長女と母 | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

先日の母の命日のことを長女に伝えたときに長女が、時々ばーちゃんちの匂いがふっとすることがある、と言っていた。ばーちゃんがいるんかなぁって思ってる、と。



うちでは母の気配がないと思っていたら長女の所に顔をだしていたのか(☉。☉)!

母は孫三人を見ているけれど、長女と下の二人は年が離れているので、一番よく見てもらっていたのは長女だった。

その長女が今は難病の息子(やまと)の介護や通学、そして元気いっぱいの5歳の娘(うた)の育児、そして家事と、一日24時間では足りないほどの忙しい日々を過ごしているのが心配でなんとか手伝ってやりたいと思っているに違いない。

悲しいかな、亡くなっている母には何もしてやれないけれど、それでもなんとか、と母は時々やって来ているのだと思う。

母は認知症になり最後の何年かは私達のこともわからなくなり、すっかり寝たきりで過ごしていたけれど、亡くなってからはきっとすっかり元の母になり、自由になれたのだろう。

認知症になる前の母は心配性で過保護で私や孫達のことをいつも気にかけ助けてくれていた。そんな母は今は何もできなくても一番大変な思いをしている長女が気になってとにかく手伝ってやりたい、と思っているのだろう。母のそんな所は私にそっくりだ。いや、私が母に似たのか(・o・;) 全く受け継いでいる。

やっぱりそんな母の遺志を継ぐのは私なんだな、と思う。

先日は、連続でまたうたを今晩預かってもらえないか、と電話してきた。職場のビアガーデンの前日だ。その少し前にも2泊で預かっていた。

いや〜明日は仕事なんだし、そんなに仕事は休めないし、特にイベント(ビアガーデン)があるしぃ、と返事をしぶっていたら、ならいい!と電話を切った。疲れているんだな、とは思ったけれど、私も送迎するとーさんもかなり疲れていた。

日頃仕事で休みの土日でうたを預かり、数日後再びの電話だった。私のイベント、と言う言葉にも反応したのだと思う。私はとっても今くたくたなのに、イベント!?そう思って腹を立てたような(・o・;) 

こっちも、少々腹がたってくる。イベントは確かに楽しいけれど、自分達の楽しみではなくて、仕事なんだし、やはりいつもと違うことを計画すると人材は必要になる。急に休めばなんとかはするだろうけれどかなり大変なことは予想ができる。

ほんとに私だって日頃膝も痛いのに整形外科や整骨院に通って痛み止めを飲んだりしながら仕事に長女一家の手伝いにと鞭打ち頑張ってるのに何、あの態度ಠ益ಠ長女が疲れてほんとに大変なことはよくわかっているけれど、私も体はひとつしかないんだから、とちょっとイラッとしていた。

その反面、ほんとは行ってやればよかった、疲れてるだろうし、うたに当たって怒ってばかりいるんじゃないだろうか、うたにもかわいそうなことをしたかも、と罪悪感にも襲われてどよ〜んとした思いの何日かを過ごした。

そんな頃の命日で長女のなにげないばーちゃんちの匂い、のひとことに、母の想いを感じた。

今の私は母と違って生身だから簡単に移動?もできないし、あちこち体の不具合もある。とっても疲れたりもするけれど、母に出来ない現実の手助けはできる。生きているからね。

いくら母がしてやりたくてもできないことを生きている私なら出来るんだな、と思った。疲れたとか体が痛いとか生身だから不満も時にたらたらだけれど、それでも私は生きているんだな、とそれはとても有り難いことなんだ、と思えた。今はなんとか元気なんだから。できるのは今のうちかもしれないし。

喧嘩もするけれど大切な家族が困っている時に助けてやれないことは辛いことに違いない。それはなんとなく母からのメッセージにも思える。

わかりましたよ、母があまり心配しないですむように、私がちゃんと支えますよ!ただ生身だから時には無理〜ってことは勘弁してもらおう。そして時にはうちにもいらっしゃいね。