命について考える。 | 墨 言葉家はっち ブログ -EGAKU書-

墨 言葉家はっち ブログ -EGAKU書-

『書』という字が『筆を手に持ち墨をつける姿の絵』から生まれたように
『絵を書くように自由に書を書いていく。』
※諸説あり



震災から

100日と少し。

何気ない日常が崩壊した。




何が壊れたかと言えば

愛犬が死んだという

ただ、それだけの事。


俺が小学校3年生位の冬に来た子犬。


16年位前からだろうか??

突然家族の一員となったこの子犬は


毎朝出掛けるたびに一緒について行こうとした

時には脱走して学校にだってやって来た。

毎朝バイバイして毎日登校したり、

出勤したりしていた。


一緒に寝たり、泣いた時はそばに居てくれたり、


ご飯食べてる時も足下で猫のように

体擦り付けて来たり

鬱陶しいくらいにいつも近くに居た。


それが今日急に「死んだ」


連絡があり、

直ぐに駆け付ける事は出来たけど

何となく行くのが嫌で

夜実家に帰る事にした。


ちょうど先日、

脱走して保健所の方に

「老犬なのだから次脱走したら生きて会えませんよ」と

お灸を添えられていた。


つい、数日前、

「お前は自分が死に向かってる事わかってるのか?分からない方が幸せか?わかった方が幸せか?」

と話し掛けても

何時ものように身体を擦り付けるばかりだった。

人間だって歳をとって「もう近いな」とは思っても

死ぬ直前まで自分が死ぬなんてちっとも

思って無いだろう。


「逝くのは、お父さんが先かハチが先か」とつい、一昨日言った冗談も

数年後の話であって

今日の事だとは一言も言って無いんだけどれど…。

家に帰りドアを開けると


保冷用の銀色のシートに包まれ

何時もの場所に彼は居た。


いつもならトコトコトコと

老犬の覚束ない足取りで

出迎えてくれるのだけど

今日はやはりそうじゃなかった。

話によると

親が出掛けた後に

首輪のツナが引っかかり

帰った時には

窒息してたらしい。


シートを開けると

柔らかい毛が包まれた布から覗いた。

恐る恐るめくると


頭はあらぬ方に向いて居たから

ゆっくりとゆっくりと

生温かい身体を触りながら

「最後に温もり感じれて良かった」と、考えながら

元の位置に戻したけれど、


それでもなんだか不自然なまま。


魂はどこに行くのか知らないけれど

死後の世界なんて

信じちゃいないけれど

何処か征くべきとこがあるのなら

あらぬ方にゆかないように

目的の地にゆけるように。


姉が横ですすり泣くなか

「年老いて苦しまずによかったな」と、彼じゃなく自分に言い聞かせた。


当たり前がなくなる時、

ひとはその抜けた当たり前の

大切さに気付く。

どれだけ、その当たり前に甘えて居たのかを知る。

それは、主従関係があったとしても

平等であったとしても

互いに甘え合って居るのだから無くした時は辛い。


被災地ではペットは勿論、

沢山の人達が家族を無くして居る。

命とは如何に儚いものなのだろう

命とは如何に弱いものなのだろう。

如何に私は綱渡りのような命を生きて居るのだろう。


人は、他者の死を前に

自分の生を見出せる生き物だ。

彼の死により、

この大震災で失った人達の

気持ちに少し近付けたような気がした。

彼の死は

現実をわかっていない私への

戒めのようにようにさえ感じた。


私がしてる事なんてものは、

大した事じゃないし、

結局は自分の為にやって居る事なのだけど、

一生懸命やろう。


今年は嫌と言う程に命が私に道を問う。


「今のままで良いのか」

「そのままで後悔しないのか」と。


今年まで歩いた道に私は問う。


「今のままで良いのか」

「このままで後悔しないのか」と。


祖父が死に悪友が死に家族が死に

死に出会い

いつか、

一番最後に己が死ぬ。


それまでの予行演習。


命とは

脆いもんだと

儚いもんだと


教えて頂き生を知る。


無くした命に敬意を表してみたけれど


エゴで奪った豚牛の肉

これがまた

どうしようも無く

美味いからあまた困る。


当たり前の日々に合掌。