長男は、小学校入学から中学校卒業までの9年間、結局ずっと特別支援学級に在籍していました。

 これまでにも何度か触れたと思うのですが、当地では、中学校(特に2年次以降)で特別支援学級に在籍していた場合の「進路」は、特別支援学校の高等部というのがほぼ「既定路線」になっています。

 そこを敢えて、本人の希望もあって全日制普通科の公立高等学校に進学することを選択しました。

 

 自閉スペクトラム症などの発達障礙に限らず、不登校や外国籍など様々な背景によって、中学校までに能力を発揮することができず、所謂「内申点」が極端に低い、あるいは付かない、といった生徒でも受験・進学できるような仕組が用意されていることに気付き、これを利用することにしたのです。

 

 「自閉スペクトラム症などの発達障礙に限らず、不登校や外国籍など様々な背景によって」

 

 と書きましたが、この部分は表現としての問題なのか、ほとんど触れられておらず、「中学校までに能力を発揮することができ」なかった……などと、妙な配慮なのかぼやかされてしまっています。

 そのため、中学校の特別支援学級の担任や放課後等デイサービスなどの障害福祉サービス事業所の職員でも「よく知らない」ということが往々にしてあります。

 

 

 以前触れた、勤務先の健康厚生課が主催した研修会で、長男のこれまでの経緯について話す機会がありましたが、ここでは教育委員会の特別支援教育センターの先生が「特別な支援が必要な子のこれからの進路」についての講演をしてくれました。

 しかしその中でも、長男の高校のような制度についてはほとんど触れられることはありませんでした。

 「特別な支援が必要な子」には、特別支援学級に在籍していたり、通級指導教室を利用していたりする生徒だけではなく、所謂「不登校」の状態にある子も含まれている筈で、この研修会の参加者の中には、そういう課題を抱えている人も少なくなかったと感じています。

 勿論、どんな学校であれ「学校」というものに拒否反応を示す生徒では合わないだろうとは思いますが、もっと幅広く知られてもいい制度なのではないかと思っています。

 

 ところが世の中、何でも「二極化」してしまう時代なんでしょうか。

 このような学校や、インクルーシブ教育としての「枠」を設けた高校の多くが定員割れ(当地では所謂「足切り」はないので、定員割れなら志願者全員が入学できる制度)になっているのに対して、特別支援学校はかなり一杯いっぱい、という状態になっています。勿論、所謂「普通の高校」も、一定以上(と言っても八割方の生徒は、どこかしらの学校にあてはまるという程度)の成績が求められるような学校が「倍率」は1を超えています。

 色々な意味で「はざま」になっているような学校ですが、もっと知られてもいいんじゃないか、という思いがあります。

 

 授業のレベルは、そんなに難しいことをしている訳ではありませんし、そういった「背景」を抱えている生徒が対象なので、小中学校での学習の「やり直し」的なものもあったりします。

 高校の勉強って、それで大丈夫なのか? という声も予想できますが、ここではっきりと言っておきたいことがあります。

 

 世の大人が皆、学校で習ったことの「全て」を仕事や生活で活用できるだけ身につけられていますか?

 

 自分はまだ、弟や妹、自分の子供達に教えて来ただけではなく、今の仕事に就く前に、小さな学習塾で講師をしていたこともあるので、それなりに憶えていることもあるほうだとは思いますが、大学で学んだことの8割は(仕事が全く関係ない分野になったため)どこかに飛んで行ってしまっている、と思います。

 高校の勉強だって、半分以上は間違いなく「蒸発」しています。

 でも、生きて行くために必要な部分というのは、繰り返し使うのだから、当然ながら身に着いたままになる筈です。

 

 大学で学んだことの多くが現在の仕事に直結しているという人もいるとは思うのですが、そんな人でも高校までの学習内容全てが、今でもしっかりと残っている、という人はほとんどいないのではないでしょうか。

 大学で学ぶことそのものは、その後の社会生活に直結はしていなかったとしても、何かについて調べたり、仮説を立てたり、考えたり、そして一定の結論を導き出す、という過程を踏むことは、多くのことに共通する部分かと思います。なので高等教育が不要だと言っている訳ではありません。

 

 ですがまあ実際問題として、義務教育課程にしたって「因数分解ができなくて困る仕事」なんて、そんなにはないだろう、というのも事実です。

 

 長男の高校も、今の制度になる以前は「学区」の最下位校だったような学校です。

 このような制度の取組を実践している学校には、そういった高校も少なくありません。

 今でもその時代の「感覚」が残っている保護者にとっては、そういう意識が働いてしまうことがあるかも知れません。

 

 今や「伝説」に近くなってしまった、「昭和」な頃のドラマに出てくるような「廊下をバイクが激走するような学校」のイメージとは全く違います。

 

 時々、きっと親が「その時代に『そちら系』だった」んじゃないかと思われるような(この親にして……的な)生徒も入学してきますが、そもそもその「層」は、現代の「エネルギーがなくて不登校」とは違い、「エネルギーが有り余って不登校」になってしまう訳で、すぐに学校に来なくなり、そのうち「消えて」いきます(退学なり転学なりだと思われます)。個別の詳細な事例まではわかりませんが、そもそも「高校に入るべき人」ではなかった、ということだろうかと。高校は義務教育でもないのですが、今考えると昔は「とにかく高校には入っておこう」という「圧」が強過ぎたのではないかと思います。

 

 話が逸れてしまいました。

 

 長男が入学した高校には「ボウリング部」があります。

 

 

 ボウリングをするために学校を選んだ訳ではありません。

 そもそも、その(中学3年生の)時点では、まだまだ「初心者」でした。

 実際に、大会などで上位に入る子たちは、ほとんどが小学校、あるいはそれ以前からジュニアクラブで活動していたような子ばかりですが、それでも「高校から始める」という生徒もそれなりにいます。その中で、中学校の2年間だけとはいえ「アドバンテージ」があることはあります。

 

 中学卒業後の「進路」を模索する中で、たまたま以前「ボウリング」「ボウリング部」というキーワードで知っていた高校からのつながりで辿り着いた「制度」が、長男自身にも「これだ」と思わせたことが契機でした。

 「ボウリングで学校を選んだ」のではなく、「ボウリングをしていなかったら知らなかった(かも知れない)制度」との出会いが、現在に繋がっています。

 

 その「ボウリング」ですが、かつて書いた記事の頃とは、もはや「レベル」が全く違います。

 

 

 これはまだ「ハウスボール」(ボウリング場に置いてある貸出用のボール)を使っていた小学6年生の頃の記事です。

 

 その後、中学2年生になる頃からマイボールを使うようになり、近くにあったボウリング場の「こどもボウリング教室」などで習ううちに、いつの間にか上達していました。

 ボウリング部で、毎週3日の練習がありますし、週末にも月2~3回の「教室」にお世話になっています。この「教室」は、元々近くのボウリング場でやっていたのですが、そのボウリング場が新型コロナウイルス感染症の影響もあって廃業してしまいました。そのため、現在は違うボウリング場に移っています。

 

 高校に入学した時の3年生には、数人の部員がいたのですが、この春卒業しました。

 現在は、長男の他に、新3年生の先輩が一人だけ、という寂しい状況になり、女子はゼロに。新入生も「見学」には来たのですが、入部には至らずでした。

 

 そんな中、先日行われた「地区大会」で「優勝」してしまいました。

 「地区」と言っても、都道府県の三分の一ほどのエリアに当たりますし、小さな「県」の数倍の人口がある規模です。

 この地区大会には、3年生の先輩は「受験」の関係で欠場しました。

 長男は、たった一人で「高校の看板」を背負って「優勝」(と言っても、そもそも競技人口は多くないので、出場者も20人に届いていませんが)したのでした。

 先輩がとても上手い人なので、出ていれば先輩が優勝していた(所謂「ワンツーフィニッシュ」だった)だろうと思います。逆に言えば、彼が出ないのなら優勝のチャンス、と思った他校の選手も少なくなかったのではないかと。

 そこを「阻止」して、他校に優勝を明け渡さなかったのは大したものだと思います。

 

 実はこの高校、ボウリング業界では知らない人はいないという伝統校の一つです。男女とも全国優勝したことがありますし、プロボウラーにも何人も「出身者」がいます。

 それでも、競技人口の減少から「存続の危機」に陥っています。

 

 そして、その後に行われた予選を通過して、先輩と二人で「全国高等学校対抗ボウリング選手権」に都道府県代表として出場することになりました。この大会は「ボウリングの甲子園」とも呼ばれるもので、「チーム戦」型式のため、同性の選手が複数いないと参加資格すらありません。

 昨年も、長男の高校は出場したのですが、その時は人数がいたので、長男が出場する機会はありませんでした。

 今年は「正直どうかな」と思っていたのですが、先輩の足を引っ張ることもありませんでした。チーム戦は2人戦で、各チーム「補欠」一人を出せますが、今年に関しては「補欠」にする選手すらいません。

 

 それでも「全国大会」に出場したり、地区優勝を経験したり、ということは、中学校までは想像もしていませんでした。そもそも「部活動」をすることもないだろう、と思っていましたので。

 

 特別支援学校にも「部活動」はあります。

 都道府県の高体連に加盟している特別支援学校高等部もあります。

 でも、あまり特別支援学校が参加しているのを見たことがありません。

 特別支援学校だけが参加する大会が存在する競技もあるかとは思います。

 

 障礙の種類と競技の組合せによっては、健常者と同一の大会に出場することが難しいこともあるかと思います。

 でも、ボウリングって、明らかに不利になる障礙は「肢体」と「視覚」くらいなのではないかと。

 「聴覚」「内部」「知的」「精神」については、ほぼ違いはないのではないかと思いますし、「視覚」に対してはそれに対応できるような設備(音声誘導や触覚による「残ピン」表示装置など)が既に存在しています。「肢体」にしたって、車椅子で投球することもできますし、補助スロープ(子供用だけではなく、障害者用の製品もあります)は勿論、投球すると引っ込む「把手」の付いたボールなども開発されています。

 ルール上の措置が必要な部分もあると思いますが、かなり「インクルーシブ」な競技の一つだと思います。

 これは、ボウリングが「一人ひとりが(他の競技者から)『独立して』試技を行う」という特性があるからだと思います。その「みんなが順番にルールを守って」という性質もあるのか、「療育」でボウリングを行うことも少なくありません。

 長男が就学前に利用した療育のプログラムに入っていたこともありましたし、現在利用している放課後等デイサービスでも「ボウリング大会」のプログラムがあったりします。

 

 障礙の有無にかかわらず、一緒に楽しむことができるスポーツとしてのポテンシャルは、かなり高いんじゃないかと。

 何より「障害者スポーツ」として生まれた訳ではないので、誰でも知っているし、やったことがあるのではないかと思います。

 多くの「障害者スポーツ」は、まず健常者に存在を知ってもらい、ルールを理解してもらうところからスタートせざるを得ませんが、ボウリングについては、そこが不要です。「じゃあ今度、みんなでボウリング大会しましょう」と言ってから、そんなに準備が必要なものでもありません。

 強いて言えば、最近はボウリング場が少なくなってしまった、ことくらいでしょうか。

 

 高校生活の話を書くつもりが、気が付いたらボウリングについて語る回になってしまいました。

 

 ですが、中学校卒業まで9年間ずっと特別支援学級に在籍していても、全日制普通科の高等学校に進学して部活で全国大会に出場できることもある、という可能性について、いつか(全国大会は、つい最近ですが)書いておこうと思っていましたので、そういうことで。