#最近撮った写真は 来年の年賀状 | やまとうた響く

やまとうた響く

日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

最近撮った写真は

 私が最近撮った写真は!




 出すはずだった年賀状。出したかった年賀状だ。せめて写真に収めておこう、と撮ったのだった。


義母が亡くなったのが11月29日で、その10日くらい前から弱ってきてあっけなく、静かに亡くなった。その頃には年賀状は出来上がってきていたのだった。


義母の葬儀を済ませてから大急ぎで喪中の葉書を注文して投函した。押し迫っていたので、ラインや電話でお悔やみや、もう年賀状出してしまったよ、と言う人が数人あった。そりゃそうだ、と思う。


けれどこちらからは年賀状を遠慮します、と言うことを告げただけのもので、頂く分には何も問題はないのだけれど、出すのも遠慮しなければいけない、と思っている人は多い。一般的にはそう思われそれが広まっているのだからそうなるのは当然かもしれない。


それにしても私などは日頃の年賀状も結構ギリギリで、下手をすれば元日には届かない場合もあるくらいなのに、ずいぶん早くに出す人もいるな、とむしろそれに感心した。

 

連絡をくれた人達は皆、 知らなくて年賀状、出してしまってごめんね、と謝られた。私としては、いえいえ、謝られる様なことではまるでないし、こんなに押し迫ってお知らせしたのだし、だいたい私はむしろ嬉しいほどだ、とお伝えしたら皆安心された。


喪中とはいえ、まったく年賀状の来ないお正月など淋しさに輪をかけたようだ。数枚でも出してしまった、と言う年賀状が届くのは嬉しい。


届くのも嬉しいけれど、今回は出せなかったのが残念で寂しい。いや、例年であれば年賀状を書くのが大変で決して出したくて仕方ない、なんてことはなく、そろそろ卒業するかな、と脳裏をかすめることすらある。現にそう言う人は何人かいた。ただこの歳になると生存確認と言う意味合いもあるかな、などと思い頑張って書いているのだ。


ただ今回はしつこいようだけれど本当に出したかった。なぜなら来年が辰年で、辰年の孫が誕生するからだった。まぁ、来年生まれたら、辰年に限らずその年の干支の子供が産まれるのは当然なのだけれど、辰年に意味があった。


次女夫婦は辰年ではないけれど、舅と私の父親、来年産まれる子のひぃじーちゃんになるけれど、(どちらも亡くなっている)どちらも辰年だったし、とーさんも辰年なのだ。親達は(次女夫婦)二人共精悍な辰とは違い大人しく優しいイメージの未だけれど。三代に渡り辰年なのが何やら嬉しいし、そうでなくても孫の誕生は喜ばしい。


年賀状に、辰年の孫が産まれることを書き添えたかったのだ。それが致し方ないけれど、喪中の葉書になってしまった。こう書くと、あんたはおばあさんの死より、そっちの方が辛いのか!?と思われそうだけれど、そこらあたりはグレーゾーンとしてご想像して頂きたい。


そんなことで残念ながら出すことはなかったけれど、喪中になった場合は郵便局で無料で年賀状の枚数だけ普通の葉書だったり切手と替えてくれるので一枚だけ残して郵便局に持って行った。


私としたら喪中葉書と替えて欲しかったのだけれど、それはできない、と言われて仕方なく切手などと替えてもらったけれど、喪中葉書と替えてもらえないのなら、しばらく保管しておけばよかった。お年玉くじが大当たりしていたかもしれなかったのにな、と少し後悔した。これもまた仕方ない。



その残した一枚の年賀状を写真にも撮ったのだった。その年賀状に書いてある様に、来年は是非とも我が家もこの記事を読んで下さっている方々も幸多い1年になりますように。そして来年も拙いブログ、よろしくお願い致します。



 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する