高齢の夫婦 | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

一生のうちには人の性格も変わっていくことは当然あるけれど、長く夫婦をしているとその関係性もかわってくるものだ。


新婚の頃は誰もが愛情で繋がっているのだろうけれど、だんだんと憎たらしかったり、離婚を考えたり、また仲間の様であったり、そして肉親のような家族になっていたりと様変わりしていく。


そして若い二人が手を繋いでいれば仲がいいこと!と思うけれど、時折スーパーなどで高齢の、おそらく夫婦だろうと思われる人達が手を繋いでいるのを見かけることもあるけれど、そんな時はどちらかの介護だな、と思う。それでもそれはそれで愛を感じる。


うちの夫婦の関係も別の視点から見ると、若い時代は、とーさんの職業柄 (警察官)もあったし無理を重ねることも多く、自分の健康のことなど全く無頓着で、むしろ体に悪いことしかしない人間で、私はと言えば健康にはいつも留意して暮らしていたから当然私の方が長生きをするものだ、と思い込んでいた。


けれど 、とーさんが現役を退職したあたりからここ10年ほどだろうか、雲行きは逆転と言うか、無茶ばかりのとーさんは至って元気で頑強なのに比べ、あんなに健康管理をしていた私の方が何かと不調が多く病院通いばかりしているし、ここ数年あちこちの痛みもあり、膝の手術をしたりと、私の方が先に死ぬに違いない、と思うようになっていた。


それでも最近はさすがのとーさんも前ほどのパワーはなく疲れやすくはなってきたな、と思うところもある。まぁ、70歳過ぎたので当然ではあるけれど。


私はまだ仕事に行っているけれど、とーさんは家にいるわけで、私が朝家を出てからはとーさんの生活のリズムはわからないのだけれど、以前は朝出勤する少し前くらいには起きてきて猫の散歩が日課だったけれど、最近はまだ寝ていることもよくある。 


で、そんな時は一体何時に起き出すのかわからないけれど、私が休みの日に9時過ぎまで寝ていることもあって、そんな時は生きてるのかな!?と心配になり生存確認する時がある。


東京で一人暮らしをしている長男のことも時折生存確認はするけれど、またそれとは別の理由で最近はとーさんの生存確認が必要になるとは!


先日も私が休みの日になかなか朝も起きてこないし、起きてきても、前ほどあれこれ動き回ることもなくテレビを観ながら昼寝をしたりと、どこか悪いのかな、と気になり、最近具合よくないん?と聞いてみたら、寝不足でなぁ、と言う。


えっ!?寝れないのか!?やはりどこか悪いところが!?と思ったら、毎晩猫達が入れ代わり立ち替わりとーさんの部屋に入ってきては、寝苦しいと思って目を覚ますと二匹が体の上や足の上に乗っかってきて、身動きできずに熟睡できない、と言う😳


なんだ、なら部屋の戸を閉めて寝ればいいのに。私はゆっくり寝れないと仕事にも障るので次の日休みでない限りは戸を閉めて寝ている。


でもとーさんは、いつでも猫達のために戸を少し開けて寝る。どんなに側で暴れようと、猫達がいると安心なのだ、と言う。安心して眠れるのならいいけれど眠れないのに😅


まぁ、それなら別にいいけれど、とちょっと安心はしたけれど、私達はすでに高齢の夫婦だから、やはり年々体も老化していくことは避けようのないことで、とーさんがいくら今まで頑強でも例外ではない。


ただ、今となってはどちらが先に死ぬかはもうわからないかな、と思う。大昔は愛もあったかもしれないけれど、いつの間にかどこかへいってしまったようだけれど、形を変えて労りになっているのかもしれない。引き続き時折あまりに眠りこけている時には生存確認するようになった。一日一日今日も私達は生きていたな、なんてことを思いつつ。


おそらくこれからも。それにうちには猫達がいるのだから、猫達よりはどちらかは必ず長生きしなくてはいけない。どっちでもいいけどね。ただ猫達はおそらく私よりとーさんに生きていて欲しいと思うだろうけれどね😌



私が休みの日には私のところにもやってくる。確かに苦しい💦





今日も散歩!これからも続けられるように少しは自分の健康にも気を配って欲しいものだ!もう若くはないよ~