平成十六年 (2004) 春版その②
それは三月末から異常であった。それまで好きではあったがそれほど旨いとも思わなかったグレープフルーツの砂糖かけやイチゴの砂糖ミルクかけが異常に旨く感じたし、季節がら冷たいトマトも胡瓜も美味かった。菓子やケーキはもとより駄菓子までもが空腹感を満たすだけでなく誠に美味しいものであった。
四月の下旬頃になると、のどの乾きが激しく冷たい飲み物が旨くもあり欠かせなくなった。日中はアイスコーヒーやらウーロン茶を手軽なものとして飲んでいたが、夜はのどが渇くので寝る前に牛乳を飲んで床に入る、水分を飲むから小便に起きる、起きるとのどが乾いているからまた飲むということで、一夜に二度から三度起きて冷蔵庫の前に立つという・・、これはただ気候が暑くなったと云うだけではなさそうである。
五月一日から還暦記念と退職後の一息をかねて夫婦で東北へ二泊の旅行に車で出かけた。一泊目は安比、二泊目は仙台の日程で八幡平・渋民・遠野・仙台・吾妻を観光してまわった。 旅行中の留守と老齢の母のことは娘の順子に頼んで出かけた。出産して親になった史江はこのところなぜか臍が曲がった様子であった。旅行中の天候も良かったせいか、車中では運転席のホルダーに冷えたスポーツドリンクを置き、それを飲みながら運転するという始末であった。これはどうもはおかしい・・・何か身体が異常だ・・きっと糖尿病だ・・とは思ったが、せっかくの旅行であり いつもに増して食べたり飲んだりして五月三日に帰宅した。天候に恵まれた旅行は、残雪や若葉が美しく仙台の牛たんは名舗だけに美味かった。
私の家系には糖尿の因子も胃ガンの因子も無いはずである。そんな訳で連休の後半も、のどの渇きを潤すため相変わらず冷たいものを飲み続けていた。三月ころから体重がだいぶ減っている事に気づいていた。最初のうちはうれしい減量程度に思っていたり、昨年来のいろいろな事での疲れかと思っていたが、ほぼ一ヶ月で十キロの激減ではちょっと異常である。糖尿病の予感がする。この五月二十三日に農協の成人病健康診断を受けることになっているので、そのときまで様子をみながらと悠長に考え、妻沼の横田家で行った九日の孫娘彩羽の宮参りも平静を装っていた。連休明けころから家族の心配もあれば自分自身の不安感もあり、何より喉の乾きと空腹感がいままでよりも増して怠さが感じられるようになったので医者に診てもらう事にした。十三日の朝、起きるなり、「今日は医者に行く」と決めたのであるからこれも異常な事であった。
柳生の坂入医院に診てもらった。体調に関する問診がいろいろあり異常の疑いは紛れもない、糖尿病の家系も問われたが何とも心当たりはない。ストレスも原因になると云うことだが要は生活習慣病である。採血検査の正式結果は明日との事であったが、速報値では血糖値が食後値で380であった。体重は七十三キロで十キロ以上減っていた。先生は糖尿病と断定しながらも何かを考えているらしく首をひねって困っている、私は一瞬「入院の手配は困る」と思った。因子を持たない急性的症状だから短期的に改善するのではないかと素人意見を云ってみた。先生の対応は好意的だった。
翌日の午後、検査の結果を聞きに行った。結果は血糖値399、ヘモグロビンAICが10.4であった。会社勤務時代の管理業務の経験で その数値の意味するところはおおよそ判っていたが、あえて先生に「相撲で云えば前頭ですか小結ですか」ときいた。先生は「横綱候補の立派な大関です」と云う。先生から「簡単に考えないこと」と脅かされ、いろいろな指摘や注意をされたが、要は食事制限によりカロリー摂取を抑え、運動によりカロリーを消化することの道理であり、いかに徹底出来るかである。お酒をそれほど好まない体質であること、以前のように宴会続きがなく夜食はとらないこと、犬と毎日散歩し運動すること、などを説明やら言い訳やらをして「家でしっかり体調を管理し食事療法もきっちりするから」と約束し、当面期間の飲み薬の処方で様子をみることになった。執行猶予付きの釈放である。
さあこれから糖尿病と戦いだ、季節は暑くなるというのになんという事だ、のどの乾きはどうするのだ、痩せた上に腹が減るのに食べられない・・・などなど。腹ペコなのに脳だけは悩み多い満腹状況?にある。しかし病との戦いもやるからには悲壮にならずゲーム感覚でおもしろおかしくきっちりやろうと決意した。
こんなに体重が減ったのだから、これから努力して「大関を立派に陥落し十両まで落ちよう」と・・・。