「確かにも野党にも劣化が見られる」
劣化の極みにある安倍政権と付き合って野党も劣化しているのではあるまいか。確かに野党は今いい仕事をしている。満足に質疑が出来ない程度の議員でさえ国会の晴れ舞台の質疑の席に就いてみれば正義を述べることが出来る。質疑のバブルである。そういう意味で野党は今実に恵まれた立場にいる。野党もバブルになって質疑の劣化に注意する必要を感じる。質疑は鋭く鮮やかであって欲しいと一般の国民の半分は思っている。醜態をこれほど晒す政府は無いだろう。野党の議員はその醜態を突くだけで正義に成れる。若いからと言って全ての議員が合格していない訳ではない。中には老練な議員と同格の質疑をする若者、女性もいる。このところ毎晩、早朝まで目を赤くして見ているyoutube で感じたことを一つ指摘したい。
一時に2つ以上の質疑をする議員が多い。これは質疑の鋭さを欠き、鮮やかさに影を差す。答弁を容易にさせる。言いたいことがたくさんあるだろうが一つの質疑に絞るべきである。だらだら喋った後にさらに別な質疑を加えるなど鮮やかでない。その気合を見事に用いていた山添と言う若い議員がいる。多くのベテランの議員はこの若者に学ぶべき。辻本議員などベテランだろうが言葉が多すぎる二つの質疑をしていたので思わずスマホを切ってしまった。腹が立つほど稚拙な質疑に見えた。それだからと言って野党を否定するものではない。質疑の方法も進化してもらいたいのである。自公政権の答弁は相変わらずの強弁による暴力である。言論の府、野党は話術を磨いてほしい。鮮やかな質疑は政府の強弁と言う暴力と比較して際立つ。証人喚問で目的を達する程度の話術を持ってほしい。フランスの小学校に留学して討論の学習をしてきたらどうか。
野党には人材が少ない。採決時の数の劣勢だけでなく一人が対決した時の話術の総体がその政党の力となる。ここら辺に野党の回復の手段があるのではないか。時には二つ三つ纏めて質疑することはあるだろうが基本は一時に一つの質疑である。そこに質疑の必然さが現われるのではないか。安倍の答弁のように何をしゃべっているのか分からない末に質疑には関係のないことになるなど別格にして野党の質疑は鋭く短いものであって欲しい。最近は多くの野党の質疑がそういう所で進化していると私は思う。これには議長の議事進行も下手、練れていないと感じることが多い。議長職でてきぱき仕事が出来るのは数人ではないか。議長は与党から出ているのだろうがプロとして仕事に精通するのは与野党全ての議員の義務であろう。野党にとっては安倍の閉まらない、不適格な答弁は追い風になるはず。映えなどに対比して短く適切であったと満足するのであれば真価がまだ足りない。
一つの野党質疑の頂点であろうかと見るのが先日行われた安倍首相と対決した立民代表の枝野氏であった。だらだらと寝技で来る安倍の答弁を撥ね返し、繰り返し正鵠を得た答弁を得ようと苦労していたがおおむね枝野氏の質疑の言葉は私には耳に届いた。耳に届いたという事で成功である。ねちねちと寝技で結局安倍は逃げたのであるが。官僚の作った答弁を繰り返すだけの安倍に劣る質疑をする野党議員は少ない。当然次の日のネトヨウ記事のテロップで「首相野党の〇〇を論破」などと的を逆転して外れたものが書かれるのだろうが安倍の答弁、ネトヨウの論評を信じる国民が大幅に減少。昨今の世論調査の結果を見るとそうなっている。ネトヨウの悲鳴が続いている。
