16日の私の手術の当日はやまとの高校の合格発表の日でもあった。どちらもドキドキの一日だったけれど、やまとの結果は私の手術前に知らされて不合格だった😓
残念だし、やまとには可哀想だけれど、やはりなぁ、と言う想いがある。両親以外にやまとに手を添え文字を書いたり、意思の疎通はとても難しいのに、親がいない部屋で、初めて会う人では、やまとの解答をちゃんと理解できるとは思えなかった。
けれどそれでも頑張ったやまとは立派だったと思う。例え、ばば馬鹿と言われても、大いにほめてやりたいけれど、病院のベッドの上とは残念なことだ。
それでも、通信の高校には行けることが決まっているので、やまとは週に一度、それも放課後先生と一対一で授業を受けることになる。ある意味毎日これから高校に朝から夕方近くまで通うのは正直なところ一家には相当な労力を要するから私は週に一度が一家の生活の事をおもえばよかったと思っている。そして、週に一度の通学時は、放課後で遅くなるので、うたを連れて行ってもいいそうだ😳!なんとビックリだけれど、他に生徒がいないのだし、長女が付き添っているのでだろう。その点は申し分ない。うたも週に一度夕方から寂しい思いをしなくて済む。
残念なのは、やはりみんなと同じ1つのクラスには入れないことだ。この高校は、不登校だったり、何かとメンタルに問題を抱えた子が多いらしくて、特に音に敏感な子もいるので、やまとの呼吸器のアラームの音が苦手かもしれない、などの理由らしい。
やまとの呼吸器のアラームの音は確かに鋭い音だけれど、やまとの危険を知らせる大切な音なのだ。けれど耳障りだと思う人達も確かにいるだろう。
今まで小学校も中学校も、みんなやまとのアラームの音は受け入れてもらっていたけれど、それが普通ではなく、有り難いことだったのだ、と、小学校、中学校に今更の様に感謝の気持ちでいっぱいになる。
ただ通信の高校も、先生方の考えでそういう処置になって入学を許可されたわけだけれど、私は内心、生徒達の反応は入ってみないとわからないことだと思う。中にやまとが入ると、きっと私は生徒達に何かしらの変化が見られるのではないかと思うのだけれど。むしろやまとの存在は今までの経験からも必要だと思う。
私が一人そう思ったところで仕方ないけれど、中学校の先生からも、やまとが入学してくれてほんとによかった。○○中学に来てくれてありがとう、と言ってもらえたやまとだ。
私は密かにきっとやまとは通信の高校でも、いつの間にかみんなを巻き込みいい影響を与えられるんじゃないかと思っている。卒業の時には通信の先生方から、やまとが来てくれてほんとよかった、と言わせようぜっ、やまと😁
そして入試と言う重石から開放されたやまと達はイルカの見れる海でのんびりひととき過ごしたようだ。みんなお疲れ様。私は何もできなかったけれど、今は楽しんで羽根を伸ばして欲しい。