昨深夜、「誰もしらない」がレンタル中なんで

「子宮に沈める」を借りて観たら 評価通りどよ~んと背負った感じ。

大阪2児遺棄事件が元になっています。

音楽もなく隠し撮りしたような低アングル映像なので リアリティが濃すぎないのが救いでしたが

実際はかなり悲惨だったようですから痛ましいです。

 

これについてある臨床心理士さんが以下のようように分析されていました。

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単なる詭弁(きべん)か、それとも倒錯した愛情なのか。

幼児2人を餓死させたとして殺人罪に問われ、大阪高裁で控訴が棄却された中村(旧姓下村)早苗被告(25)は、控訴審で「2人の子供のことは今でも愛している」などと話す一方、殺意を否定した。だが、裁判所は殺人罪の成立を認定、懲役30年(求刑無期懲役)が相当と判断した。十分な食事を与えず、約50日にわたってごみや汚物まみれの部屋にわが子を放置し、裁判所に「むごい」とまで言わしめた行為。それでもなお、中村被告は「理解されなくても『死んでほしくなかった』という気持ちを最後まで訴えたい」と周囲に語り、最高裁に上告した。

□「殺していない」と否認

「同じような事件で被害に遭う子供を出してほしくない。私にも何か伝えられることがあるのではないかと思った」

こうした理由で控訴し、殺意を否認して臨んだ今月5日の控訴審判決公判。大阪高裁で一番大きい201号法廷は満席となった。髪を頭の上でまとめ、黒い洋服姿で証言台の前に立った中村被告に、森岡安広裁判長が判決の主文を宣告した。

「本件控訴を棄却する」

言い渡しの瞬間こそ、肩を少し震わせた中村被告だが、判決理由が朗読される間は落ち着いていた。今年3月の1審大阪地裁判決のころよりふっくらした印象だった。

判決によると、中村被告は平成22年6月9日、長女の桜子(さくらこ)ちゃん=当時(3)=と長男の楓(かえで)ちゃん=同(1)=に十分な食事を与えなければ死亡する可能性が高いと知りながら、2人を自室に閉じ込めて外出。帰宅せずに放置し、同月下旬に餓死させた。

中村被告は1審段階から「殺害したというのとは違う」と殺意を否認。しかし、1審判決は殺意を認定した上で「幼い子供がゴミと糞尿(ふんにょう)にまみれた部屋で絶望の中、空腹にさいなまれながら命を絶たれたのは、『むごい』の一語に尽きる」と厳しく断じた。

判決を不服とした中村被告は控訴。控訴審初公判でも、衰弱した子供2人を食料のない自宅リビングに放置したことを「危険という認識はなかった」と述べ、改めて殺意を否定した。

弁護側も、中村被告が幼少期に実母から育児放棄されていた経験が犯行に影響しているとして、「虐待のトラウマで、対応が困難な状況になると意識を飛ばしてしまう傾向があった。子供たちが餓死する具体的な認識を抱くまでに至らなかった」と述べ、1審同様、保護責任者遺棄致死罪にとどまると主張していた。

□「私ね、取り返しのつかないことしてたの」

高裁判決は、改めて殺意の有無を検討するにあたり、判決理由の中で犯行前後の状況を、以下のように振り返った。

中村被告は21年5月に離婚した後、風俗店で働きながら子供2人を育て、22年3月、客の男性と交際を始めてほぼ毎日のように外泊するようになった。子供は十分な食事を与えられず、栄養が偏った状態で、5月中旬には表情に変化がなくなるなどしていた。

6月9日、約10日ぶりに帰宅した中村被告が子供たちに用意した食事は、コンビニの蒸しパン、おにぎり、手巻きずし、りんごジュースだった。

それらを自宅リビングに置いた後、中村被告は、子供たちが外に出ないようリビングと廊下の間の扉に粘着テープで目張りし、玄関に鍵をかけて立ち去った。

7月29日、勤務先の上司から「(被告の)自宅から異臭がする」との連絡を受け、約50日ぶりに帰宅。2人の子供が亡くなっているのを見た中村被告は上司にメールを送った。

《私ね、取り返しのつかないことしてたの。子供たちほったらかしで地元に帰ったんだ。それから怖くなって帰ってなかったの。今日1カ月ぶりに帰ったら、当然の結果だった》

こうした状況を踏まえ、高裁は「相当衰弱した子供を目の当たりにし、十分な食事を与えなければ生命が危険な状態になると認識していた」と指摘し、こう結論づけた。

「子供に2、3食分の飲食物を与えたのみで、自宅から出られない状態にした上で立ち去った。被告には短期間で帰宅するつもりはなかったと推認され、殺意があったと認められる」

□「最後まで訴える」と上告

判決理由の朗読を終えた森岡裁判長は中村被告に語りかけた。

「事件の重大性に照らして慎重に審理した結果、1審判決には誤りがなかったという結論です。積極的に子供2人を殺害するつもりではなく、未必的なものだったということです」

今年10月に中村被告と養子縁組した養父母は高裁判決後に記者会見し「厳しい結果と思うが、まったく想定していなかったわけではない。早苗もそう感じていると思う」と語った。

養父によると、1審判決後に、面会や手紙のやりとりを始めた当初は「どうしたら死ねるだろう」と話していたが、今は「生きて罪を償う」と心境に変化が現れ、子供2人が亡くなったことを悔やんで写経する日もあるという。

養父は「早苗は当時子供を捨てることもできず、保護施設に預けることもできなかった。彼女の心理状態では、子供を守る行為は部屋に残すことだったのではないか」と推し量る。

しかし、高裁判決は「被告には自己に都合の悪いものを避けようとする傾向がある。だが、だからといって、衰弱した子供に食事を与えないと死亡するという認識や、部屋に閉じ込めて放置した行為の未必的な殺意が否定されるとは到底考えられない」と一蹴した。

控訴審の判決直後、「どれだけがんばっても(殺意はなかったという)自分の気持ちは理解してもらえないと思う」と漏らしていたが、その後に「殺すつもりはなかったと最後まで訴えたい」と上告を決意。高裁判決から13日後の今月18日。中村被告は最高裁に上告した。

養父に対し、「子供には死んでほしくなかったと今でも思っている」と話したという中村被告。食料を与えられず、目張りした部屋に閉じ込められ、空腹と絶望感のうちに亡くなった2人の子供は、母親の弁解をどのように聞いているのだろうか。
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長い引用でしたが、この母親の臨床像をとらえるうえでは必要と思い、全文を載せました。

この母親には殺意はあったのでしょうか。私は、なかった、と思います。ではこの行為は虐待だったのか、虐待ではないのか。この行為は明らかに虐待です。ネグレクトですが、食事を与えず1ヶ月以上放置しているので、生命の危険に直結する重症度5の最高レベルの虐待です。

ごみ袋事件の母親のケースとは違います。今回の事件は、虐待であり、暴発ではありません。この問題が発覚しにくかったのは、母親はネグレクト以外の虐待はしていなかったのでしょう。だから周囲も気が付かなかった。この母親の知能はIQ50-60だと思われます。小学校低学年レベルです。

子どもは産めますが育てることはできません

だから自然と、長期の継続的なネグレクトとなる。軽度知的障害は、境界域まで含めるとIQ50-85ですが、この母親の場合IQが低いと予測されるので(50-60)、虐待も緩慢な虐待となり、周囲が分からなかったのです。母親のIQが比較的高いと(75以上)複雑な思考ができるので、怒りも表出しやすくなり虐待の程度はひどくなりますから、周囲もよく分かるようになります。その場合は、児童相談所が介入して母子分離するため、子どもが救出される可能性が高くなります。

子どもが部屋から出ると危険だから目張りしたというのも、小学校低学年の児童の考えることでしょう。非常に考えが幼いということです。ここからもIQ50-60と推定できます。


弁護士は、この母親はかつて虐待を受けて育っており、その「虐待のトラウマで、対応が困難な状況になると意識を飛ばしてしまう傾向があった。子供たちが餓死する具体的な認識を抱くまでに至らなかった」と弁護しています。ここでは2つの誤解があります。

(1)たとえ虐待を受けていても、通常なら自分の子どもへの虐待はしない。ここでは、虐待は世代間連鎖するという誤解がある。

(2)意識が飛ぶというのは解離状態だが、解離していても通常なら子どもが餓死する認識はある。解離すると思考も停止するという誤解がある。また1ヶ月以上も意識を飛ばしておくことはできない。解離性遁走という症状があるが、この母親の場合そのような供述は得られていない。


「餓死する具体的な認識を抱くまでに至らなかった」というのは、解離の影響ではなく、弁論にもあるように「認識ができない」のです。つまり知的障害なのです。「衰弱した子供2人を食料のない自宅リビングに放置したことを危険という認識はなかったと述べ」るということ事態が、知的な発達の遅れを証明しています。

「2人の子供のことは今でも愛している」ということについてはどうでしょうか。この母の言うように、子どもを愛していたのは間違いないでしょう。知的障害の人は、愛着はあるのです。でもそれは、大人のような共感性が十分な愛着ではなくて、非常に子どものような、幼い愛着なのです。自分勝手な、身勝手な愛着なのです。その幼稚な愛によって、子どもを愛していたのでしょう。「殺すつもりではなかった」というのも、この母親の偽らざる気持ちなのだと思います。それも真実なのですが、普通の、親が子を愛するような愛ではなかった、ということです。それゆえ、子育ては始めから無理だったのです。

この子どもたちは早期に母親の元から離して養護施設で育てることができれば、普通に成長することができたでしょう。それだけに残念ですし、行政の今後の対応の改善につながればと思います。この子たちの冥福を祈ります。

参考図書:心的外傷と回復(ジュディス・L・ハーマン)