私が直面している問題と

奥に類似性があるので気になったbusinessjournal~

「小室圭氏」についてです。あの眞子さまのお相手である、母子。

色んな「問題」で この心理作用は起きている気もする、、

 

言葉は違うが

自己愛さんたちの「俺は特別だから」「私は違うの」だったり。

も聞いてきた。

 

投稿は精神科医片田珠美氏。

 

小室さんは、秋篠宮家から結婚の条件として「安定した収入を得られる職に就くこと」と「母親が抱えている金銭トラブルの解決」を提示されていたらしいので、前者の条件を満たすための留学なのだろう。もっとも、留学費用をどうするのかと心配になるが、3年間で2000万円近くかかる授業料については奨学金を活用し、生活費については勤務先の法律事務所が支援するようだ。
400万円を超す母親の金銭トラブルはどうなのかといえば、返済を求めている母親の元婚約者に連絡は一切ないらしい。この元婚約者からすれば、アメリカに留学する資金があるのなら、貸した金を早く返してほしいというのが本音だろうが、

小室さん母子はあくまでも「贈与」だと主張しているので、そういう理屈は通じないのかもしれない。


借金を抱えたまま婚約者を日本に残して3年間留学し、

しかもその費用を他人から引き出すことが周囲の目にどう映るかに考えが及ばないし、

そんなことを考える必要などないと思っているからこそ、こういう決断ができるのだともいえる。

その意味では、自分には特権が与えられて当然で、義務を果たす必要もないと思っているのではないかと疑いたくなる。

 

<例外者>

 このような性格傾向を持つ人をフロイトは<例外者>と名づけている。

<例外者>とは、自分には「例外」を要求する権利があるという思いが確信にまで強まっているタイプである。もちろん、フロイトが指摘しているように、「人間が誰でも、自分はそのような『例外』だと思い込みたがること、そして他人と違う特権を認められたがるものであることには疑問の余地がない」。

 こうした思い込みは、自己愛による。そして、自己愛は誰にでもあるので、誰でも「自分だけは『例外』として特権を認めてほしい」という願望を多かれ少なかれ抱く。もっとも、そういう願望が心の中にあるからといって、実際に自分は「例外」だと広言し、「例外」として振る舞うことはなかなかできない。第一、社会では許されない。

 しかし、この思い込みが<例外者>は人一倍強い。

ただ、自分の思い込みを正当化するには特別な理由が必要なので、それを子どもの頃に味わった体験や苦悩に求めがちである。

本人は、自分には責任のないことで「もう十分に苦しんできたし、不自由な思いをしてきた」と思っている。そのため、「不公正に不利益をこうむったのだから、自分には特権が与えられてしかるべきだ」と考える。

さらに次のような思考回路に陥りやすい。

「人生は私に損害賠償をする義務がある。私は賠償を取り立てても許される。私には自分が<例外者>であることを要求する権利がある。普通の人が遠慮するようなことでも、実行する権利があるはずだ」

 何を「不公正」と感じるかは人それぞれである。容姿に恵まれなかった、貧困家庭に生まれた、親に愛されなかった、虐待を受けた……など、本人が不利益をこうむったと感じ、運命を恨む権利があると考えれば、それが自分は<例外者>だという思い込みにつながりやすい。

小室さんの場合は、やはり父親の死だろう。一部では自殺とも報道されているが、父親の死は、小室さんには責任がないにせよ、それによって受けた衝撃も、その後母親と息子が背負った苦労も、はかりしれない。その結果、「不利益をこうむったのだから、あらゆる損害賠償を求める権利を持っている」と思い込むようになったとしても不思議ではない。

問題は、<例外者>がしばしば特権を要求し、義務からも免除される権利があるはずだと確信していることだ。いわば裏返しの特権意識が強いわけで、それがしばしばトラブルを引き起こす。あくまで精神科医の立場から見た印象だが、小室さん母子が、母親の婚約者が用立ててくれたお金を婚約解消後も「贈与」とみなし、返済の義務などないと主張したのも、<例外者>特有の裏返しの特権意識によるのかもしれない。

 

もちろん、<例外者><例外者>であることを要求する理由として挙げる体験や苦悩には、同情すべきものが多い。しかし、だからといって裏返しの特権意識が目立つと反感を買う。小室さんへの世間の風当たりが強いのも、この反感のせいなのだろうが、そのことに本人は気づいていないように見える。風当たりへのセンサーの感度が低いのか、それとも風当たりなど気にしなくてもいいと思っているのか。

 

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他にも片田珠美氏はおなじく「例外者」の記事を書かれているのですが↓

 

<例外者>とは、自分には「例外」を要求する権利があるという思いが確信にまで強まっているタイプである。

もちろん、フロイトが指摘しているように、「人間が誰でも、自分はそのような『例外』だと思い込みたがること、そして他人と違う特権を認められたがるものであることには疑問の余地がない」。だから、この思い込みが人一倍強いだけなのだが、そう思い込むには、少なくとも自分で納得できるだけの特別な理由がなければならない。

 こうした理由は、子どもの頃に味わった体験や苦悩と結びついていることが多い。本人は、「自分はもう十分に苦しんできたし、不自由な思いをしてきた」と思っているので、次のような思考回路に陥りやすい。


「これはひどく不公正なことだ。人生は私に損害賠償をする義務がある。私は賠償を取り立てる。私には自分が<例外者>であることを要求する権利がある。普通の人が遠慮するようなことでも、実行する権利があるはずだ」

 

線の箇所。

これをしばしば目の前の他人に請求する人に出会った。

二者関係を結びたがる人や、「毒」と言われる人、など当てはまる気がする。

直接的な原因がない相手に、己の人生の不を請求してくる点が。


 何を「不公正」と感じるかは人それぞれである。

容姿に恵まれなかった、貧困家庭に生まれた、親に愛されなかった、大災害に遭遇した……

など、本人が不利益をこうむったと感じ、運命を恨む権利があると考えれば、

それが自分は<例外者>だという思い込みにつながりやすい。

たとえば、生活保護を受給しながら精神科に通院していた20代の女性患者は、

ホステスのアルバイトで得た収入を申告しなかったため、生活保護を打ち切られたのだが、そのとき彼女は「私が子どもの頃からどれだけ苦労してきたか、わかりますか。家は貧乏だったし、父親には虐待されたし。だから、ちょっとくらいお金を稼いだって許されるはずでしょ」と言い放った。

 

もう1つ生活保護者の例題がでていたが…

生まれた家、親という環境などから出た思考。

わからなくもないけど、、通らないのですよそれは‥。