クェゼリン慰霊の旅・1 | 孤独な音楽家の夢想

クェゼリン慰霊の旅・1

 「ジャングルに向かってほえろ!」・・・この三枝さんの思い切った呼びかけが、僕たちの魂の奥深くにあるものを震わせ、何かを呼び起こす・・・。このアイデアは、三枝さんが若い頃から、こころの中でずっと温めてきたものだそうだ。これまで、オペラ『Jr.バタフライ』(2004年)や、六本男声合唱団倶楽部10周年記念委嘱による『最後の手紙~THE LAST MESSAGE~』(2010年)といった自身の作品で、自らが想い、感じる戦争に向き合い、2011年1月、ついに実現したのが、「第1回戦没者慰霊献歌ツアー 〜フィリピン・レイテ島(カンギポット峰遥拝所)、ルソン島(マバラカット西飛行場跡)」であった。

 このフィリピンでの慰霊献歌の経験を経て、2013年には、オペラ『KAMIKAZE-神風-』が作曲された。関行男大尉の率いる神風特別攻撃隊「敷島隊」の5機は、ルソン島「マバラカット飛行場」から飛び立ち、レイテ湾のアメリカ艦隊に突っ込んでいった。これが、神風特別攻撃隊の第1号であった。

 

 当時、僕は先の大戦のことについて、正直、何も分からなかったし、知ろうともしなかった・・・。太平洋戦争・・・、もう、埃が被っていてもいい事柄である筈なのに、まだ何となくその話題は生々しく、口に出してはいけないような雰囲気も周囲にあるように思え、しかし、僕にとっては、親戚からもそういう話はあまり聞いたことがなく、また、歴史の教科書にこそ載ってはいたが、授業で詳しく勉強した記憶もなく、・・・そうは言っても、僕ら日本人にとって重要な事柄であることは分かっているが、何となく難しく、複雑な感じがして、積極的に知ろうとは思えなかった。それどころか、何故か煙たがって、そういう話には敢えて近づかないようにしていたとも思う。

 しかし、三枝さんは言うのだ――「あの戦争で、戦死してくれた人がいるから、いまの僕たちがこうして生きていられる」・・・と。・・・けれど、僕はこの言葉に対して、半信半疑だった。・・・確かにそうかもしれないが、僕には、まったく実感がない。戦争はもちろん、戦後の復興も、高度経済成長も、僕は経験していないのだ。

 

 ・・・僕はその言葉の意味を、繰り返し考えた。見ず知らずの戦死した兵士と僕とは、一体どのような関係があるというのだろうか・・・。彼らが死んだことと、僕が生まれたことに、何か因果関係があるのだろうか・・・。彼らが死ななかったら、僕はいま、果たしてこのように生きていられなかったのだろうか・・・。そもそも、なぜ彼らは死ななければならなかったのか・・・。唯一の自分の命までかけて、守りたかったものがあったというのか・・・。

 ・・・僕は最終的に、次のような疑問に辿り着いた――「僕は一体、何者であるのか・・・」。この疑問に、正確に答えるためには、自分がどんな時代に生まれ育ち、どんな土地に住んでいるのか・・・、縦横の軸を考察しなければならないし、更に、それらはどんな関係の上に絶妙に均衡を保ち、成り立っているのか・・・を、多角的に捉え、調べてみる必要があるだろう、と思った。

 例えば、明治維新や鎖国、源平の合戦、仏教伝来、古墳群と銅鐸・・・のような歴史上の事柄とて、肉体や遺伝子、また、風土、文化、道徳、習慣、感性、更に、もっとスピリチュアルな意味での魂や因縁のレベルにおいて、僕という人間を形成するにあたって、少しなりとも関係しているのだとすれば、約70年前に日本国民が総力をあげて戦った戦争が、ましてや、何百万人もの軍人と何十万人の民間人が亡くなった戦争が、僕にまったく関係ない筈はないのである・・・。

 

 何よりも僕のこころに引っ掛かったのは、人の「死」という問題であった。

 父親を癌でなくした僕は、ひとりの人の「死」が、どれだけ残されたものにとって悲しく、どれだけその人の命が尊いものであったのか、身に沁みてよく分かる。

 ・・・ひとりの人が、病気や老衰で亡くなったのではなく、(たとえそうであっても、家族にとっては一大事であり、精神的にも、物質的にも、生活のすべてが変わってしまうことであるのに・・・)、兵隊さんは、生きていたかったのにも拘らず、日本の「国体」を護るために・・・、そして、ふるさとに残してきた家族や大切な人を守るために・・・、過酷で残虐な戦闘によって、ましてや、あろうことか飢餓によって、ひとつの大切な命を落とさなければならなかったのだ。・・・この事実には、ひとりの日本人として、けっして眼を背けてはならないと思うし、「命の尊厳」と「死」について、ひとりの人間として、最大の「敬意」とこころからの「弔意」とを持たなければならない・・・と思った。

 

 戦争を考える上で本当に大事なことは、受験生が年号や箇条書きを暗記するような歴史的な出来事ではない。英雄でも、戦果でも、勝敗でもない。僕らが見つめなければならないのは、世界の根底・中心であるところの「民衆」ひとりひとりの存在、生活、想い、絆、希望、喜び、愛・・・である。世界は、何のためにあるのか・・・。それは、民衆ひとりひとりの「命」のためにあるのだ。

 僕たち日本人が、眼を背けたくなるようなこのことに・・・、忘れられるならば忘れたいこのことに・・・、知らなかったと眼をそらせ、無関心を装いたいこのことに・・・、三枝さんは、ひとりの音楽家として、ひとりの日本人として、ひとりの人間として・・・、真っ向から向き合ってきた。三枝さんは、けっして器用ではない。だから、自分の想いをストレートに表現できる方法をとる。

 ・・・そう、そこで亡くなった兵隊さんの魂に向けて、あらん限りの声で、ふるさとの歌を叫ぶのだ。帰ってきたくとも、帰れなかった兵隊さんの魂に、哀悼と、感謝と、決意を込めて、叫ぶのだ。

 

 僕はそこで、その時、一体何が起こったのか・・・、なぜその人が、そこで死ななければならなかったのか・・・、ひとつずつ勉強させていただくつもりで、この活動に参加したいと思った。そして、二度とこのようなことが起こらないように、この眼で過去をしっかりと見ておきたい・・・と強く思い、ツアーに申し込んだ。

 何もできない僕ではあるが、還ることのできない兵隊さんの悲しみや無念の気持ちによりそって、ふるさとの歌なら歌うことができるから・・・。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史