仕事やスポーツ、学問などをやるにしても

自信と誇りをもってすれば良い結果になると思います。

「自信」とは字が示す通り自分を信じる

「これだけ練習したのだから」と過去の努力量を信じる

例え、勝負に負けたといえど努力の蓄積があるので

「誇り」を持つ事ができる。

 

日本人の自虐史観

戦前の日本人は古代から現代までの日本の歴史を

正しく学び「こんな立派な日本人がいたんだ」

と日本人としての誇りを身に付けていた。

しかし、戦後アメリカGHQが日本を統治

もう二度とアメリカに盾突かない様に

日本を大変革

即ち日本人から「誇り」を取り除く事が一番と考え

WGIP(War Guilt Inhormation Program)日本人骨抜き政策を

行った。

特に教育改革は凄まじく

子供たちに「父や祖父達は、戦場で酷い事をした」

と虚偽の物語をつくり自虐史観を植え付けさせた

学校の歴史授業といえば

〇〇年に〇〇が起きたという

なんともつまらない記憶授業が行われ

日本の歴史を通じて「誇り」を持てない様に学校授業を施した変革が

その変革は日本人の心の中に染み付いた

自虐史観がはびこり劣等感をもった日本人は

「日本は、西欧諸国、中国の政治 文化 経済に於いて

遅れている 大陸の文明は素晴らしい日本も見習うべき」

と思っている自虐史観論者も多数いるのではないか

この自虐史観を吹っ飛ばす聖徳太子の逸話が

 

中国の歴史は75年

中国の歴史は4000年と思っている人も多いのでは

中国(中華人民共和国)は毛沢東が統治してから

75年位しか経っていません

中国はいや支那と書きます

支那の歴史は3%の支配者が97%の民を隷属化して

王朝を築いた歴史

一つの王朝が滅びれば歴史は途切れます。

次の王朝が一から歴史をつくります

支那の歴史は一本の線で繋がっていない

途切れ途切れの歴史

要するに、中国(中華人民共和国)の前は中華民国

その前は清、その前は明とバラバラの歴史

戦に勝った者は、敗れた王朝をコテンパンに壊す

前の王朝の歴史的建造物もコテンパン

だから今日の中国には古い建造物や古い会社などはありません。

 

支那の歴史は「中華思想」に染まっていた

漢の時代から「中華思想」が蔓延り、今日でも生き続いています。

中華思想とは、支那(漢民族)が世界の中心

支那を取り囲む国は野蛮国という思想

支那の皇帝は世界で一番偉い人

周りの国の国王は支那の皇帝に

跪き、朝貢(貢物)をするのが当たり前

朝貢した国々は、「いじめないで仲良くしてください」という

願いを込めていた。

世界一の支那、周りは属国なのが常識の時代

日本だけは180°違った。

 

遣隋使に込めた日本の独立

聖徳太子は、小野妹子に国書を携えて

遣隋使を送った

小野妹子は(605年)隋の洛陽へ

時の皇帝、煬帝に国書を渡す

「日出處の天子致書、日没處 天子無恙」

煬帝は激怒

天子は世界に一人、オレだ

日本には天子はいない

激怒はしたが日本の天子を認めなくてはいけない事情が

当時の隋は、朝鮮の高句麗との戦いに苦戦

国力も疲弊していた。

日本に味方になって貰わないといけない国際的な理由があり

日本の国書を認めた。

 

煬帝は裴世清に国書を持たせ日本に送った

国書には

「天命を受けて天下を統治し、自らの徳を広めて

全ての人に及ぼしたと思っている

倭寇は海の彼方に居てよく人民を治め

国内を安らかで風俗は穏やかと知った」と

隋が日本を独立国、対等な国として認めた

日本は、朝貢して隋の属国になっている周辺国

とは違う国に

 

隋に対等な独立国として認めさせた布石

隋に認めさせる為には

日本が安泰な政治を行い、民は幸せで

文化が発展してなくてはいけない。

聖徳太子は

冠位十二階制度

憲法十七条制度

法隆寺建立

新しい仏法や文化、技術を取り入れる

などを行い、文化的で豊かな国造りに尽力した。

その結果、対等な独立国になった。

隋が世界を牛耳っている中

聖徳太子は日本を対等な独立国として

「誇り」を守った。