「この画面が出れば偶数の可能性up」

「◯◯画面なら設定2以上濃厚!?」

パチスロのボーナス終了画面、ART終了画面で設定示唆をする機種が増えてきた。特に新基準に移行してから多くなった気がする。

しかしこれで「設定のヒントを教えてくれるなんて親切ジャン」などとほざくノー天気野郎にゃ、養分警報の三連パトランプがファンファンエマージェンシー。

「だからお前は養分なんだよ」以外に言葉がない。

メーカーの甘言など全ては養分を絡め殺すための戯れ言、いかに低設定を打たせるか考えぬかれた罠でしかない。


一般ユーザーにとっては有益な情報かも知れないが、真・養分に設定を示唆するなど刺激が強すぎる。我々の脳味噌のツルツルさを舐めてるのか、いい加減にしろ。ただでさえパッパラパーな立ち回りに下手な言い訳を与えられてはもうたまらない。

真・養分にとって「偶数とは設定6」なのだ。


そもそも真・養分は、どれだけ話しかけてもウンともスンとも言わない設定1とかいう無愛想女にひたすら貢いでいる変わり者であり、何の見返りも楽しみもなくても金だけはキッチリ払い続ける良いKAMOと言える。

理由はなんなのだろうか?これはもう「好きだから」以外にありはしないだろう。こんな荒んだ時代に心洗われるようなイノセント・ラブストーリーである。

そんな真・養分に台が突然

「アタシ~、なんか今日…偶数?…カモ」

などと言ったらどうなるだろうか。

もちろん真・養分もバカではない。いや、バカはバカだがひねくれたバカであり、表面上はそんなこと言っても設定2なんだろ?と努めて冷静であろうとする。

すでに9割方偶数と思ってる時点で1ミリたりとも冷静ではないのだが、そこは真・養分。台からのアプローチに対する免疫が無さ過ぎて、一押しだけで心中はメトロノームよりもグワングワンに揺れてしまうのだ。

職場で女性に話しかけられただけで「コイツ俺に気がある」と勘違いするのと一緒である。

だがいつもの設定1と大して変わらないじゃないか、ボーナスも全然引けないし、レア役の落ちも悪い、CZも軽くないし、直撃だって……偶数を示唆する画面と設定2以上濃厚な画面が出たから追ってみたが、3枚目の諭吉を投入する頃には流石に雲行きが怪しくなってくる。やっぱり低設定だな、と。

だが、養分を知っている者なら誰もが口を揃える。

――『真・養分はここからが強い』――


ここからが常人には理解できない真・養分の思考ルーチン、我々は愛されるよりも愛したい、つまり「疑うよりも信じたい」のだ。

低設定っぽいからヤメておこうという感情よりも、高設定の可能性がある以上ヤメづらいという感情の方が1億倍強いのだ。

どんなに展開が悪くてもどんなに低設定の数値に近づこうとも、「アタシ~偶数かも~?」のメッセージを振り切ることが出来ないのである。

このパーラーゼンイチに偶数設定などある訳がない、あったとしても2…でも2なんて低設定だし入れる意味なくね、ということはちょっと展開の悪い4…?いや、そんな半端な設定使う意味なくね、え…じゃあこれは6ぢゃないですか!?(ここまで0.01秒)

こんな単純な思考の生物がいるわけないだろうが、と思われるかも知れない。いや、いる。真・養分は君のホールにもきっといる。

いつもはヒキだけで勝てると思い込んで設定1に座ってるクセに相手が偶数だと分かるや否や、展開が悪いのは俺のヒキのせいであり、グラフを見て「やれてない時の高設定のグラフだ」などと真顔で言い放ち、例え何万負けようと高設定を捨てるよりマシ、最後まで突っ張って死ぬなら本望だ、と不退転の決意まで抱いてしまうのである。

なぜ偶数を示唆するだけでこうまで自己犠牲的になれるのか。見返りを求めぬ真実の愛。まさに現代の岩清水弘、「君の為なら死ねる」である。


もちろん君の為なら死ねるとは言っても、打ってるのは低設定なので普通に死ぬし、「為になってる」のは店の方である。

残念ながら養分の一人相撲にハッピーエンドもバッドエンドもない。ただ「当然の結果」というトゥルーエンディングに辿り着くだけだ。真実とは何故かくも残酷なのだろうか。



こんな時に気の利いたセリフ一つ言えない自分がもどかしいけど、「だからお前は養分なんだよ」以外に言葉がない。



(おわり)













最近、パチンコを打ちながらスマホをイジッてる客が多い。

今のパチンコは通常時の煽りが激しいので、液晶をずっと見ていられず手持ち無沙汰になってしまうのだろう。

かくいう私もイジりまくりだ。

その様はギャンブル依存性とスマホ依存性のダブルパンチで、はたから見ればHe is so sick!である。

しかも誰がウンコ行った手を洗わずに握ってるか分からないハンドル、誰が鼻くそほじった手でこねくり回してるか知れないパチンコ玉、ボタン、レバー、ドル箱、etc……。それらに触れた手でイジられまくっている私のスマホは、不衛生の極み、汚物の革命児。

私のスマホを25メートルのプールに落とせば、一瞬で全ての水がドブ川に変わると言われている。

というか今もそのスマホをイジりながらこの文章を書いてる訳で「俺は一体……?」となってしまうが、バッチいから止めようという話ではもちろんない。

スマホをイジりながらパチンコを打ち出したら真・養分の前兆だ。養分経験値がガンガンに溜まりまくっていると言えよう。


そもそもパチンコは通常時にやることが結構ある。

定番の「保留3個止め」「ステージ止め」などが主だが、最近のパチンコで大事なのがコレ。

「当たりそうな変動が来たら打ち出しを停止する」


そんなの誰でもやってる当たり前のことだろう、と思われるかもしれない。しかし、これが以外と出来ていない。それは何故か?

もちろんスマホをイジっているからである。

大当たりを所得した変動を消化しアタッカーが開くまでに打ち出された玉は基本的に無駄であり、V確ST機などではヘソ落ちのリスクを上げるだけなのでむしろマイナスだ。

ちょっと熱そうな流れが来たらハンドルから手を離すなんて当たり前の動作だが、真・養分には出来ない、いや、やろうとしない。

「ちょっと熱そう」ぐらいの演出で反応するなど、真・養分様のプライドが許さないのである。

つまりこんなのは絶対当たらんから、期待するだけ無駄。完全無視で保留を貯める作業に戻るがよろし、スマホ楽し、ということだ。


中途半端に豊富な知識、無駄に積み上げられたパチンコ歴に裏打ちされし真・養分の拗らせきった魂は動かざること山の如し。

真・養分がスマホを下ろす行為は、世紀末覇者が馬上から降りる行為に等しいと言われている。

ここまで拗らせている逸材であれば、確定音が鳴らない限り打ち出しは止めないしスマホもイジり続けるだろう。

台が「激アツ!」と言おうが、「いや俺は騙されない」となるハズであり、お前は誰と闘っているんだ?となってしまう。もはや彼の手は保留が満タンになることでしか止められないのだ。

スーパーリーチが終わる前に保留が貯まり切らず上皿の玉が無くなるのは日常茶飯事であり、こういう時に限ってその変動が当たっているのも世の常だ。

この「外れると思って余裕こいて玉を全部無駄打ちしたら当たってた」という恥ずかしすぎる一人羞恥プレイは、「日本養分百景」の一つであり、年間を通して全国のホールで見ることができる。


しかし、ここで慌てて貸し玉ボタンを押すようでは全然ダメ、駄目すぎて逆にムカついたわ、と呆れてしまうザコ養分だ。もともと養分としての素質が無かったボンクラ養分と言えよう。

真・養分ならばどうするか。

足元に落ちてるパチンコ玉をチェックし、アタッカーが開くまでの時間を利用して拾い集めるのである。

この時の拾う動作が速ければ速いほど、美しければ美しいほど、養分愛好家から高ポイントが得られると言われている。

決して人の目など気にしてはいけない、さぁはやく打ち出そう、アタッカーはもう開いているのだから……。



そしてかき集められた2発の銀玉が無情にも弾き返され、1R目のアタッカーが閉じ始める頃、

真・養分は貸し玉ボタンにそっと手を伸ばすのである。


(おわり)





パチンコパチスロ界隈には、自分のことを「養分」だと言う人が異常に多い。

これは日本人の悪い癖なのだが、何をするにもまずは下手に出てから、謙虚な姿勢を見せてからがスタートラインなのだという空気が蔓延しているせいである。

それには「養分」が一番手っ取り早い切り出し方なのだ。

「パチスロが大好き!」と言うよりも「養分だけどパチスロが大好き!」と言った方が、依存性度は上がるが好感度もほんのり上がり、本当に好きなんだなと感じる人が多いハズである。

「貴様、負けてるクセに何をヘラヘラしておるか」とブチ切れる人は少数派であろう。

これほどまでに便利で誰もが気軽に使えるフレーズが流行語大賞にノミネートされないのはおかしい、本来ならば「今年の漢字」は毎年「養分」になるはずであり、メーカーは揃いも揃って養分を題材にした遊戯機の開発に勤しむべきであり、来年の大河ドラマの主役は「養分君(ヨウブンクン)」に決まりである。誰か知らないが。


では何故そうならないのか、それは「養分」という言葉があまりにも漠然としており曖昧なイメージしか持っていないからである。

そもそもパチンコパチスロにおける「養分」とはなんなのか?

負けていれば養分なのか、ヒキ弱ならば養分なのか、知識がなければ養分なのか、画面を撫でて魚群を呼べば養分なのか、強打をするのは養分なのか、ではゴリラがパチスロをすれば養分なのか、貴様ゴリラをこけにしているのか、

思うに全て養分の素質があるのだろう。(ゴリラ除く)

だがそれらはあくまでも養分という言葉に内包されたイメージの一欠片にすぎない。

パチンコパチスロは大抵の人がトータルで負け越しているクソゲーであり、ただ負けてるだけで養分などと言われてもパンチがないし説得力に欠ける。「養分」のイメージダウンに繋がりかねない。

やはりどんな道にもプロがいるもの、養分にも養分のキングオブキングス、スーパスター養分がいるハズである。

本ブログは複雑化していく養分の概念に一石を投じるべく「これぞ養分!」と誰もが唸る養分像を創りあげることを目的として開始された。

養分養分と人は言うけれど本当にそうなのだろうか。

思うに私がイメージする一番養分臭い奴は

「自分が上手いと思い込んでる奴」

である。






まず真の養分は活気のある店には近寄らない。ネームバリューに釣られて大手ホールに通ってるというのはいかにも養分臭いがむしろ逆である。

活気があるということは入る時は設定が入ってるし、甘い調整の台を置ける体力もあるハズ。毎回その台に座ることは無理でも長い目で見れば、そういう店に通う方が現実的だ。養分は養分かもしれないがポジティブな養分である。

だが真の養分はそういう人達を見下しており、「お前らとは違う」と根拠ゼロの自信から大手を避ける傾向が強い。

やはり真の養分ともなれば己の秘めた強大な養分力(ぢから)を自覚しており、大衆と同じ行動など取れないのだ。お前らとは違うのである。


では養分はどこへ行くのか。やはりライバルは少ないが高設定をキッチリと使っており、釘にもメリハリがある隠れ家的ホールであろうか。


答えはNO。断じてNOである。

そもそも真の養分に情報収集など御法度であり、友達の一人もいないのにそんなホールを探し出せるハズがない。見つけたとしてもある程度の活気がある以上は近寄らない、近寄れない。天上人たる真・養分様が貴様ら勝ち組共と戯れることなどあってはならないのだ。


では養分はどこへ行くのか。答えはもちろん廃れに廃れきったホールしか残されていない。

分かりやすくいうなら「4円パチンコ全300台、絶賛稼働中!客3人!」である。


それはもはや養分とかではなくただのアホなのでは?との声もあろうが、それはあなた方が養分ではないから理解できないのである。

普通の人間の感性ならば自殺行為にしか思えないが、ボッタホールで燻り続けるその3つの綺羅星たちは、誰一人として「今日は俺負けるな」とか「死んだわオレ」などと思っていないハズである。彼らは100%本気で「今日は勝てる」と思いながら闘っているのだ。

その根拠はなんなのだろうか。もちろんそんなものは存在しない、根拠ゼロである。

養分の養分稼働は振り返れば誰もが「そら負けるわな」と納得出来るが、始まりは誰にも予測出来ない。根拠ゼロという不毛の大地に突然、希望の大輪が花咲くのだ。

その希望とはつまり

「俺以外ほとんど客のいないホールの、俺が今日、無性に打ちたいパチンコが、何故かたまたま良釘で放置されており、それに俺が座る、そして勝つ」

である。


そんな事がある訳ないだろうが、寝言は寝て言え、しかしそんな寝言を実行してしまう夢遊病患者が真・養分なのだ。

彼らはお目当ての台に座り、釘を見てる風なパントマイムを披露、最初の千円で20回回っただけで勝利を確信、「やっぱり俺、天才!?」と大満足し、後は飽きるまでスマホをイジッていればそれでいいのである。


『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負け無し』

その「負けに不思議の負け無し」を誰よりも痛感しているハズなのに「貴様、不感症か」というぐらい次回に活かされないのが、真・養分なのである。



(おわり)