夢の形・1 | 孤独な音楽家の夢想

夢の形・1

 桜の咲き始めた春のビッグニュースとして、みなさんに報告したいことは、新しく車を買ったこと。
 ・・・1月2日、いつものように無計画に、隣町の太田にある大光院「呑竜様(どんりゅうさま)」に、家族で久々に詣で、境内の賑わいを楽しんだ後、標高239メートルの「金山」を、はじめてハイキングした。この日は、ぽかぽかの小春日で、温かく眩しい光をたくさん浴びて汗をかきながら、金山城趾や本丸の新田神社を散策した。物見櫓からは、渡良瀬川の流れる足利や広々とした太田の街並みを眼下に、男体山、赤城山、榛名山、そして遠く秩父連山を気持ちよく見渡した。古より人びとが絶えることなく暮らし、大切にしてきたこの土地に生まれ、温かな家庭の中で健康に、そしてこころ逞しく育つことができたことに、改めて感謝した。・・・その帰り道、突然、思い立った。
 東京に戻って1月6日、さっそく近所のディーラーに出かけ、即決、購入。

 こんなに思い切ったことができたのは、かねてより欲しい車があったからである。勘違いしないでほしいのは、衝動買いをしたわけではない。・・・決断するか、それとも、しないか。
 この車に出会ったのは、いつの時だったか・・・、少なくとも5年くらいは前の話になるだろう。あまりにも恋い焦がれる気持ちが強かったので、この期間が10年にも20年にも感じられる・・・。ヴォクスマーナの練習のために、地下鉄で築地に行った時だった。練習会場の前に、何気なく駐車してあったのがこの車だ。・・・この車を見た瞬間、恋人たちが出会う映画のワンシーンのように、僕の眼はこの車だけに焦点が向けられ、周りのものは意識の輪郭が完全にぼやけてしまった。あまりのかっこよさに、周りの人にも聞こえるくらい大きな音をたてて唾を呑んだ。そして、車の周りを何度も通り過ぎてみた。それでも、不審者には思われたくなかったので、車内を覗き込みたい気持ちを必死で抑え、クールな顔で通りすがりを装うのが大変だった。・・・完全に一目惚れだった。
 ・・・それから、この車を街で見かける度に、眼がハートになった。僕は夢みていたのだ。いつか、こんな夢の車に乗って、首都高をぐるぐる巡って仕事に行ったり、かんかん照りの夏の暑い盛りにテニスへ行ったり、ぽかぽか陽気の日に誰かを隣に乗せて、どこか遠くへ遊びに出かけたりできたら・・・、と。

 購入には、ちょうどいい時期だったように思う。姉の車が、もう1月一杯で車検になるところだった。姉が丁寧に乗っていたとは言え、10年以上乗った上に、最後の1年半は、老骨に鞭を打って、百キロ超えの往復をこなしてくれていた。高速に乗ると、エンジンが唸ってもスピードが出ず、さすがに車の限界を感じていたところだった。・・・このまま車検に出して、また2年乗るのか、それとも、新しく車を購入するのか。
 新しく車を購入するにしても、基本的に車に関心のない僕にとって、選択肢は限られていた。ひとつは高価な「夢の車」、そして面倒のない手頃な「姉の車の新型」、もしくは、実際に車を乗るきっかけとなったひとつの想い「テニスに行ければいい・・・というだけの、おんぼろの軽自動車」。年末年始にかけて、僕は、乗り心地や使い勝手のよかった姉の車で、せめて新型を・・・と、気持ちが動いていた。

 新年になって、僕の気持ちに変化が起きたのは、自分の年齢を考えた時だった。いま、僕は38歳。(最近、なぜか、父の亡くなった60歳から逆算する癖がついてしまっている。亡くなった父もそうだったに違いないが・・・。)もし、これから10年乗るとしたら・・・、果たしてどの車がいいか。中古車や新古車、新車を含めて、選択肢は無限にある訳だが、これからの人生を、より輝かしいものにするために、もしかしたら、思い切って「夢の車」に乗った方がいいのではないか・・・。
 何度も買おうと思っては、その度に、大きなこころの穴をぽっかりあけるようにして諦めた車・・・。けれど、いま、自分の決断次第では、すぐそこまでやってきている・・・。僕は頭の中で、僕がその車に乗って、晴れ晴れと人生を謳歌しているイメージを繰り返した。そんな時、きっと、周りから見たら、何をそんなにニタニタして・・・と、笑われただろう。いいイメージをしている時は、幸福の時だ。何もかもが楽しく思え、気持ちが前向きになる。
 僕は最近、何事においても自分の殻を破り、自分に自信を持って、一歩前に踏み出したいと思っていたのだ。「夢の車」の購入は、その契機になるのではないか・・・と。

 新年に感じた幸先の良さに後押しされ、勢い勇んでディーラーに出かけると、僕の欲しい車種を長年乗っているという親しみのある販売員の紳士が、いろいろと説明してくれた。そこで耳にした「男の浪漫」、「男の夢を形にした車」という名文句で、僕のこころは完全にいちころであった。笑
 ポルシェやフェラーリでは、僕は正直、何も感じないが、この「夢の車」には、僕の男ごころをくすぐる何かがある。それは、スポーツカーならではのスポーティでパワフルな中に、気取らないシンプルさや気品、また洗練された優美さを兼ね備えているところだろう。・・・まるで、自分自身を見ているようである。笑

・・・つづく・・・

by.初谷敬史