私の実家へ帰省してきた




ぽってりフラワーぽってりフラワーぽってりフラワー

かなり前の
実家の庭

ぽってりフラワーぽってりフラワーぽってりフラワー

10年以上前かな

もっと前かな


母は庭いじりが好きで

バラだらけだった頃の写真



花火花火花火


というわけで

旧友と1泊2日で

遊んだ流れで

自分の実家へ帰省してきました


去年の10月以来

約10ヶ月ぶり


夏に帰るのは何年ぶりだろう

10年以上ぶり…?


ムスメが小中学生のうちは

キチンと夏と冬に

帰ってたんだけど

高校大学になったら忙しすぎて

思うようには帰省できず


いつのまにか

私1人で帰るようになり


季節も問わずになって


なるべく気候の良い

エアコンとか

使わないで済む時期にね

年金生活だから〜おじいちゃんおばあちゃん



ただし

今回は友と会うのが

絶対この日って決まってたから

自ずと夏の帰省となる


それと

父が去年

母が今年

80歳になるので

『傘寿』というお祝いをしようと



これは

母が言い出した事


残念ながら

私からは…もとい

両親の子どもである私たちからは

ずっと言い出せずにいた


と言うのは…


ダルマダルマダルマ


何度も書いてると思いますが


我が父は

30年ほど前に

やらかしてるのですね

浮気を

というか

本気で相手と駆け落ちしようとして出て行き

待ち合わせ場所で相手のダンナに見つかり

すごすごと荷物をぶら下げて帰って来た

別れたからここに戻って来たって


54にもなるいいオヤジが

やることですかね


許せますか?



それから母は苦しむばかり


飲めないお酒を飲んでは吐き

父が帰る車の音を聞いては

慌てて当てつけに首を吊る

父が縋り付いて引き下ろし

泣き喚く母に抱きついて泣きながら

俺が悪かった

俺が悪かったと

謝って謝り倒したはずなのに

また冷たい言葉を母に投げつける


何度も何度も同じことを繰り返し


アパートを借りさせて

父を家から追い出した時期もある


そばにいても離れても

怒りも悲しみも絶望も

何ひとつ変わらず


離れている間にも

母が電話で

恨み辛みをぶつけると

父は

「じゃあどうすりゃいいんだよ

俺が死ねば満足か!!」と

捨て台詞で一方的に電話を切る

その後はもう

何度かけても電話に出ない

不安になって

車を飛ばして駆けつける

4ヶ月ほどそんな日々


だったらそばに置いて

徹底的に責める事にしたと



私が結婚する辺りから始まり

今日に至るまで

ホントに紆余曲折ありました


1番辛かったのは母だと思うけど

次に辛かったのは

まだ未成年だった妹だと思うけど


私だって辛かったんです

自分の結婚を

手放しで喜んでもらえない

初孫を純粋に

ただ可愛いだけで見てもらえない


乳飲み子に右往左往する中

毎日午前午後問わず

母から泣きながら電話が来て

もう死にたい

私なんかいらない

男なんか信用できない

……


散々いろんな思いを聞いて

聞かされて


「ごめんね、こんな話ばっかりで」って

電話を切ったらまたすぐ

「やっぱり私頑張る!

怨みながらでも一緒に居る!」

と、空元気で


でもまた次の日の朝には

どん底に落ちてる電話

昼にはまた空元気


数年はその繰り返し


私は誰の味方をしたら良いか

わからないまま


事実だけで言えば父が悪いから

母の味方でい続ける事にした


世の中で自分がいちばん偉くて

自分がいちばん物知りで

自分がいちばんかわいそうで

自分がいちばん情け深くて

自分がいちばん大事にされたい

自己中でバカな弟は

せっかく家を出て働いていたのに

母が頼って呼び寄せたせいで

渡りに船とばかり

父を目の敵にしながら

父の買った家で

父の稼ぎで生活するのが当たり前の顔をしたニートに


今は仕事こそしてるけど

在宅のフリーライターで

実家に住み着いていて

家に1円も入れずに

我が物顔で暮らしてる


父を無視し

母の作るご飯は選り好みして

気に入らないものは食べず


長男なんだから

この家はおれが貰えるんだよなって

堂々と言ったらしい


何年も前の話


当時未成年だった妹は

父も母も半分ずつ大事だから

どっちの味方にもなれないし

片方だけを責められない

浮気をした父が1番悪いけど

それを責めて責めて責めて責めて

そこまで責められるほど

母は完璧なのか

父が外に向かないよう

母がもう少し父を労ってれば

敬ってれば

そもそも浮気なんか

しなかったんじゃないか、とか


3人きょうだいが

それぞれの立ち位置で

父母と相対してきた


残念ながら

弟はあまりにも

身勝手すぎるので

私も妹も毛嫌いしていて

表面だけは合わせてるけど

いずれは縁を切るつもり


そんな不穏な空気に

何十年も前から抜け出せない我が家


父母は

還暦も古希も

喜寿も

全く知らんふり


父が胃がんになったり

狭心症の手術をしたり


母が糖尿病になったり

股関節の手術をしたり


月日は流れ流れて

歳をとり

身体も心も

経年の疲れと諦めと

なんとなく妥協というか

馴れ合いというか


許すとか許さないとかじゃなく

もういいやって

どうせあと少しだもん

もうめんどくさいやって


母が30年かけて心を緩めて


とうとう今年

「私たち80になるのね

お父さんが去年

私が今年

だから傘寿のお祝いに

なんか美味しいものでも食べようって

話してるんだ〜にっこり

って言うからね


ちょ待てよ


それ、マジで言ってんの????


そんな事考えてるんなら

うちらが祝うよ


私が帰省する時に合わせて

お出かけできるなら行こうよひらめき


まさかこんな日が来るなんて


一昨年まで

私の帰省の時には

いつも妹が

最寄りの駅まで送り迎えしてくれて

カラオケに行ったり

2人でご飯食べたり

山ほどおしゃべりしたり


でも去年から

妹は仕事を始めたので

今回は

両親のお祝いの席だけ

仕事も休みでちょうど良く


お祝いの食事会は

母が話し始めた事だけど

こんなこと初めてだから

私たちがしよう!って事になり


そうだ、なんなら

4年会えてないわがムスメも呼んで

楽しく祝おう飛び出すハート


てなワケで

父母妹ムスメ私の5人で

(弟は来ません)

美味しいお肉を頂いてきました



ところが実は

1週間前に

父の妹が亡くなり

(70代中頃だと思う)

ホントは父は

とても落ち込んでいたのですが


なので

『お祝い』という言葉は使わずに

『久しぶりにみんなで会えて嬉しいね会』

となりました


あんなに短気で威張ってて

外面だけ良くて

家ではいちいち苛立ってて

トゲだらけだった父が


病気と経年で

ずいぶん穏やかになったと

母が話してた


母は昔からせっかちで

確かに正しいかもしれないけど

押し付けがましくて

私もよくぶつかった

甘え下手だった

母が嫌いだった時も長かった


そんな母も

歳をとって可愛くなった

甘え上手になってきた


だから

これからは父と母は

少しはうまくやっていけそうな気がする


初めてのどかに

帰省できた

記録的な日

2024.07.28


泣き笑い泣き笑い泣き笑い

ところが
今度はダンナの実家絡みに
やや不穏なにおいがするのです

また近々書くので
聞いてやってくださいまし

悲しい悲しい悲しい