人生の秋・4 | 孤独な音楽家の夢想

人生の秋・4

(承前)

 

 ところで、だいぶ昔の話になるが、僕が芸大を卒業した2000年からの3年間、「小澤征爾音楽塾」の第一期生として、オペラ《フィガロの結婚》(オペラ・プロジェクトⅠ 2000年)、オペラ《コジ・ファン・トゥッテ》(オペラ・プロジェクトⅡ 2001年)、オペラ《ドン・ジョヴァンニ》(オペラ・プロジェクトⅢ 2002年)に参加させていただいた。ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任が決まった小澤マエストロ本人によるオーディションに合格したのだ。けれど、あの頃の僕らは、本当に何も分からなかったに等しい。リハーサルは夢のような世界だった。・・・世界のマエストロ、小澤征爾による音楽稽古。世界で活躍する演出家、デイヴィッド・ニースによる立ち稽古。世界の主要歌劇場で活躍する歌手たちと共に、ひとつひとつのシーンをつくりあげる・・・。それら全てが、何にも代えがたい経験となったことは間違いない。・・・この時に、僕ははじめて本当のオペラを知った。

 ・・・マエストロが亡くなられた今、改めて思うことは、マエストロが齋藤秀雄に教わったこと・・・、そしてカラヤンやバーンスタインから教わったこと・・・、そしてご自身が苦労して経験してきた全てのこと・・・、それらを全て次の世代に伝えようとしていた・・・ということである。これを教育と言うのであろう。結局、2世代、3世代と、人を育てていかなければ、文化の継承が起こることはなく、文化はすぐに途絶えてしまうだろう。書物で勉強できることは少ない。本当に大切なことは、人から人へ伝えなければならない。その役割を、マエストロは誰よりも強く感じておられたのだろう。人が人を育てる・・・。

 

 ・・・若い人たちを教えることが増えてきた今、僕自身、そうした問題に直面している。僕はこれまで、先輩方からたくさんのことを教わってきた。それを今度は、僕が返す番である。けれども、技術を教えることはできても、音楽を教えることは難しい・・・。・・・この間、ヴォイトレを受けにきた子に、ちょうどそんな話をしたところである。(彼は大学で哲学・倫理学を勉強しており、論文のテーマにするという安楽死と尊厳死について語り合った。ほとんどヴォイトレはそっちのけで・・・。死と宗教と音楽、そして声楽は、切っても切り離せない関係にあるのだから・・・。)

 ゴールデンウィークの5月4日(土)に、コール・エッコが出演するコンサートがある。佐野市民文化振興事業団の設立30周年記念コンサートである。芸大の同級生のピアニスト新井啓泰くんや、足利高校の後輩のチェリスト佐藤愛雅くんも出演するコンサートである。とても出演したかったコンサートだが、他の仕事をどうしても調整することができず、出演することが叶わなかった。そこで、団員であるチャンドラー秋くんに、団内指揮者として、代わりに指揮をしてもらうことにした。彼は学校の教師をしており、幼少時からの音楽経験が豊かである。・・・今、合唱団の稽古は、彼が指揮をして、僕がアドヴァイスをする形で進めているのだが、これが実際なかなか難しい。指揮を技術的に教えることはできても、音楽そのものを教えることが難しいのだ。指揮者としてみんなの前に立つ彼が、目の前の音楽に何を感じ、何を考えているかが、指揮にとってとても重要なことである。これを少し極端に言うならば、自分の人生に何を感じ、何を考えているか、ということとほとんど同じである。だから、音楽と人生は、一緒に学ばなければならない・・・というのが、僕の考えである。音楽することはすぐにはできないし、指揮することもすぐにはできない。何事も経験である。

 

 僕の人生にとって、僕自身を深め、また高めることが最も重要なことであるが、そのことによって何らかの影響があり、僕の周りにいる若い人が深まり、また高まることができたとしたら、それはこの上ない喜びとなるであろう。それが、僕がこの世に存在した意味となるのかもしれないからだ。残念ながらきっと僕はこの世で何もすることができないし、この世に何も残すことはできないが、文化の継承ということであれば、多少なりともこの世に役に立つことがあるだろう。それが人生の秋を迎えている僕の生の、唯一の希望となっている・・・。

 

 

by.初谷敬史