2回の出産を経てから、ADHD、適応障害と診断されたワーママです。現在、仕事は2023年7月より休職中です。
夫と、小2と年長の息子たちと4人で暮らしてます。
詳しい病状は下記をご参照ください
たまの小学生時代を思い出してみよう
忘れ物の女王
絵の具や習字道具など、たまにしか使わないものもことごとく忘れてました。
忘れ物クイーンが周知の事実だったから、みんな温かく貸してくれてた
結果、忘れても何も困らず、特に改善しようとも思ってなかった
特に忘れるのが日直
朝、早めに職員室に行って日誌を受け取り
授業が終わったら黒板を消して
移動教室の際は教室の電気を消す
帰りの会で、どれか1つでも出来ていないと、翌日も日直をやらなきゃいけない
だいたい私は3日連チャンで日直をやって、3日目になると、帰りの会で、
「もう3日やってるから明日は次の人でいいと思います」
と、誰か言ってくれて免除になってました。
自分日直ってこと、忘れちゃうんだよね〜
そもそも遅刻ギリギリに行ってたから、朝の日誌が取りに行けない
字が汚い&ノートぐちゃぐちゃ
今も、だけど、字が汚かった
女子がよくやる、きれいの色分けしたノート作りなんて、無理無理
しかもノートをよく落としていたので、先生から
「このノート誰だ たぶん、男子だと思うけど、、、」
と、男子扱いされた記憶あり
これは流石に恥ずかしかった
失くし物も多かった
家の鍵を失くしたときが一番怒られたかなぁ。。
でも懲りずに失くしてた
傘も色んな所に置いてきちゃって失くしやすかった
頭痛持ちだった
気づいてないけど、小学校は私にとってストレスフルだったんでしょう。
しょっちゅう頭が痛くなってました
でも、空想の世界に入ると、頭痛がなくなると発見
友達にこの発見を興奮気味に話した記憶があります
(友達、困っただろうなぁ)
空想少女というか、宇宙人というか、、、
漫画やアニメが好きで、よく違う世界に飛んで行ってた私。
歩く音にテケテケと擬音をつけるマイブームがありました
(痛い歴史だ)
そのため、友人から
テケテケ星人
と呼ばれていた時期があります。
そして、呼ばれて喜ぶ小3女児の私。
ちょっと幼いよね
運動面はポンコツです
自転車に乗れるようになったのが遅かった(小3くらい)。
友人たちが自転車で遊びに行くのに、私だけ
ダッシュ
で走ってた記憶が
お陰で、マラソン大会の成績が良かった
跳び箱もダメ、
球技は全部ダメ。
体力測定では、握力が極端に弱くて、
まずモノを持つことから始めよう
と書かれたこともあります。
物持たないで生きられるはずないやん
たぶん、握力計の使い方が下手だったんだろうなぁ
食べ物へのこだわり
色んな食感が口の中で混ざるのが苦手だった私。
できれば、同じものを食べ続けたいから、三角食べができなかった
あとは、3種類以上の食材が混ざった料理も苦手。
ミネストローネとか。
シュークリームは、先にクリームを吸い切ってから、シュー部分を食べてたし
オレオもクッキーとサンドしてあるクリームを分けて食べてた
好き嫌いは少なかったけど、調理法にうるさい小学生でした
(おかん、ありがとう)
とまあ、軽く思い出すだけでも色んなエピソードがあるわ。
でも、勉強できたし、真面目だったから、誰にも何も言われず、「おっちょこちょいで変わった子」扱いで、平和に暮らしていました
次は中学生編へと続きます