本日、世間はホワイトデー
うちら夫婦の結婚記念日なのだ
磁器婚式というらしいです、
年目は
さぁて、振り返ってみっか
ひたすら長いしグチっぽくもなるので、スルーしてくださいね
1997年4月にお互い同じ営業所に転勤になり出会う。事務職同士なので、彼の下につくことに。
音楽とか映画とか本とかすごく趣味が合ったので、毎週末遊びまくるくらい急接近。
2人とも確実なインドア派だったのが全てを加速させました。
8月には付き合い始め、11月にお互いの親に紹介して、12月に入籍
寿退職
半月後、一人暮らしの船橋のワンルームアパートから亀有の2DKアパートに引っ越し。
1998年3月14日、身内だけで式と簡単なお食事会。
同年7月にムスメが産まれて。
2000年4月、転勤で八戸に引っ越し。
だーれも知らない土地での子育ては気が狂いそうでした。
ダンナはほとんど仕事で家に居ないから、なーんか、私はいつもひとりぼっちな気がして。
よくダンナにきつく当たりました。
子供のお世話も家事も、自分からは何にもしない人だったので。時間がないから出来ないって。
同じ職場に勤めてたから忙しいのはじゅうぶん承知の上だけど、たしかに日曜しか休みがないのはかわいそうだけど、その休みにゲームしてたりプラモ作ったり、じっくり遊んで休みたいのはわかるけどっっ


買い物やらムスメのお相手やらを頼めば「ちょっと待ってて」と言ったまま30分だー1時間だーが過ぎ、私はイライラして「もういいっっ」とブチ切れ、だんだん彼になにかを頼む事をやめ、どんどんストレスが溜まっていく。
幼稚園年中さんになった春、運転免許を取りに行きました。習い事をさせるのに、ママが車で連れて行くのが当たり前の地域だったので…
バスもないし、歩ける範囲に習い事の教室がなかったし。
ものすごく怖がりなので本来なら運転なんてもってのほか。千葉・東京に住み続けてたら絶対取らなかったと思う。
でも、ムスメのためには取っておいて本当に良かったとあとあと思うのです。
運転できるようになり、ムスメも大きくなってきて、ママ友もでき、手芸も始めるようになって、私自身の日々が少しずつ安定してきたからなのか、ダンナが何にもしなくてもだんだんどうでも良くなってきました。
免許取るお金、出してもらったしなぁ…と、お金で割り切るようになりました。
雑貨に目覚めたのもこの頃だったので、ダンナにイラついたらプチ雑貨を買って、彼が働いてくれてるから好きなものが買えるんだと自分に言い聞かせてました。
彼は新しい何かが増えても全く気付かない人なので、生活費と相談しながらプチプチ小さな雑貨が増えていきました
2007年4月、ムスメ小学3年に上がる時に転勤でここ仙台へ。
4月下旬、ダンナがパンクして、仕事を辞めたいと言い出しました。
八戸と仙台では仕事量が違いすぎて、求められる事が多すぎてついていけないと。
私とムスメも、転校先の学校で頑張って馴染もうとアンテナをビンビン立ててくるくる動き回って疲れてたけど、ダンナも毎日毎日真っ白な顔をして帰って来てた。
限界だったんだなぁって思ったので、辞めてもいいよって言ったら、うっすら涙ぐんで「ごめんね」って。
後にも先にも彼の涙はそれだけ。
よっぽど苦しかったんだなぁって。
そしたら、私のこれまでの恨み辛み(ホントたまってたのよ)はチャラになりました。
今までありがとね、自分たちのことばっか押し付けててごめんねって知らないうちに言ってた。
結局、すっごい上の人(支店長さん)が話を聞いてくれて説得してくれて、辞めないで今日に至ります。
無理しないでいいから、お前の好きなようにやれって言ってくれたんだって
それからは、無理もするけど好きなようにもやってるから、何にも言わなくなりました。
2011年3月の震災の時も、職員の人たちの生活と仕事を一生懸命考えてたし、ガソリンが手に入るまでは車が使えないから片道1時間半毎日歩いて通ってた。
しばらくの間は日曜日なんてもちろん返上だったし、大変だから泊まってくればって言っても、絶対帰ってきて家族でご飯を食べた。
夜、家族全員がそろってることがホントに心の底から安心だった。
幼、小、中、高、大、入学式や卒業式、今時は両親そろって参加する人が多い中、うちのダンナが来たのは中学校の入学式だけ。
寂しかったけど、イベントが日曜日じゃない限り、遅刻も早退も途中抜け出しも出来ないからしょうがない。
震災の時、マンションの真後ろにある小学校にトイレを借りたり、テレビのニュースを見に行ったり、炊き出しをもらいに行ったり、お世話になったんだけど、学校の先生ってめちゃくちゃ大変だなーと思ったんだ。
自分にだって家族がいるのに家に帰れず、学校のある地域の人たちのお世話してたんだよ。
ムスメの担任の先生は、赤ちゃんが生まれたばっかりだったのに、奥さんと赤ちゃんの顔が見られたの、3日後だったんだよ。
そうゆう諸々のことを見たり聞いたり感じたりしながら、よりいっそうダンナを大事にしなきゃと思ったものでした
2015年5月、初めての単身赴任が始まる。
ムスメ、高2になって、学校が嫌になる。
たぶん、みんな頑張ってるんだから私も頑張らなきゃ、と気負いすぎてたんだと思います。
11月、私が突発性難聴になる。
2016年1月、メニエール病になる。
これまでに仕事、ロクに休んだ事ないのに、この時は3日休んでくれました。
ダンナに「出来ない時は出来ないで良いんだからね」と結婚後は・じ・め・て言われて、どどーーーーーっっと肩の荷が降りる。
それから毎日昼休みに「具合はどう?」「身体の調子はいかが?」というテンプレートのようなメールが来るようになる(笑)
「大丈夫」って送って返してたら、もっと正直に詳しく書いてって言われたので、それからは「フワフワする」とか「耳が聞こえにくい」とか細かく書くようにしました
今こうして離れてみて、まぁ、ほぼ毎週末帰ってくるけど…ダンナが居てくれるから今の私が居るんだと、ようやく彼との距離感が掴めたように思います
スピード婚、そしてデキ婚、ほぼ直感で彼と夫婦になったので、色んなことが後から後から見えてきます。
あれ?すごく優しい人なのに、子供には優しくないんだ…いや違う、扱いが解らないだけなんだ。とか。
自分がプラモやモデルガンをいじってると、私にも「なんか作らないの?編み物しないの?」って促してくるの、面白いな~とか。
部屋が汚くても、洗濯がたまってても、なぁ~~んにも言わないでその中で笑って暮らせるとか。
サプライズプレゼントが嫌いで少しも喜ばないくせに、自分がサプライズプレゼントするのは好きで、絶対私が喜ぶと思ってるとか。
(数年で「サプライズより自分で選びたい」とカミングアウトしました。メンズサイズのカーキ色のMA-1をもらっても嬉しくないからっ
)かっこいいじゃーん
じゃねぇわ。
『真面目3お笑い4毒3』くらいの男です。
私は『真面目3お笑い3腑抜け2闇2』くらいの女です。
よくここまで来たもんです。
でもこの先も、彼じゃなきゃ絶対ダメ。
浮きもあり、沈みもあり、同じときもあり、違うときもあり。
ヤツは言うのです。
「生まれ変わったら、今度は別の人と結婚すると思う~」って。
私とは今回結婚したから、もういいんだって。
じゃ、私も今度は金城武くんの生まれ変わりと結婚するもーん

いいトシして、そんなバカポジションに納まる私たちなのでした。
磁器婚式。
私はもうずーーーーっと、毎年毎日、雑貨婚式だよーっと

今はもう、イライラの代償に雑貨が増えるのではなく、日々をより楽しく暮らすために増やしているのであります

以上、また読んじゃった
ごめんねー、ホント、長くて。
読まなくていいって言ったのに~~
じゃ、ダンナに初めて買ってもらった雑貨を載せちゃうね
経年で良い色に変色してきて可愛い
こんなとこまでお付き合い
ありがとうございました
うちら夫婦の結婚記念日なのだ
磁器婚式というらしいです、
さぁて、振り返ってみっか
ひたすら長いしグチっぽくもなるので、スルーしてくださいね
1997年4月にお互い同じ営業所に転勤になり出会う。事務職同士なので、彼の下につくことに。
音楽とか映画とか本とかすごく趣味が合ったので、毎週末遊びまくるくらい急接近。
2人とも確実なインドア派だったのが全てを加速させました。
8月には付き合い始め、11月にお互いの親に紹介して、12月に入籍
半月後、一人暮らしの船橋のワンルームアパートから亀有の2DKアパートに引っ越し。
1998年3月14日、身内だけで式と簡単なお食事会。
同年7月にムスメが産まれて。
2000年4月、転勤で八戸に引っ越し。
だーれも知らない土地での子育ては気が狂いそうでした。
ダンナはほとんど仕事で家に居ないから、なーんか、私はいつもひとりぼっちな気がして。
よくダンナにきつく当たりました。
子供のお世話も家事も、自分からは何にもしない人だったので。時間がないから出来ないって。
同じ職場に勤めてたから忙しいのはじゅうぶん承知の上だけど、たしかに日曜しか休みがないのはかわいそうだけど、その休みにゲームしてたりプラモ作ったり、じっくり遊んで休みたいのはわかるけどっっ
買い物やらムスメのお相手やらを頼めば「ちょっと待ってて」と言ったまま30分だー1時間だーが過ぎ、私はイライラして「もういいっっ」とブチ切れ、だんだん彼になにかを頼む事をやめ、どんどんストレスが溜まっていく。
幼稚園年中さんになった春、運転免許を取りに行きました。習い事をさせるのに、ママが車で連れて行くのが当たり前の地域だったので…
バスもないし、歩ける範囲に習い事の教室がなかったし。
ものすごく怖がりなので本来なら運転なんてもってのほか。千葉・東京に住み続けてたら絶対取らなかったと思う。
でも、ムスメのためには取っておいて本当に良かったとあとあと思うのです。
運転できるようになり、ムスメも大きくなってきて、ママ友もでき、手芸も始めるようになって、私自身の日々が少しずつ安定してきたからなのか、ダンナが何にもしなくてもだんだんどうでも良くなってきました。
免許取るお金、出してもらったしなぁ…と、お金で割り切るようになりました。
雑貨に目覚めたのもこの頃だったので、ダンナにイラついたらプチ雑貨を買って、彼が働いてくれてるから好きなものが買えるんだと自分に言い聞かせてました。
彼は新しい何かが増えても全く気付かない人なので、生活費と相談しながらプチプチ小さな雑貨が増えていきました
2007年4月、ムスメ小学3年に上がる時に転勤でここ仙台へ。
4月下旬、ダンナがパンクして、仕事を辞めたいと言い出しました。
八戸と仙台では仕事量が違いすぎて、求められる事が多すぎてついていけないと。
私とムスメも、転校先の学校で頑張って馴染もうとアンテナをビンビン立ててくるくる動き回って疲れてたけど、ダンナも毎日毎日真っ白な顔をして帰って来てた。
限界だったんだなぁって思ったので、辞めてもいいよって言ったら、うっすら涙ぐんで「ごめんね」って。
後にも先にも彼の涙はそれだけ。
よっぽど苦しかったんだなぁって。
そしたら、私のこれまでの恨み辛み(ホントたまってたのよ)はチャラになりました。
今までありがとね、自分たちのことばっか押し付けててごめんねって知らないうちに言ってた。
結局、すっごい上の人(支店長さん)が話を聞いてくれて説得してくれて、辞めないで今日に至ります。
無理しないでいいから、お前の好きなようにやれって言ってくれたんだって
それからは、無理もするけど好きなようにもやってるから、何にも言わなくなりました。
2011年3月の震災の時も、職員の人たちの生活と仕事を一生懸命考えてたし、ガソリンが手に入るまでは車が使えないから片道1時間半毎日歩いて通ってた。
しばらくの間は日曜日なんてもちろん返上だったし、大変だから泊まってくればって言っても、絶対帰ってきて家族でご飯を食べた。
夜、家族全員がそろってることがホントに心の底から安心だった。
幼、小、中、高、大、入学式や卒業式、今時は両親そろって参加する人が多い中、うちのダンナが来たのは中学校の入学式だけ。
寂しかったけど、イベントが日曜日じゃない限り、遅刻も早退も途中抜け出しも出来ないからしょうがない。
震災の時、マンションの真後ろにある小学校にトイレを借りたり、テレビのニュースを見に行ったり、炊き出しをもらいに行ったり、お世話になったんだけど、学校の先生ってめちゃくちゃ大変だなーと思ったんだ。
自分にだって家族がいるのに家に帰れず、学校のある地域の人たちのお世話してたんだよ。
ムスメの担任の先生は、赤ちゃんが生まれたばっかりだったのに、奥さんと赤ちゃんの顔が見られたの、3日後だったんだよ。
そうゆう諸々のことを見たり聞いたり感じたりしながら、よりいっそうダンナを大事にしなきゃと思ったものでした
2015年5月、初めての単身赴任が始まる。
ムスメ、高2になって、学校が嫌になる。
たぶん、みんな頑張ってるんだから私も頑張らなきゃ、と気負いすぎてたんだと思います。
11月、私が突発性難聴になる。
2016年1月、メニエール病になる。
これまでに仕事、ロクに休んだ事ないのに、この時は3日休んでくれました。
ダンナに「出来ない時は出来ないで良いんだからね」と結婚後は・じ・め・て言われて、どどーーーーーっっと肩の荷が降りる。
それから毎日昼休みに「具合はどう?」「身体の調子はいかが?」というテンプレートのようなメールが来るようになる(笑)
「大丈夫」って送って返してたら、もっと正直に詳しく書いてって言われたので、それからは「フワフワする」とか「耳が聞こえにくい」とか細かく書くようにしました
今こうして離れてみて、まぁ、ほぼ毎週末帰ってくるけど…ダンナが居てくれるから今の私が居るんだと、ようやく彼との距離感が掴めたように思います
スピード婚、そしてデキ婚、ほぼ直感で彼と夫婦になったので、色んなことが後から後から見えてきます。
あれ?すごく優しい人なのに、子供には優しくないんだ…いや違う、扱いが解らないだけなんだ。とか。
自分がプラモやモデルガンをいじってると、私にも「なんか作らないの?編み物しないの?」って促してくるの、面白いな~とか。
部屋が汚くても、洗濯がたまってても、なぁ~~んにも言わないでその中で笑って暮らせるとか。
サプライズプレゼントが嫌いで少しも喜ばないくせに、自分がサプライズプレゼントするのは好きで、絶対私が喜ぶと思ってるとか。
(数年で「サプライズより自分で選びたい」とカミングアウトしました。メンズサイズのカーキ色のMA-1をもらっても嬉しくないからっ
『真面目3お笑い4毒3』くらいの男です。
私は『真面目3お笑い3腑抜け2闇2』くらいの女です。
よくここまで来たもんです。
でもこの先も、彼じゃなきゃ絶対ダメ。
浮きもあり、沈みもあり、同じときもあり、違うときもあり。
ヤツは言うのです。
「生まれ変わったら、今度は別の人と結婚すると思う~」って。
私とは今回結婚したから、もういいんだって。
じゃ、私も今度は金城武くんの生まれ変わりと結婚するもーん
いいトシして、そんなバカポジションに納まる私たちなのでした。
磁器婚式。
私はもうずーーーーっと、毎年毎日、雑貨婚式だよーっと
今はもう、イライラの代償に雑貨が増えるのではなく、日々をより楽しく暮らすために増やしているのであります
以上、また読んじゃった
ごめんねー、ホント、長くて。
読まなくていいって言ったのに~~
じゃ、ダンナに初めて買ってもらった雑貨を載せちゃうね


こんなとこまでお付き合い