【はっとの勝手に名画鑑賞会】
第482回「白痴」(1951)
1951年公開、黒澤明監督作品、「白痴」を
観ました。
この「白痴」と「醜聞」は紆余曲折あり
松竹で製作されています。
ドストエフスキーの小説を黒澤と久板栄二郎で脚色して映画化した作品。
小説は無垢な善人がこの世に現れたら、どういう騒動が巻き起こるのかをテーマにしていて、この映画も、もちろんそれを踏襲していますが、なぜか全然深みがないんですねσ(^_^;)
これには理由があって、元々この作品、前後編合わせて4時間25分の内容になるはずが、
松竹の興行的都合で3時間2分に編集させられ、しかも公開されたのは2時間46分に勝手に編集されたものだったんですね。
黒澤が山本嘉次郎に吐いた「こんな切り方をするならフィルムを縦に切ってくれ!」という言葉は今や伝説になっています。
願わくば、4時間25分版がどんなクオリティなのか観たいものですが、今のところ編集でカットしてしまったフィルムは発見されておりません。
ドストエフスキーは、ある意味預言者的な資質も持っていて、この世の中放っておいたら
すべてユダヤ人に好きなようにされてしまうという、反ユダヤ主義的な思想の持ち主でしたが、恐らく現在はその通りになってしまっている気がしないでもないですね。
戦後、日本を含め、世界がどの方向に転んでいくのか?その分岐点的な時期と察知した感性の鋭い黒澤が、ドストエフスキーの作品をテーマに選び、「羅生門」と「生きる」の間にこの作品の製作に取り組んだのは、とても意義深いことであると個人的には思います。
その志に応えるべく、日本を代表する名女優、原節子や、先日鬼籍に入られた久我美子、そして三船敏郎などが、大袈裟とも取れる迫真の演技で挑んでいます。森雅之も白痴の男を意欲的に演じています。
ただ黒澤の意図しない形で、作品を台無しにされてしまったので、すべてが上滑りしてる感じの前代未聞の失敗作のような存在になってしまっています。
ただこの失敗を糧にして、黒澤は
思想ではなく娯楽性を重視した作風に切り替え、あの名作「七人の侍」を
世に放つことになります。
ちなみに、この作品で、助監督を
務めた野村芳太郎の才能に黒澤が
惚れ込み、脚本家の橋本忍に紹介し、
後の「砂の器」の製作に繋がっていくので、
そういった意味でも
この松竹での仕事は日本映画界に
とっても重要なターニングポイントで
あると言っても過言ではないでしょう。
評判はさておき
黒澤ファンは観るべき作品だと
思います♪
僕も次は貴重な松竹作品である
「醜聞」を観ないとな(^ ^)
【人生はまるでロード・ムービー、
次回も一緒に過去に置き忘れた
宝物を探しに行く旅に出ませんか?】
それでは、また(^_−)−☆