これは自己愛性人格合障害考察9…アイさん記事からです。

最初は驚いたり、疑問もったり 衝撃受けた被害者はネット情報で、、問題人物の人格障害名称と主な症状で

「ドンピシャだ」と納得する。

 

しかしそこから離れてもしばらくは自問自答トラウマは続く。

ましてや物理的にも精神的にも離れることができない家族や職場の人間がそうであると…沼地に迷い込んだようになる。

 

よく被害者になりやすい人、、というのを目にして「自分だ」と被害者は思うけれど

先日のカウンセリングでも言われたし、、こちらの書籍でも書かれているように…

 

問題はこっちでなくあっちだ。

 

こちらは、

こういう人の例題を知り…幼い頃から傍にいた自己愛に慣れてしまった感覚を見直したりして生きていくしかない。

外にでれば自己愛はゴロゴロいる。

自己愛トラウマ渦中にいる間は別の自己愛に狙われる・・・そんな仕組みがよくわかりました。

 

有難いです・・・

 

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私がこの記事を書いたのは、言葉ではうまく説明できない「いいようのない気持ち悪さ」が残ったからだ。

まるで、「猫じゃらしで操られた猫」のような気分。

 

「助けになろう」と思ってしまった。

彼らは変えられないし、表面上の修正ももたないし、一生治らないのだ。

他の人格障害は治療可能のものもあるが、「自己愛」に関しては、治療法も確立していないのが現状だ。

 

本文中の80代は「母親役」が見捨てれば、間違いなく物理的に死んでしまう。

それが分かっているのか、「捨てよう」とした際、文字通りしゃがみこんでしがみ付いた。

(幼児がやる「買って」と泣いてしゃがみこむ動作)

 

40代も同じ動作をしてその時は、私自身捨て切れなかった。

その40代Mが「誰かにしがみ付いていると思ったら、言ってくれ。」というので、

「奥様にしがみ付いてるような気がする。」と言ってあげたら、「人間一人では生きていけない。」と言ってい

・・違うだろう。何故、相手の言葉を理解しようとしないのか。

 

同情的な渦中にいると何を言われてもひどく鈍感になる。

反論したくても、「病気」だからと思って我慢してしまった。)

 

普段の自分なら許せない事、疑問に思っても口にせず我慢してしまう

「怒り・屈辱・情けなさ」が次々と心を占めたが、

持続することができず、結論の無い「気持ち悪さ」を解消しようと調べた結果が、

自己愛性人格障害ーだったのではないか、と言う事だった。

 

おかしいと思った時点で、何度引き止められても無理やり切るべきだった。

被害に遭っている事を自覚して「怒り」を感じるようであれば良いが、

なかなかそうならない事が多いと、「モラルハラスメント」等の書籍に載っていた。

 

私が様々な書籍を読み、ネットでも「自己愛性人格障害」を調べはじめたのは、

昔読んだ「平気で嘘をつく人々」に症例として載っている「邪悪な人」の言動パターンと妙に同じ事に気付いて

読み直したからだ。慣れてしまった本文中の2人と台詞が全く同じだった為、思考が止まってしまった。

 

それに「彼ら」の幼児性を目の当たりにして、幼児を相手に怒る事の無意味さを感じてしまっているからかもしれない。

 

「まともな人格の振り」の場合、繰り返しぶり返す「それ」の為に、

最低一人の人間が必ず犠牲にならなければならない。

本来なら自分の人生だったものを、他の人間を生かすためだけに、一生文字通りサンドバックでいられるだろうか?

 

-歴史的人物に自己愛的要素を持っている人間(人格障害まではいかないが)もいた。徳川家康と織田信長だ。

例えば、家康は2次的自己愛形成期の2才の時に、

生母お大の方が離縁されたが、乳母がすぐ用意された為と、父の広忠を尊敬していなかったかわりに、

理想的な父親像として祖父がいた。

2人とも幼児的な誇大感・顕示欲から脱却し、

少なからず残っていた自己愛的要素(自己愛的冒険・批判に怒りをもつ等)も

歴史をつくり国をつくるのに一役買ったのではないかといわれる。

 

だが、彼らの場合、生まれ育ちも良く、

幼い頃から人質生活や周囲から強烈なバッシングを受けても跳ね返すだけの「精神力」と人並みはずれた「能力」人心を掴むだけの「本物の共感能力」があった。

その上、戦国時代の事もあり、いつ寝首をかかれるか知れない上、「徳」がないと国が乱れるーと周囲の人間の評価も通常の人間より厳しい。

 

その中「この君の為に一命を投げ捨てん」と思う人間は星の数ほどいただろう。

 

●以前、ネットで自己愛性人格障害と診断された方が、「自分を殺していきていくのはつらいから、爆発してしまう」とのコメントがあった。つまり、自分でつらいから「それ」を他人に負わせるわけだ。

 

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一時的な苦境だと思い「助けになろう」なぞと思ったのがいけなかった

人を変えられたり、助けたりはできないが、「少しでも力になれれば・・」

と思った事すらそもそも傲慢だったのかもしれない。深く自省している。

本文中の私の見解に異論もあるかと思うが、

自分なりに出した結論であり、これを読んでくださっている方々が、少しでも今後自分を守り、「彼ら」に傷つけられた心の慰めになれればと、願ってやまない。

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この一連のページは、自己愛性人格障害に関する専門書を含んだ書籍6冊、心理学書籍20冊あまり、学生時代教育心理学及び心理学を勉強し、教職の資格はとったが、(今の仕事は全く違う)素人の人間が書いたものだ。また私自身の実体験を元にしている。

 

「自分の親が、あの人は自己愛性人格障害かも?」「自分が自己愛かも?」という判断は専門医の診断を受けるか、慎重に判断して欲しいと思う。