母は福耳だから | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

皆様にご心配をおかけしたままになっていたけれど、母は、昨日の午前中静かに息を引き取った。やすらかで、じっと見ていたけれど、いつ息が止まってしまったのかわからないほど、静かな最期だった。

こんな安らかな最期を看取ったのは今までで初めてで、それが私の母だというのは幸せかもしれない。前日は1日中母のところで過ごし、また夜も様子を見に行ったけれど、安定しているので、泊まらずに帰った。

次の日も1日中施設に詰める予定で、あれこれ家のことを済ませて、10時過ぎに施設に着いた。施設の玄関先でなじみの職員さんに会い、今朝もお母さん、安定していますよ、と言葉をかけてもらい、安心して母の部屋に言った。

看護師さんも、今しがた吸引もして落ち着いていると言われて、母の顔をのぞくと、血の気の失せた昨日とは違う肌の色で、覗きこんだ看護師さんも、あらっ、おかあさん、逝く準備を始めたね。と脈をとる。

待ってたのかな、と私が来た直後の急変だった。それでも、苦しむ様子はまるでなくて、二度ほど、大きな息をして、また静かになった。後は、眠ったように静かに安らかに脈が少しずつ遠退いていった。看護師さんが、動いてない、の声に涙がとまらない。母は、私を待って、私が来て10分しないうちに旅立った。

大往生なんだと思う。次々に職員さんがお別れに来て下さる。母は、もう今の施設で一番長くなっていた。最初の頃から母を知っている職員さんが、今は違うフロアの担当だけれど、母の着替えなどをしてくださった。

病院での最期ではなく、施設での看取りができて幸いだった。あくまで、うちの場合の話だけれど。

施設や病院によっては、ギリギリまで点滴を入れたり、栄養を入れる。それが務めだから。でも、旅立つことを理解した体は、もう逝くよ、楽に軽く逝きたい、と体が拒否を始める。もちろん、それを見極めることは難しい。私も自分で見て確かめて理解できた。

母の施設の看護師さんは毎日母を見ていて、もう、体を軽くしたがっている、と感じたそうだ。担当の医師もそれを伝えてくれていた。母は、そんな準備をはじめながら、静かに旅立つことができたのだと思う。

あくまで、寿命がまだの命もあるのだから、医師の診断のもとで、経験その他すべての要素でなされることであって、母の場合はそうでも、それがすべて正解ではない。

母の呼吸がなくなって、担当医師が死亡診断のために来てくださった。これは、まさに数日前に、看取り同意書にサインをしていたからできることで、そうでなければ、亡くなった後に、その証明をしてもらうために、遺体を病院に搬送しなければならない。医師に来てもらうことはできない。母の死亡診断書には、老衰と書かれていた。

すべての流れがスムーズに進んだのは、やはり母がすべての準備をしていたのかな、と思ってしまう。



母が、施設を後にするとき、玄関で沢山の職員さんが見送って下さった。私も何も思い残すことはなかった。

母を葬儀の場所に安置して、一旦うちに帰った。以前水引のイヤリングが欲しくで注文していたものが届いていた。耳にも優しく痛くない。縁起物の春らしい水引のイヤリング。ふと、今届くなんて、思いたったのは、お洒落で、福耳でイヤリングが似合う母のために用意されたかのようだった。


私がつけるとこんな感じ。長女にこの画像を送り、母へのプレゼントにどう?と聞くと、かーさんより、断然ばーちゃんの方が似合う!かーさんはイマイチ、と言う。顔も写ってないこの画像で、イマイチってことはないだろ、と思うけれど(゜゜;)私にも似合うとは思うけれど、これは断然母のものだな、と確かに思う。むしろ、母が欲しかったのかも。こんなところも、準備をしていたのかもしれない。この水引のイヤリングは母への最後の贈り物になった。


素敵だよ。綺麗な母だと思う。

日取りの関係で、お通夜、葬儀は土日になる。次女も駆けつけ、母とのゆっくりな時間を持てたし、長女も通夜の前に、うたを連れて母に会いに来た。

長男は、16日が今の職場の最終日で、新しい人生へと大阪に旅立つけれど、この中日のおかげで、最後の仕事に行けた。母が、最期にちゃんと仕事をしてきなさい、と言ったのだろう。
すべて、私達のためにタイミングを合わせてくれた母らしい最後だ。

私もこの中日があって、肉体のある母との時間をゆっくり過ごすことができて、心の整理もずいぶんできた。縁起物のイヤリングの似合う母を見ていたら、これは、母の旅立ちの祝いのようにさえ思える。母がそう言っているのかもしれない。



さよなら、ひぃばーちゃん。

こんなにも、安らいだ死を人は迎えられることを、最期に母に教えてもらった。私もこんな亡くなり方のできる残りの人生を送りたい。
イヤリングをつけてお洒落をした母をこれから通夜と葬儀で見送る。以前ブログにも載せた、成人式の長女と嬉しそうに笑っていた写真を遺影に決めた。母に似合う紫色の着物にしてもらった。最近はそんな加工も自由にできていい。そんな遺影をながめたら、やっぱり明日と、明後日は涙があふれるよなぁ(TT)