最近、プロフィール画像を変えました。これは私がありのままでいられなかった原因を示すものです。人の目を気にして、右脚が不自由(実際には無い)ことを隠そうとしてきました。理由はくだらないプライドだったのだと思います。

どこかで健常者が上、障害者が下だと卑下していた自分がいたように思います。小学生の頃、よく友達の家でオセロや人生ゲームを楽しんでいましたが、その友達のお父さんが松葉杖をついた障がい者。そのためか友達が肩身の狭い思いをしていたのを覚えています。

あれから何十年も経ち、私も家族を持ちましたが、そのお父さんの気持ちが理解できるようになると、ますます自分の障害を隠そうとしていました。

そんな私が義足を人前に出すなんて考えられませんでした。しかし、会社を始めてから、平成26年に障がいを持つ子どもたちの通う施設に関わるようになり、少しずつ自分の間違いに気づきました。

また、陸上パラアスリートとの出会いも、私の考え方を変える大きなきっかけとなりました。特に、パラアスリートを支える義肢装具士の臼井二美男さんの存在は大きな影響を与えてくれました。

臼井さんとのご縁は平成15年でしたが、当時はまだ義足のパラアスリートはそれほど注目されていませんでした。しかし近年は様子が違うのはご存知のとおりです。

スポーツウェアと義足の組み合わせ。今の時代では逆にカッコいいと思えるようになったのです。

これまで私にとっての義足、つまり障害は隠すものでした。できるだけ健常者らしく振る舞い、健常者に合わせる努力をするのが当たり前だと思っていました。脚が不自由なこと、骨肉腫に罹患したこと、そして義足であることが、就職や人間関係で不利になると思っていたのです。

しかし、何十年も隠してきた私が言えるのは、思い切って自己開示し、さらけ出せば人生は少しは好転し、心もいくぶん軽くなるということです。自分が意識しているほど、周りはそれほど気にしていない事実。あるいは関心がないと言ったほうが正解かもしれません。

障害を隠そうとすればするほど、心がつらくなりますが、しかたないと思っていました。でも身体障害、精神障害、どんな障害でも関係なく、オープンにしてしまった方が良いと今は思います。


私が尊敬する廣田祥久さんは、そのことを体現している方です。愛知県豊橋市で精神障害者の自助グループ「たんぽぽ」を率いる廣田さんは、自身も障害に苦しみながら生きてきました。

現在では、同じ境遇の人たちのために講演活動をされています。廣田さんの素晴らしいところは、自分の障害をオープンにし、その覚悟を持って生きている姿勢です。オープンにすることで「障害者としての廣田祥久さん」ではなく「廣田祥久さんという人生」を生きているように見えるのです。

この違いは「ありのままの自分を出すか出さないかの違い」だと私は理解しました。その覚悟の違いが、多くの人に共感と勇気を与え、結果的に大きな違いを生み出しています。そのことに私は強い感銘を受けました。

障害を隠すか隠さないかは考え方次第です。人それぞれで、正解は自分にしかわからないと思います。私は隠さないことを選びましたが隠さない方が私にとっては生きやすかったのです。

障害というレアカードを、活かすも殺すも、すべて自分次第なのかもしれません。