ふたつの男声合唱団・4 | 孤独な音楽家の夢想

ふたつの男声合唱団・4

(承前)

 

 もうひとつの男声合唱団は、いま、僕の合唱指揮者としての活動の中心ともなっている「六本木男声合唱団 ZIG-ZAG」である。

 僕は、三澤先生のアシスタントとして、2004年に「六本木男声合唱団倶楽部」にやってきた。男声合唱の経験は、「志木グリークラブ」で充分に積んでいたし、大型合唱団も多数経験があったので、僕は比較的、自信をもって「ロクダン」に来たつもりだった。・・・しかし、ロクダンでは、僕の予想を遥かに超えて、すべての勝手が違った。

 

 音楽に関してのことを取りあげてみれば、僕がこれまで経験したことのないような複雑で難解な音楽を稽古しなければならなかったし、岩城宏之さんや、小林研一郎さん、大友直人さんなどの大指揮者の下棒として、サントリーホールや海外の有名な劇場などで演奏するために、きっちりと仕上げなければならなかった。しかし、一流のオーケストラや一流のソリストと共演するためには、僕がこれまでやってきた自己流の音楽方法では、まったく歯が立たなかった。・・・僕は「仕上げる」という意味さえも、当時、よく分かっていなかったのだと思う。僕はそこで、合唱指揮者として、団長の三枝成彰さんや、三澤先生のもとで、音楽を一から勉強し直し、経験を積み重ねていかなければならなかった。

 いま思えば、僕は音楽の何も理解していなかったし、経験が全く足りていなかった・・・。

 

 僕がロクダンにやってきて1ヶ月が経った頃、あるレコーディングがあった。モンゴル出身の関取「時天空(ときてんくう)」を応援する歌「時天空」(作詞:眞木準、作曲:三枝成彰)を、三澤先生の指揮で、CDレコーディングしたことがあった。僕はアシスタントとして当然、関わっていたし、録音では合唱に混じってトップ・テノールを一緒に歌った。

 ・・・時天空関は、2004年3月場所に十両に昇進し、2004年7月場所に、たった2場所で新入幕を果たした。これは史上最速タイ(貴ノ花関)記録である。僕たちがレコーディングしたのは、破竹の勢いで入幕したすぐの頃だった。

 その後、時天空関は、柔道経験を活かした巧みな足技などを武器に、目覚ましく活躍し、小結まで上り詰めた。しかし、2015年、悪性リンパ腫であることが分かり、やむなく休場し、抗がん剤治療に取り組むことになった。土俵の復帰を願って、病気をやっと乗り越えるも、闘病生活が予想よりも長引いたために、現役の時ように身体を戻すことができず、残念ながら引退を表明することとなった。

 そして、この度、年寄「間垣(まがき)」を襲名することとなり、今後は、後進の指導にあたっていく覚悟であるという。

 

 その「間垣親方襲名披露」の祝賀会において、「六本木男声合唱団 ZIG-ZAG」は、歌をプレゼントした。入幕した当時歌った、あの応援ソング「時天空」である。・・・あれから12年・・・、ロクダンも「ZIG-ZAG」として生まれ変わり、時天空も「間垣親方」となった。

 ・・・僕の指揮は、ステージ上の団員の歌と共にあった。メンバーの姿は凛々しく、眼はいきいきと輝いていた。そして、ひとつひとつの言葉には、辛い闘病を乗り越え、これから新たな未来へと一歩ずつ歩んでいく間垣親方に向けて、まごころがこもっていた。

 ・・・とてもいい仕上がりだった。僕がこれまでやってきた、さまざまなことが結ばれた歌だと思った。流麗なハーモニーを重厚に響かせ、骨太で勇壮なメロディの芯をしっかりと捉えていた。力強く、そして温かく、希望に満ちたア・カペラだった。

 

 間垣親方の門出を祝うステージの数日後、新しいロクダンになって初となる「東京カテドラル」での「レクイエム」のコンサートがあった。

 昨年11月に行われた同コンサートで、「六本木男声合唱団倶楽部」は解散し、年を明けて、「六本木男声合唱団 ZIG-ZAG」が再結成された。ロクダンは、「カテドラル」に終わり、「カテドラル」ではじまったのだ。

 

 そのコンサートを迎えるにあたり、マエストロ稽古があった。そこで、大友直人さんが言った――「ロクダンの組織が、何が以前と変わったのか分かりませんが、合唱はよくまとまっていますね!」・・・大友さんは、誰よりもロクダンのことをよく理解していたし、だからこそ、人一倍、ロクダンの行く末を心配してくれていたのだ。

 昨年のコンサートの打ち上げは、ロクダンの「解散式」となった。その際、壇上で、大友さんは、いつになく長々とスピーチをした。三枝さんのこと、そして、ロクダンのことについて、この活動がどんなに素晴らしいことなのか・・・、団員に熱く訴えかけてくれた。・・・あの大友さんのスピーチがなければ、もしかしたらロクダンは、そのまま空中分解していたかもしれない・・・。そんなふうに思うほど、その言葉のひとつひとつに説得力と愛情とがあった。

 

 あれから一年、新しくなったロクダンでは、いままで以上に、音楽のすべてが僕に任されることになった。予算の都合もあり、これまでのパートリーダーによるパート練習はなくなり、音取りから仕上げまで、すべて僕の手によって行われている。その中で、発声や音色、ハーモニー、ソルフェージュ、フレージングやアーティキュレーションに至るまで、徹底して音楽構築することができた。

 また、団の改革によって「出席率」が重視されることとなり、稽古で確実に積み重ねていくことができるようになった。(これは、忙しい方々の集まりであるロクダンにとって、画期的なことだったし、指導者である僕にとっては切望していたことだった。)そして、「5人組」ならぬ「ユニット制」が導入され、団員相互の密な連絡によって強固な連帯感がうまれ、また自主性や積極性が芽生えてきたことは大きい。

 1年振りにロクダンに接する大友さんの「まとまっている」という評価は、僕らにとって、いろいろな意味で、最高の褒め言葉だった。

 

 新たなロクダンのスタートとなった「カテドラル公演」は無事に成功し、大きな一歩を踏み出すことができた。

 ・・・これから多くのステージが、僕らを待っていることだろう。忙しいロクダンにとって、それぞれのステージを着実にこなしていくことは、試練であることに違いはないが、メンバー、こころをひとつにして、頑張っていきたいと思う。

 僕は思う――ロクダンは、もっとステキな合唱団になっていくに違いない・・・、と。

 

by.初谷敬史