中年鳩が一念発起して、作詞家になることを決めたのである。
とゆうのは大嘘で、単に島崎貴光氏の「作詞の勉強本」を読んでみただけなのである。
著者は現役バリバリの作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーであり、なおかつ「Music Garden」なる音楽関係の作家養成講座を運営し、数多くの作家を輩出しておられる。
また、作家としては、2006年にw-inds.の「ブギウギ66」、中ノ森BANDの「Fly High」の2作品で「第48回日本レコード大賞」金賞をダブル受賞するなど、第一線で活躍されておられる。
とまあ、だからって、鳩なんぞがなにゆえ「作詞の勉強本」を読んだのかというと、ブログやメルマガを運営する鳩にとって、ブログやメルマガの教本以外の表現物からインスピレーションを受けることしばしばだからである。
たとえば、それが、将棋の羽生善治さんの著作であったり、小説家の筒井康隆さんの作品であったり。
特段「答えは専門外にあり」などとひねくれているわけでもなく、純粋に外からの新鮮な情報によって、筆(キーボード)が進むことままあり、なのである。
本書も、たまたま書店で見つけ、目次に目を落とした数秒で購入を決めた。
で、今朝ほど一気に読んでしまったのである。
作詞における最重要ファクターとは何か?
本書によれば、それは「目線」と「発想」なんだそうな。
表面的なテクニックをいくら身につけたところで、目線が狭く、発想に乏しいと、そこから生まれた言葉、物語、世界観は「誰でも書けるよ」「こんなの山ほどあるよ」といった評価に直結するのだという。ふーむ。
たしかに、作詞に限らず、ドラマでも映画でも小説でも、「こいつはすごい!」と唸るような作品には、尋常ではない目線の置き方と発想が散りばめられているものだ。
著者は、目線と発想の拡大こそがオリジナリティであるという。
がしかし、「発想の拡大」のほうは何となくわかるが、「目線の拡大」とゆうのが今一つわかりにくい。
第1章では、もっぱらこの「目線の拡大」の練習に紙幅が割かれている。
まず、「自分目線」と「客観的な目線」。
たとえば、目覚めのシーンを「自分目線」で想像し、それを実況中継するかのごとく書き出していく。
次に「客観的な目線」で想像してみる。同じように書き出していく。
当然それぞれの目線からは、異なる文章が出来上がるのである。
「自分目線」なら、目を開けずにうるさい目覚ましを止めた、仕方がないのでゆっくり目を開けてみた、カーテンから漏れる朝陽がまぶしいからだ・・・みたいな実況中継になる。
一方、「客観的な目線」というのは、幽体離脱のようなものであり、今まさに目覚めた自分自身を天井から眺めてるようなもんだ。
すると、「まぬけ面した中年鳩が目覚まし時計と格闘している」「すぐに起きりゃいいのに、何度も繰り返されるスヌーズと闘っている」「朝陽もスヌーズに呼応する」「根負けした中年鳩はようやく今まさに目を開けようとしている」といったような実況中継となる。
このように、たった目線を変えただけで、情報の内容と量が変わってくるというのだ。
あるいは、「目線の逆転」。
先程の事例なら、「目覚まし時計」の目線で、中年鳩を眺めてみるというアプローチである。
すると、「おいオヤジ、いいかげん起きろ!資源の無駄遣いだ!!」などといった発想も生まれる。
この他、「目線のズームイン/ズームアウト」や、「時間経過における目線の使い方」など、第1章だけで『目線学』と呼んでも良いのであるまいか?と思える情報量なのである。
こうして、まずは「目線」をこってりやり、それを前提に第2章では発想法をがつんがつんやり、第3章~4章で物語づくりや表現技法に入り、第5章になってから、ようやく「歌詞の書き方」を教えてくれるのである。
作詞家を目指している人は、こんな本をこってり勉強しているのか?とマジ感心しつつも、今まさに本書を閉じようとしている鳩サブローに対して、この本はいったい何を思ってくれているのだろう?(目線の逆転)
まぎれもなく、本書は人間観察の本でもあると思う。
■作詞の勉強本 「目線」と「発想」の拡大が共感を生む物語を描き出す鍵となる 島崎 貴光 (著)
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