「ウソアベアソウ」
秀逸。無理なく完璧に文字がはめ込まれている。とうとう安倍の嘘の政治が庶民の高度な諧謔までに定着している。江戸文化の高度なところは庶民が落首で盛んに徳川幕府、お上を揶揄していたところにある。浮世絵なども庶民の主張である。痛烈、秀逸な落首を庶民は讃頌した。暗い世の中であるように言われることもあるが今の世相と同じように庶民の生活には健康なところが確かにあった。しいたげられた農民の世界にも生きるための健康な思考が存在していたことは確か。新潟平野の茫々と広がる田んぼの中を運転しながらいつも考える。この偉大な田の広がりを作るためには健全な生活があったのだろうと。私は毎年本州旅行の終わりに新潟港からフェリーに乗って帰る。
お上にも温情があった。バランスで世の中成り立つ。250年間も徳川幕府が存続した理由。奇妙な比較であるが幕府政治と安倍政治を比較してどちらが苛烈であるかと考えるとしばし退屈がまぎれる。武家支配の苛烈な部分は歴史によってよく指摘されるが町民文化が形成される程度の苛烈さであったことは事実として認めていい。私は安倍政治が幕藩体制と同等に苛烈であると断定している。明らかに日本国民は江戸時代の町民と同様に扱われている部分がある。それもかなり広がる範囲で感じるのである。武家政治の奥に剣と言う暴力がある。安倍政治の奥に強弁と言う暴力がある。並んでいないか。
剣も強弁もこの5年間に限れば普遍に存在して当然の物になっている。剣で象徴される幕府の権力は250年間保持された。安倍の強弁はただの5年間であるが垂れ流されている。安倍、安倍内閣、官僚の強弁は数万回とカウントできる。強弁が社会の空気になっている。数日国会で審議が行われヒヤリングで役人の答弁が繰り返されているが普通の会話はほとんど成立していない。強弁でしか答弁できないのである。一日千回の強弁とカウントしても過大ではない。一日千回の暴力が振るわれているという事。幾ら幕府でもこんなに剣を振るうことは無かった。暴力の面では安倍時代の方が過酷。
隠蔽では並ぶのではないか。そもそも幕藩体制では庶民に報告をする義務が無い。それで庶民は漏れ聞くところ政治の変化を勘案して情報とした。推測が主であったので間違いもあっただろうし風評などでかなり混乱しただろうが鋭い洞察がかなりある。安倍政権の隠蔽は子供じみているともいえる稚拙な方法であからさま。「私も妻も関係していたら首相を辞める」という足元で安倍夫人は加計学園小学校の名誉校長。普通の感覚をしているなら即刻首相辞任である。強弁だけで首相の首を繋げている。その危うさが感知できないのが安倍の異常神経。柳瀬秘書が加計、愛媛県庁、今治市職員と会っていないとする根拠が記憶に無いである。まことに危うい防波堤。1年以上も国会で審議を続けて何枚もの文章が出てきて明らかになる瀬戸際まで追いつめられているのが2018年4月21日の現在。幕府政治の方が清々と政権が安定しているように見える。同じ隠蔽でも徳川幕府の方は嘘をつかなくても済む。隠蔽でも安倍政権の方がやはり苛烈。
こんな話いくらでも続けられる。ここらへんでやめようと思うが最後にこれだけは言っておかなくてはならない。自衛隊の日報隠蔽で安倍政権は瓦解すると予想する。モリカケなど犯罪としても小物である。日報隠蔽は国家の安全保障の問題。安全保障を危険に晒すという事は国家犯罪である。起訴逮捕などと言う生ぬるい処罰で済むものではない。死刑に至る刑罰が予想される。日報は隊員の生命を守る究極の情報だろう。自衛隊は実戦部隊である。災害援助は自衛隊の本業ではない。国民の命を守るのが仕事である。作戦を立てるために必要な情報の核が日報であろう。日報が無くて作戦を立てるなら隊員の命が危うくなる確率が高まる。自衛隊が日報を破棄するなどあり得るはずがない。
なぜ日報を隠蔽しなければならないのか。政府の命令である。安倍の命令である。もし日報にある「戦闘」と言う言葉だけを隠したいと思っての隠蔽と信じがたいが今のところそれしか理由が見当たらない。直接隠蔽したのが稲田前防衛大臣である。隊員の命を守る日報をおもちゃのように扱って隠した犯人が安倍であると確定すれば死刑以外の刑罰は考えられない。共犯の稲田氏も死刑が相当だが禁固30年くらいになるだろう。それほどの犯罪であるという認識が安倍に無いので救われない。「ウソアベアソウ」が多くの犯罪を噴出させている。