レクチャーコンサート「無垢と犠牲」に寄せて・1 | 孤独な音楽家の夢想

レクチャーコンサート「無垢と犠牲」に寄せて・1

 ベンジャミン・ブリテンを歌う時がきた。この日がくるのを、僕はどれだけ待ち望んでいたことか・・・。

 これまでも、歌おうと思えば、プログラムに組み込むことは可能だっただろう。しかし、その機会は作られなかった。僕は、ブリテンを歌うことに値しなかったのだ。いや、彼から許可がおりなかったのかもしれない・・・。

 

 ベンジャミン・ブリテン・・・。

 僕が彼を特別な存在として慕うようになったのは、もちろん、親友の向井大策くんの影響だ。大学2年生の時、同級生で楽理科だった彼と知り合い、彼が研究するブリテンに出会った。当時、僕は無知で、そんな作曲家がいることも知らなかったし、その時代の音楽すら聴いたこともなかった。ブリテンの音楽はあまりに高度過ぎて、理解しようとさえしなかった。しかし、向井くんと親しくなっていくにつれ、ブリテンの名は、僕の中で特別な響きをもってゆき、もっとも親しみをもち、もっとも敬愛する作曲家となり、彼の作品を演奏することが、僕の音楽する目標ともなっていった。

 僕は彼に近づくために、手始めに、イタリア語の詩による歌曲『ミケランジェロのソネット』を勉強しはじめた。高先生のレッスンに持っていくも、面白くない・・・と撥ねられた。もちろん、満足に歌うことはできなかった。僕の歌の技術では、どうにもならなかったのだ。

 ・・・しかし、僕はいつか勉強するときがくるだろう・・・と、足しげく図書館へと通い、ブリテンの声楽作品の楽譜をコピーし、収集しておいた。

 

 高先生のレッスン以来、自分での勉強はいっこうに進まなかったが、ラッキーなことに、ブリテンを公に演奏する機会を得られることとなった。僕が大学4年生の時、NHK交響楽団の定期演奏会で、ブリテン『春の交響曲』を演奏するのに、芸大声楽科に合唱の依頼があったのである。僕は当時、芸大合唱の全体のリーダー(インスペクター)をしており、NHK交響楽団との交渉からすべて、僕の手によって進めていくことになった。しかし、僕はブリテンのことについて詳しくなかったので、向井くんに手伝ってもらって、日本語訳や資料などを作ってもらった。

 

NHK交響楽団第1379回定期公演

1999年5月13(木)、14(金) NHKホール

指揮:アンドレ・プレヴィン

ソプラノ:シェリー・グリーナヴァルド

メゾ・ソプラノ:ロバータ・アレクサンダー

テノール:アンソニー・グリフィー

合唱:東京藝術大学(合唱指揮:ジョン・オリバー、田中信昭)

児童合唱:東京少年少女合唱隊(合唱指導:長谷川冴子)

 

 公演を終えて、思わぬ人が、舞台袖の僕らのところに現れた。小澤征爾さんだ。その日、たまたま客席で聴いていたのだ。そして、あまりに合唱が素晴らしかったので、興奮して舞台袖まで飛んできて、その感動を僕らに熱く語ってくれたのだった。

 ・・・この時の出会いが、小澤征爾さんが2002年のシーズンからウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めるにあたり、オペラを通して若手音楽家を育てようと、2000年に設立したプロジェクト「小澤征爾音楽塾」へと繋がっていったのである。僕らは、その一期生として、創立から3年に渡ってプロジェクトに参加し、世界一流の歌手や演出家などを揃えた本物のオペラを、一から勉強させていただいたのだ。

 

 すこし脱線してしまったが、僕はいま、ブリテンを、生身の人間のように、とても近しく感じることができる。それは、もちろん、ブリテンを探しに、イギリスへ渡った経験からである。

 2011年8月、向井くんがブリテンの研究のために、ブリテンの家「レッドハウス」のある「オールドバラ」に長期滞在していた時、僕は彼を訪ねて、遊びにいったことがあった。ロンドンから、電車とバスを乗り継いで辿り着いたひなびた漁村。・・・そこには、ブリテンを感じるあらゆるものがあった。ひと夏の賑わいを見せる通りと礫の浜、使い古され役目を終えた漁船、自由を勝ち取ったかのようなカモメたち、荒々しい黒い海に吹き荒れる風、堰を切ったように打たれる教会の鐘の音・・・。彼はここを愛し、生涯離れることがなかった。

 そう、いまも、彼はそこに眠っている。親友のピアーズと共に・・・。彼らの墓は、墓地の奥にひっそりと、寄り添うように並んでいる。僕らは、まるで「かくれんぼ」のように、彼らの墓を探した・・・。大きな木の下で、ようやく彼らを探し当てた時、僕はほほ笑ましく思った。彼らの墓標は、すこし内側に傾いていて、まるで肩と肩を寄せあっているように見えたからだ。僕はそこでドキリとした。ブリテンの亡くなった年号「1976」が刻まれてあった。それが妙に浮き立って見え、何かを訴えているようであった。僕らの生まれ年「1977」と、何か関係があるように思えた・・・。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史