60年に渡って 帝国ホテルの味を守り続けたフランス料理の
重鎮。料理にかけた波乱の人生を 振り返る自叙伝。
12歳のとき 相次いで両親が亡くなり 尋常小学校6年のとき
浅草の「ブラジルコーヒー」に 小僧ではいる。
その後 何とか帝国ホテルに 入った。
洗い場で 残ったソースをなめて味を勉強しようとすると
拳骨が飛ぶ。 味を見られないように 洗い場に来るお皿
フライパンには 必ず 洗剤が入ってくる。
大変な競争社会だったようです。
次に 転機になったところから 文章を引用します。
道が開けるきっかけは なべ磨きだった。
なべの内側をきれいにしておくのは料理人の基本的な心得の
ひとつだが 時間を惜しんで外側はあまり磨かないから
料理のしみが頑固にこびりついている。わたしは 休憩時間に
磨き始めた。ブラシで一生懸命こすってもなかなか落ちないから
かなりの重労働になる。午後の休憩時間に休みたいのを我慢して
2ヶ月ほどかけて 各部署にある200ぐらいのなべをきれいにした。
はじめは なかなか気がつかれなかったが 徐々にきれいななべ
が増えていく。調理場にぴかぴかのなべが目立ち始めたある日
私が洗い場で仕事に励んでいると ソースがほんのちょっぴり
残ったなべが回ってきて「あっ」と驚いた。だが がつがつ味見
をして 拳骨が飛んでくると困る。調理場を伺い 当番のシェフ
を見ると 小さく うなずいてくれた。一生懸命なめて味を舌に
のどに 腹にしみこませた。
やがて 石鹸水や塩の混じっていないなべが回ってくることが
次第に増えていった。 必死の行動が 先輩たちに伝わったのだ。
200種類くらいのソースの 味を覚え 自分なりに素材の分量を
割り出して ちびた鉛筆で隠し持った帳面にひそかに書き込み
下宿に返って整理して メモをためこんでいった。
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道が開けることって こういうことなんでしょうね。
これは 今の仕事でいきづまっている人にとって
ヒントになることではないでしょうか。
著者は 戦争にも行き いろんな波乱があったにもかかわらず
とにかく前向きに物事を とらえていって それがご自分でも
自分の いいところである・・と言っています。
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