レクチャーコンサート「無垢と犠牲」に寄せて・3 | 孤独な音楽家の夢想

レクチャーコンサート「無垢と犠牲」に寄せて・3

(承前)

 

 ピアノ合わせにおいて、自分の歌や声を改めて聴いてみると、子供からはかなり遠い存在になってしまった・・・と気付き、嘆かざるをえない。どうやっても子供には戻れないし、ずいぶんいろいろと余計な物が付いてしまったものである。

 いま、子供たちを見ると、まだ何も分かってないのに・・・、とか、大人になってから物を言いなさい・・・とか、つい子供扱いしてしまう。しかし、僕の幼少期を思い起こせば、思考について言えば、かなり幼い時期において、それは既に、いまと変わらないレベルにあったと思う。大人が考えている以上に、子供はいろいろなことが分かっているのである。それは、何にも捕われない眼で世の中を見ているせいである。それ故に、時々、大人がドキッとすることを平気で言ったりする。

 「子供」とは、いったいどういう存在なのだろうか・・・。

 

 僕は比較的、幼い頃の記憶がはっきりと残っているほうだ。

 ・・・少年だった僕は、仏の子として育ち、そして仏と共に生きていた・・・という実感がある。田舎で育ったことや、家に仏壇があったこと、寺の附属幼稚園に通っていたことなどが大きく影響したと思う。一方、家の裏にある神社は、町内の祭があったり、境内で友だちと遊んだりしたが、特別に信仰の対象にはならなかったし、キリスト教の神などは、触れる機会がなく、僕からは遠い存在だった。

 この幼少期の僕は、精神的に何からも自由で、ぬくぬくとして幸せであったように思う。子供特有の孤独感は常にあったが、自分に対して、唯一の無償の愛を施してくれる親に守られていることと同じように、大いなる仏に守られていたと思うからだ。絶対的な安心感・・・。

 いま思えば、親鸞の「ひとえに親鸞一人がためなりけり(阿弥陀の誓いは、自分ひとりの為にたてられた)」という境地を体現していたように思う。阿弥陀仏は、見捨てられた人たちを見て、「私がすべての人を助けよう・・・」と立ち上がり、誓いをたてた・・・。そのようなことを、当時の僕は知る由もなかったが、仏は僕のために存在し、僕は仏のために存在していた。これは、自分さえ救われればいい・・・というものではなくて、みんなの幸福、みんなの平安ということを願っていたのだ。みんなが幸せでなければ、僕の幸せはなかった。

 この仏と僕との間の絶対的な関係は、仏からの働きかけだけでは成り立たなかっただろう。そこには、子供ごころに、仏の働きかけに応える僕の信じる一念があったと言えよう。

 子供が天真爛漫でいられるのは、こうした絶対的な安心感があるからである。

 

 しかし、安心感の裏側には、いつも恐怖心があった。夜中にトイレに行くのが恐い・・・という子供の感受性は正しいだろう。ありきたりの知的な思考は、感受性を鈍感にさせる。見えないもの、聞こえないものは、存在しないものだと思い込んでしまうのだ。・・・子供はいつでも、あちらの世界と通じている。

 シューベルトの歌曲「魔王」で、必死に父にしがみついている子供には、魔王の姿が見えているのだ。今回、僕が歌うマーラーの歌曲「この世の暮らし」(『子供の不思議な角笛』より)の子供も、「母さん、お腹すいたよ!」とパンを欲しながら、もしかしたら、自分を死へと引きずり込もうとする悪魔的な存在が見えていたのかもしれない・・・。

 子供は、そうした眼に見えない善と悪の不思議な存在の狭間で生きているのである。

 

 子供のイサクは、無垢なこころと、大いなるものから引き継がれた魂で、神と父を信じることができた。そして、大人であるアブラハムも、神を信じることができた。

 ではなぜ、アブラハムが神を信じることができたのか・・・。

 それは、神の存在を、全身で感じることができたからではないかと思う。神の存在は絶対的である。そして、その存在は、「愛」そのものなのだ。僕も以前、ある神社の祭において、全身で神の存在を感じたことがある。その時、「神は、清々しくあられ、本当にありがたい存在だ・・・」と感じ、魂が震えた。その震えによって自然と涙が溢れ、止まらなかった・・・。ましてや全知全能の神ヤハウェである。それは人間の知性を超え、疑いを超え、愛する我が子を生け贄に捧げるほど、「信」に値するものなのであろう。

 

 今回のコンサートで、「子供」という容易に推し量ることのできない超越した存在、そして、カンティクルにおいて、絶対の存在である神を前に、アブラハムが経験した葛藤の片鱗が、にじみ出る歌になれば・・・と思っている。

 

by.初谷敬史