木は
己が為に
実を落とし
葉を落とす。
木は
自らの生育に適していない環境の場合(栄養不良とか)
自ら花を落としたり
未成熟な実を落としたりする。
冬には葉から水分が蒸発することを防ぐ為に葉を落とす。
木は自分が第一。
葉も実も花も自分の為に切り捨てる。
でも
葉も実も花は
木を恨んだり妬んだりすることはない。
むしろ
朽ち果て肥やしとなり支える。
話は変わるが
いまコレを読んでいる君に愛する心臓を患った恋人がいるとする。
恋人は心臓の移植をしなきゃ死んでしまう。
そんな恋人の為に
あなたの命(心臓)と引き換えに彼に心臓移植ができるとする。
君は愛する恋人の為に自分の心臓を渡したいと思うだろうか?
そして
恋人は愛する君の心臓をもらって生きたいと思うだろうか?
多くの人は愛する人からの心臓は求めないだろう。
逆に多くの人は
愛する人の心臓をもらって自分だけ生きながらえようとする人を愛しはしないだろう。
愛するってのは
愛する人の幸せを願うことと
愛する人に自分の幸せを願われること
その両方が重なって成り立つのかな。
と思った。
君の幸せを願う重さと
僕の幸せを君が願う重さ。
そのバランスが二人の距離なんだろう。
葉も実も花も
木に落とされようとも
恨んだり妬んだりはしない。
それは
葉も実も花も木が生き長らえる事を願うからであり
木は自分の成長を願ってくれる葉や花や実の為に雨の日も風の日も支えている。
葉や実や花が木の成長よりも自分の事を優先させたなら
そのバランスは崩れ
どちらも朽ち果ててしまうだろう。
なんか
『愛』ってのに
繋がってるような気がする。
また話変わるが
昨日の夢の中で俺は沢山の葉を付けた大きな木だった。
沢山の葉が頼りにしてくれていて
そして
それに応えるために手を握り合うように繋がっていた。
…筈なのに
一枚
また一枚と
葉っぱは
離れていった。
支えあった時間が嘘のように
僕の手は空っぽになっていく。
でも
春になればまた
沢山の葉でいっぱいになる。
『今度こそは離さない』と
強く握っていても
気付けば
一枚
また一枚と
離れていく。
『支えあおうね』って言ったのが
嘘だったみたいに
気付けば
一枚
また一枚と
離れていく。