たことは わかったんですが、<Hazar Kağanlığı>を 日本語で なんと言うのか わからないまま.
さらに、あれこれ調べてみたんですが、東ローマ帝国のコンスタンティヌス5世が Hazar の娘と 結婚したとか、最後は キエフ公国によって 滅ぼされたとかの断片情報ばかり.

やっとのことで 日本語名 見つけました. そのまんまで <ハザール・カガン国>というんだそうです. しかし、キエフ公国までは 学校で 習った覚えがあるけど、ハザール・カガン国という名前は 習った記憶が ありません. 中国の史書に出てくる「突厥可薩部」が ハザール・カガン国にあたると 考えられているそうですが、突厥は ともかく <可薩部>も 聞いたことが ありませんでした. <世界史>の 光の当て方が 見えてくるような感じです. もっとも 今の高校では <ハザール・カガン国>も 教えているのかもしれませんが.

この Hazar たち、ユダヤ教に改宗した人が 多かったようですね. Hazar が 現代のユダヤ人の起源論にも 関係していたとは まったく知りませんでした.

でも、考えてみると <カスピ>も 謎なんですが、こっちは カスピ海西岸に かつて住んでいた部族の名前だそうで・・・. それを言えば <アラル>や<バイカル>は? と 広がっていきそうですが、トルコ語から どんどん離れてしまうので 深追いは しないことにします:D.

http://tr.wikipedia.org/wiki/Hazar_Ka%C4%9Fanl%C4%B1%C4%9F%C4%B1
http://tr.wikipedia.org/wiki/Hazarlar
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB
リンクが切れている場合は 再検索してください.


アメリカの Mount Rushmore を連想させる 巨大なアタテュルク像(イズミル).
$あぶくさぶく