鬼滅の刃の最終巻を読む | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

今空前の人気の鬼滅の刃の最終巻である23を読んでみた。1巻から22巻も読んでいないし、映画もテレビも動画も観ていなくて、最近まではどんなストーリーかすら知らずにいたし、関心もそれほどなかったのに。



アマゾンで予約なんかして😁 孫のうたまでハマっていると言うし、職場でも感動した、と話題に出るし、ブログでも多くの人が記事にしていて、なぜこうまで人を惹き付けるのか、読んでみてもいいかな、と思った訳だ。


うたが夢中なキャラクターは、胡蝶しのぶなんだとか。長女がセッセと衣装から小物から工夫を凝らしている。

読んでみるにしても、全23巻なんて大変過ぎると思っているところに、最終巻である23巻が出版されると耳にして、それならと、全く順序は逆だし、最終巻だけでわかるのか!?と言う疑問はあるけれど、ひとまずのとっかかりに予約して、先日読み終えた。最終巻だけ。

戦いに次ぐ戦いシーンが最初からで、なんじゃこれは!なんだけれど、およそのストーリーは検索したり職場の人に聞いていたので、戦いの理由はわかる。

後半で鬼から身を守りようやく平穏を取り戻した面々のシーンにたいして分かりもしないのに胸が熱くなる。さらに後半の後半、時代は現代になり、炭治郎はじめとする仲間達の子孫(おそらく生まれ変わりと思われる)達の平和な繋がりに涙まで出そうになった。

内容の奥にある波動と言うのか、意図と言うのか、そういうものに触れた感動なんだろうと思う。

この人気ぶりは尋常ではないし、大人から子供までを引きつけるのはこの作品に、今この時代、この時期に伝えたい何か。その伝えたいと言う神様か何かはわからないけれど、大いなる意思が根底にあるのを感じる。

そうでなければこれほどまでに人の心を掴むことはできないと思う。先日はもう最終回を迎えたドラマ、ルパンの娘の中でも、Lの呼吸!と言う鬼滅の刃の1場面が使われていたりと、どこまで鬼滅の刃を伝えたいんだよ、と思うほどの意思だ。

ではその意思とは!?それは最終巻一冊読んだだけでは読み解けないけれど、多くの鬼滅の刃に心掴まれた人達がブログなどを通して発信されている。それを読んでみたり、自分でももう少し触れてみて掴みたい。絶対に伝えたい想いを。

作者は吾峠呼世晴さんだけれど、この人を使って神様が伝えたいことが発信されたのだと思う。そういえば、名前も吾は、今と言う重要な時代の大峠を超えて、晴れの世を呼び寄せる、そんなネーミングだ。たまたまはやっぱりない、そう感じる。必ず意思や意図はある。

まず次は一巻から読むべきか!?ふと気になったのが、最終巻にはうたの好きな胡蝶しのぶが登場しない。もしかしてどこかで命を落としたのか!?で、職場の人に尋ねると、どうやら16 巻後半から17巻あたりに身を挺して命を落としたのだとか。

そのあたりから読むかな!?それにしても登場人物が多くて、やはり最初から順を追ってかな、とも思うけれど、今はどの巻も手に入れることが困難なほどらしい。

さしあたっては20日にテレビで放送されるようなのでそれを観てみようと思う。いったい鬼滅の刃が一番伝えたいことは何だったんだろう!?きっと今生きる人達に必要なことなんだろうな、とこの大きな流れの中で思う。