たんぽぽの夢・4(葛藤) | 孤独な音楽家の夢想

たんぽぽの夢・4(葛藤)

(承前)

 

 本当に驚いてしまったが、星野富弘さんが4月28日に、亡くなられた。足利市民合唱団でも、《花に寄せて》を演奏するので、昨年の10月に、みんなで「富弘美術館」へ、バス遠足に出かけたところである。

 ・・・こういう言い方は、まったく不謹慎であるが、これで、このコンサートが完成された、と僕は思った。このように仕組まれていた、とさえ感じる。

 僕は《花に寄せて》の第1曲〈たんぽぽ〉を中心に、コンサートのプログラムを考えたものの、正直、もどかしさを感じていた。なぜなら、中心となるべき事が、すっぽり抜けているからだ。・・・抜けているというのは、僕の父への想いや、田部井さんへの想いというものが、ごく個人的であるために、それを合唱団のコンサートとして、前面に出すことができない、ということである。プログラムは、順番も含めて完璧なのに、公言することのできる軸がない・・・。軸がないので、練習においても、また演出しようとしても、全てが曖昧で、中途半端なものになってしまう。肝心要のメッセージを言わないせいで、全体がぼやけてしまっている。想いは「弔い」でありながら、それを前面に出すことのできないもどかしさ・・・。

 しかし、星野さんが亡くなられたことで、この演奏会が、死者を追悼する演奏会として、開催することができるようになった。・・・これで、僕の父への想いや、田部井さんへの想いを、公言することなしで、その想いを個人的に演奏会に乗せることができるようになったのである。

 

 先ほど説明した通り、プログラムを選曲した当初、個人的な「弔い」の想いは伏せておこうと考え、副題を「あなたに捧ぐ、歌の花を。」として、当たり障りのないものにした。(本当は他にいくつか副題を考えていた。)そして、プログラムに「春」を連想させる楽しい曲が並んでいるので、特に演出などしなくとも、一般的なコンサートのように淡々と演奏だけしても、春のコンサートとしては十分だろうと思った。だから僕は、個人的な「弔い」の想いを僕の中だけに留めておいて、今回は特に演出しないで、指揮者に徹して音楽に集中しようと考えていた。人を弔うには、かえってそのくらいのクールさがあったほうが良い、とも・・・。

 しかし、コンサートが近くにつれ、舞台ということを考えた時に、やはり、それだけでは「足唱コンサート」としては不十分な気がしてきた。これまでの「足唱コンサート」では、必ず僕が演出をしてきたのだ。演奏と演出がひとつとなって、はじめて、僕たちの「足唱コンサート」となる・・・。また、せっかくこの渾身のプログラムを、僕が指揮するというのに、メッセージが何もないのでは、僕が指揮する意味がない。僕が指揮する意味・・・。

 

 コンサートも近づき、いよいよ、チラシを製作する段になって、担当者が、仮でデザインしてくれたものを見せてくれた。・・・そのデザインが、あまりにも、副題「あなたに捧ぐ、歌の花を。」に寄せられていたし、担当者が言うように、全体がはっきりしたイメージではなく、曖昧な雰囲気でまとめられていた。・・・それはそれで、とても素敵なデザインだったが、正直、困ったと思った。僕が苦し紛れに、あの副題を付けたばかりに、コンサートのイメージがぼやけてしまったのだ。・・・このまま進めば、本当に、コンサートそのものが宙に浮いてしまい、演奏でさえ、取り返しのつかないことになる。僕はこの時、心の底から危機感を覚えた。(なぜ、僕があのプログラムを考えたのか・・・。なぜ、僕があの演奏順にしたのか・・・。みんなが全く理解できないではないか・・・。)

 そこで、・・・僕は言葉を濁しながら、差し障りのない言葉と言葉を繋いで、それらしいことを、担当者に説明しはじめた。しかし、言いよどみ甚だしかったので、僕はあるところで、正直なところを話すことにした。チラシならば、僕の秘めた想いを反映したとしても、そうおかしくはならないはずだ。秘めた想い——それが、コンセプト「たんぽぽの夢」である。もし本当に、そんなチラシができるのであれば・・・と、僕はそこで、かねてから考えていた副題「母に捧ぐ、たんぽぽの夢。」に変えたいと、思い切って提案してみた。・・・そうすれば、「弔い」という意味をぼかしながらも、もっと具体的に、舞台を演出できる可能性がある、と。

 しかし、時は既に遅かった。役員会で反対を受け、却下された。僕のプレゼンもよくなかった。コンセプトの根幹部分、つまり、僕の父への想いや、田部井さんへの想いを、明確に言うことができなかった。やはりそれは、合唱団の役員会という公式の場においては相応しくなく、伏せておかなければならないことだった。田部井美和子さんもその場に出席していた。結局、コンセプトの軸が明確でないので、僕のプレゼンはとても曖昧なものになってしまい、賛同を得ることができなかった。酷い結果である。そもそも、ホームページなどで、既に副題を公表しており、今更、変更は難しいというのである。

 ・・・この時に、僕は決意した。こういうことは、自分のソロ・コンサートでやろう、と。僕はそれで、すっかり意気消沈してしまった。今回は何も演出しない。はじめに考えた通り、ただただ、指揮者に徹すればいいのだ、と自分に言い聞かせた。

 

 そこに、星野富弘さんの訃報が飛び込んできたのである。僕は正直、これで、このコンサートが出来る、と思った。・・・そう思った途端、みるみるうちに演出プランが組み上がった。「果報は寝て待て」と言うが、まさに、ぎりぎりまで待っていた。信じられないタイミングである。

 ・・・これは、とても不思議な体験であった。多分、演出プランの骨格が、いや、コンサートそのものが、既にどこかに出来上がっていたのだろう。・・・どこかとは、僕の中なのか・・・、それとも、もっと次元の違うところなのか・・・、それは分からない。確実だと思うことは、それがどこかに秘められていた、もしくは、どこかに隠されていた、ということである。それが、星野さんの死の神秘をもって、ここに開かれたのだ。

 ・・・このことから、このコンサートは、まさに、予言的であった、と思わざるを得ない。

 

○「久叡館」の庭に咲く「たんぽぽ」。風に揺られながら、じっと「綿毛」になるのを待っている。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史