この人のヒスと

著書での母親をボロクソなのに、

してもらうことはしてもらい、それに対し自論展開上目線というのが

長子の私には拒絶反応だった。

 

先週、関係がよく、お泊りしたり食事するイトコが

自分の兄に対する感情を

「私が可愛がられたのは親が選んだのであって私に責任はないから。

可愛がられない長子は可愛がられない理由があるから」

この吐露に

「ちょっと待て~!」な私でした。

 

私の主観ですが

親側の事情で、親の価値観は存在する。

そんな事情、長子だろうが末っ子だろうが、それをどう埋めてやれるんだ?

幼児~子供時代に。

その基盤が後々の親への感情、きょうだい間の感情になる。

場合によっちゃ殺人にも進展するほど深刻なんだから、、

親は好き嫌いで子どもを扱っちゃいけないんだよ(ノ_-。)

 

 

まあね、、と聞いてはくれました。

「そうだね、母は女の子欲しがっていた人だしね。

兄は抱っこされたくて母の周囲をぴょんぴょんしていたらしいしね。

でもそんなこと残るの?いつまでも?」

 

残るよ。

子供時代をちゃんと終えてないと、どこかで自己解決しなきゃいけない。

たいてい仕方なく努力するけど 抑え込んだりね。

長子だって 親から生まれた子なんだから不足分回収しようと無意識に思うよ。

…と長子の立場を伝えてみた。

映像で見せられないので難しいけどね。

お互い様でしょうけど。

 

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解縛 小島慶子(青葉さんからいただきました)

ものすごく共感デス。

この人はテレビでよく母親との関係を話していたので、一体彼女と母親との間にこれまでどんなことがあったのかを知りたくて、この本を読むのをとても楽しみにしていた。
しかし実際読んでみたら…

これは彼女の単なる生い立ちの記で(彼女自身も本の初めにそう書いてはいるが、要は子供時代の思い出本、だ)私が一番知りたいと思っていた親との関係といった部分はほとんど書かれていない。
いくら読み返しても、この人が家族との関わりの中で何を辛いと思い、何ゆえに不安神経症(大体こんな病名自体が眉唾ものだと個人的には思っている。乱暴な言い方だが、自己顕示欲が強い性格からくるヒステリ-ではないかと私は思う)になったのかが、今一つわからない。

まず本のほとんどを占めているのは、ご自分の少女時代を振り返った、女の子同志のイザコザ。
私もそういう世界を生き抜いてきたので、よくわかるのだが、読んでいて気分が悪くなった。
こんなひねくれた子供がいるのだろうか。
ご自分の子供時代のことを客観的に分析しているつもりなのだろうが、やはり大人の書いた文章で子供の内面を書きだすと、あまりにも斜めから過ぎてしまい、嫌な気分になる。
この人の文章は特に。
あまりにも悪意に満ちている。
でも、この人は私と同じように、少女時代の自分が大嫌いなのだろう。
そのことだけはよく伝わってきた。

結局この人は何が辛かったのか。
私は姉の立場なので、どうしても末っ子として生まれたこの人よりも、9歳上だというこの人のお姉さんの方に感情を向けてしまう。
母親はお姉さんのことを「豚にそっくり」と言った。
母親はお姉さんに夫婦関係や家計のことまで何でもかんでも愚痴を言い続けた。
妹が出現したことにより、何もかもを奪われた姉。
姉の方がよほどかわいそうだ、と私はどうしてもそこに思いがいってしまい、妹の立場であるこの人には何一つ共感ができない。

母親に執着されていることが辛い。
ここがわからない。
私は人生の中で誰からも執着されたことがないからだ。
親には放置されていた。
だから、執着されることは私にとっては羨ましいことなのだ。
この執着されることが辛いという、そこをもっと掘り下げて、同じ経験を持たない私のような読者に教えてほしかった。
自分の内面を独特の斜め上からの文体で語るのではなく、具体的な体験をもっと知りたかった。
少女時代のイジメとか、友達とのいざこざなんて、全くどうでもいい。

しかし、新たにわかったこともある。
子供の頃、姉から気まぐれにかわいがられたかと思えば、姉の機嫌によってすぐ拒絶される、という体験を繰り返したことによって、人から可愛がられるというのは限定的なものなのだ、という思いを抱き、この人のひねくれた部分が形成されたらしい。
ここは、なるほどなあ、と妙に感心した。
これは上にきょうだいがいない長子の私にはわからないことだ。
逆に気まぐれで妹をかわいがったり、拒絶したりする姉の気持ちの方がよくわかる。
何よりも、私もそうだった。
気が乗れば弟と遊んでやったりもしたが、おそらくその時の気分に寄って拒絶もしただろう。
(実は自分では覚えていないのだが、弟は姉である私から子供の頃いかに冷たくされたか、ということを冗談めかしてだが口にすることがある)
この落差に下の子は傷付くのか・・・・
ただ姉は姉であり、母親ではないから仕方がないと思う。
姉だって、子供なんだから。
この本の中で彼女は「姉は私に親の愛情を奪われたので帳尻を合わせようとしたのではないか」という意味の文を書いているが、私もその通りだと思う。
もちろん姉自身が「帳尻合わせだ」などと意識していたわけではないと思うが、結果的にはそういうことだろう。

姉から「私はあんたが羨ましかった。親から何でも良くしてもらえて」と本音を聞かされた時には、もう取り返しがつかないな、と感じたとこの人は書く。
この「取り返しがつかないと感じた」という感情は、どういうものなのだろう?
私も父親の葬式後、弟にそのような手紙を書いたが(ブログ内に手紙内容を載せた記事有り)、弟はどう思ったのか。
「姉から自分は親の愛情を奪ったらしい
でも私の手の中にそれはないので返せない」
この人の書く文章、その通りだ。
私も手紙にも書いたのだが、弟には何一つ罪はない。
罪があるとすれば、それはきょうだいを作った「親」にある。
おそらく下の子は上のきょうだいから「告白」をされた時、ある種の罪悪感を感じるのだろう。

この人がずっと感じていたという罪悪感。
生きているだけで申し訳ない、厚かましいと思う気持ち。
実は、この感情は私も持っていたものだ。
しかしこの人と私ではその理由が違う。
私は親から期待されない性別の女だったから、だ。

もちろん人には人それぞれの辛さがある。
比較はできない。
それは理屈ではわかる。
しかしどうしても、この人の場合、私には育ちのいい人の贅沢な感傷というふうにしか思えない。
外国暮らしの自慢?とさえ思えてしまう。
そもそも母親の過干渉に悩む女の気持ちは私にはわからない。
むしろ妬ましさで心が痛くなる。
少しでいいから、親に自分の仕事に関心をもってほしかった。
私は自分のことを振り向いてくれない母親に育てられ、常に寂しかったので、母親が自分に憑依するということの辛さが実感としてわからない。