価値観が違った所で、
考え方が違った所で、
趣味が違った所で、
性格が違った所で、
僕と君は離れる必要はあるのだろうか?
違う事がいけない事なら、
凸と凹は、相入れないものになるし、
錠と鍵は?
男と女は?
昼と夜は?
海と陸は?
雨と晴れは?
生と死は?
現実のすべてが
相入れないものになる。
それぞれに違いがあるからこそ、
それは、ひとつの形になるんだと思う。
スタートがあって、ゴールがあるように、
君が居て、僕がいるように、
別々の違いをあわせてひとつのものに出来たなら、
どんなに素晴らしいだろう。
世界はそうやって、なん億年もの時を進めて来たんじゃないの?
過去を否定し、拒否をするなら、
奴隷や迫害を受けた黒人は、白人と共に生きては行けないだろうし、
原爆を落とされ、街中を焼け野原にされ、爆弾で空いた穴に残飯と一緒に捨てられた日本兵の生き残りである日本人は、
アメリカの文化も、アメリカ人も受け入れれるものじゃないだろう。
違いを受け入れたり、
過去を許す事は一筋縄な事じゃ無いと思う。
だからこそ、
少しずつ、少しずつ、
心を、気持ちをひとつにして行こう。
『想』とは、
木を見る心。
木とは、自然であり、自然とは、
あらゆる古代信仰の起源である神だ。
自己である人間とは、違う存在である。
しかし、それらは、相入れないものだろうか?
共に、活かし合うものではないか?
自然であれ、人であれ、
そんな相手と、心で向き合った時に、
満たされたり、エネルギーを得たり、
満たしたり、エネルギーを与えたり、
そんな風な関係は、
『想う』心から始るんだと思う。
違うのは当然で、
違うからこそひとつになれるんでしょ?
少しずつ、少しずつ、
互いを受け入れひとつになれたら
こんなにも素敵な事はあるだろうか?
こんなにもロマンチックな事はあるだろうか?
違うからこそ良いんじゃないの?
僕と君は違うからこそ出逢えたのだから。
僕は僕に鏡の前でしか逢えないのに、
君には直接出逢えたんだよ?
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