迎春 | やまとうた響く

やまとうた響く

日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。



明けましておめでとうございます。今年もよい一年を過ごされますように。

我が家の新年は何年ぶりかの静かなゆっくりとしたお正月を迎えている。年末ギリギリまでは大騒動だったけれど。

長女一家は数年前からは、やまとが大きくなり移動も大変なことなどから家族全員で帰省はしなくなっているし、次女は彼の実家へ、長男はお正月はどこかに遊びに行くようで今回は帰省せず。

少し前までは我が家のお正月は、てんやわんやだったけれど。長女一家と、長男と彼女、次女と狭い家にひしめくと私の居場所はもはやなく、一日中台所で朝昼晩の家族のごはんの支度をしていたような。

そんな日々もいつかは過ぎ去るものだ、と思う。日々忙しいと、自由が欲しいとか、あれこれ勝手気ままに過ごしたい、と思うけれど、目の前のままならない現実もいつかは変化していくのだな、と月日の流れを感じる。

そんなのんびりした元日に、ゆっくり年賀状を眺める。昨年は喪中で年賀状も届かなく寂しいお正月だったけれど、一年空いても届くのは有り難いことだ。年賀状も年とともに数は少なくなるけれど、今届く年賀状の人達は、きっとこれからも続いていく人ばかりだな、と感じる。

年賀状でふと思い出す人がいる。その人とはお互いに住所も知らないから一度も年賀状のやり取りをしたことはないけれど。

以前職場で一緒に仕事をしていた職員さんで、30代後半だったと思うけれど、主任さんで真面目で大人しく淡々と仕事をこなす人だった。

決してイライラすることもなく、一切人の噂や悪口も言わない。目立たないけれど私はとても好きな人だった。

その人が突然結婚して退職すると聞いた時はみんなびっくりした。今まで彼がいた、ということは聞いたことがなかった。

聞くと、大学時代の恩師に卒業後もずっと年賀状を書いていたらしいのだけれど、ある日突然その大学の教授から連絡があり、いい人がいるんだけれど、と言われ、いわゆるお見合いで意気投合して結婚に至ったんだとか。

お相手は50歳近い人だったけれど、恩師の大学教授も若い人は教え子にも沢山まわりにいただろうけれど、年齢に合う人と言うとそうはいなくて、ふと、毎年卒業後も十年以上年賀状をくれていた彼女が真っ先に頭に浮かんだらしい。もちろん彼女の人柄も知っての上なのは当然だけれど。

その職員も思いもかけない展開だったけれど、年賀状書いててよかった、と笑っていた。こんな私欲で書いていたわけではもちろんなかっただろうけれど。

私は少し遠方の人との結婚だったので職員の退職は残念に思ったけれど、心からよかったな、と祝福した。目立たなくてもいい人が、まるで神様に見つけられるように幸せになるのは凄く嬉しい。

今も彼女は幸せに暮らしていて、恩師には今でも名字の変わった年賀状を書き続けているんだろうな、と思う。

年賀状に限らないけれど、ちゃんと生きてる人にはいいご縁も巡ってくるのだな、と思う。その時はたまたま年賀状を使って神様がご縁を結んだのだろう。

今年も恋愛はなしとしても、いいご縁が沢山できる年になれば幸せだな、と思う。

皆様にもいい一年が、そしていいご縁が巡ってきますように。今年もどうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m