親の病気 | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

当然のことだけれど、病気というのは生きている苦しみの中で大きなものだ。ブロ友さんも病気や後遺症で苦しまれている方は多い。

そして病気は本人だけではなくまわりの人間にも大きな影響を与える。


子供の病気の苦しみもそうだし、やまとの難病でずっと味わってきたけれど、幼い子供がいる親の病気もほんとに切ないものだと思う。

脳梗塞とかのように、倒れてしまう場合は如何ともしがたいけれど、幼い子を持つ親は病気にもなれない、と痛感している。

産休明けで復帰したばかりの職員が救急車を呼ぶほどの頭痛で、検査の結果髄膜炎と診断されて、すぐ入院と言われたのに、一歳の子供がいるから入院できない、と無理やり帰宅して、あろうことか、数日は出勤までしてきた。

さすがに私達も休むように勧めて今は休んでいるけれど入院はしていないようだ。

家族がなんとか協力してはいるのだろうけれど、入院までは厳しい状況らしい。でも髄膜炎、なんてかなり危ない病気だと思うのに、私達は心配するしかできない。

彼女はそれでもご主人と、お母さんがいるので、再検査次第では入院になるのだろうけれど、身内のいないシングルマザーやシングルファーザーはどうするんだろう、と思う。

昔、子供が幼稚園の頃に近くの施設に母親の入院の間だけ預けられて幼稚園に通っていた子供がいたな、と思い出した。何ヶ月かで母親か退院して再び施設を出て幼稚園も変わっていって幸いだったけれど、親は自分の病気以上に我が子が心配だろうけれど、病気の体の苦しみはいくら思いがあってもなんともできない。

新学期が始まってすぐくらいに長女も風邪をこじらせてなかなか回復しないので、やまとも当然長く中学校を欠席するし、うたも私達で預かった。それでもうたも親の側を離れるのは2日が限界。

日頃から慢性疲労で簡単に病院にも行けない長女は一週間くらい熱が下がらなかった。さすがに昨日旦那さんが休みの時にやっと病院に行き点滴や薬をもらってやっとなんとか回復したようだ。

うたは預かれてもやまとだけは長女なしては吸引、廃痰などは出来ないので、ぐっすりは休むことはできない。なんとかならないのだろうか、と思ってもどうにもならないんだと言う。

訪問看護の方も週に決まった日だけで、急な親の病気にはすぐの対応ができない。

うちのように孫が難病でなくとも親はほんとに病気になれない。なるけどね。生身だから。根性だけではどうにもならない。助けて!と叫びたくなる。

長女の場合、微微たる私達の協力とようやく行けた病院のお陰でやっと回復できてよかったけれど、こんな綱渡りのような日々をいつも過ごしている。再び叫びたい。何とかならないの!助けて!と。これは私達だけの声はないはずだ。

よく、周りの人は体が一番なんだから無理は禁物。特に親は自分だけの体ではないのだから、倒れたらどうするの!そんなことを言って下さる。私も長女に何度か言った。でも本人が一番わかっているのにどうにもできず無理を重ねるのが現状だ。だから親身の言葉ではあるけれど場合によってはストレスになったり。

長女は幸い今回は重病ではなく風邪をこじらせただけだったけれど、髄膜炎の職員はどうするのだろう、どう切り抜けたらいいのだろう。


私もうたを預かり再び送り届けた後で疲れだろうけれど38度6くらいの熱がでた。もうしんどくてどうにもならなかった。でも、9時過ぎくらいから眠りこけていたら次の日の朝には下がって楽になって出勤もできた。

ちょっとした不具合なら休めば治るのだ。長女もぐっすり休めれば長引くことなく治ったんだろうけれど。世の母たちには限らないけれど、安心して?病気が治せる世になって欲しい。でないとうかうか病気にもなれない。誰もなりたくないけれどね。



うたはすっかり元気でうちでたぶん今年は最後のプール遊び。うたもしばらく熱を出していたから看病疲れもあったんだろう。


後日うたから敬老の日ということで保育園よりお便りがとどいた。


頑張って書いた名前。

敬老かぁ、・・・確かにうたのおばあちゃんだけどね。敬はともかく、老、はねぇ。でもありがとう、嬉しいよ。

そういえば、このところ日中は暑くて、うたも、暑いなぁ、お母さん大丈夫かなぁ、ぶっ倒れんかなぁ、もう倒れてるけど!と長女を心配するひと言に笑えた。暑さに倒れないか心配した言葉だけれど、すでに具合悪くて倒れてること思い出したんだね(≧▽≦)

子供って面白い。そしていつも親のこと心配もしている。