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おやじの朝読書

本を読むことくらいしか趣味のない平凡なアラフォーおやじ(鳩サブロー)が毎朝一時間の読書で毎日1冊、たまには怠けつつ一年後300冊の読書から300個の“ひらめき”を得て、自分自身にどんな変化を感じるか?ぽっぽと記録してまいります。

めちゃくちゃ素晴らしい本、とゆうのは確かにあるものである。

 

スージー鈴木氏の著作にはほとんど目を通しているが、やはり鳩的にはこの作品一択なのである。

 

あえて、いま売り出し中のこっちにはいかぬのだ。

 

 

 

何がそれほど素晴らしいのかというと・・・、3つほどある。

 


まず一つ目。「軽く読めて、ずっしり重く感じる本」であること。


この本を読むのにたいして時間はかからない。たぶん、1時間もあれば読みきってしまえると思う。


それでいて、読後感が重い。いろいろと考えさせられるのである。


だから、何度も読み返してしまう。

 

こうした本は、あるようでいて中々ない。希少価値が高いのだ。

 

 


ふたつ目。「普遍性がある」こと。

 

この本を、「1979年」という特定の年を切り抜いた単なる大衆音楽のガイドブックととらえてしまうと大いに見誤ることになりそうなんである。

もちろん、「なぜ、1979 年なのか?」というそもそも論はきわめて重要である。


そこに「渦潮」があったからだ。


世界三大潮流に数えられる鳴戸の渦潮は、瀬戸内海と太平洋との水位差、そこに海底の複雑な地形とが絡んで早い潮流が発生するといわれているが、海峡両岸にはもともと穏やかな潮流があるわけで、その両方の潮流との境目において、すさまじい渦が発生する(と言った趣旨のことが、ウィキペディアには書いてある)。

 


スージー鈴木が見た「渦潮」とは何だったのか?


その発生メカニズムを解明することで、「1979年の渦潮」の今日的な意味づけを試みたのがこの本の挑戦であり、目的であろうかと思う。
 

当然ながら、その発生メカニズムは、異質なものどうしのぶつかり合いである。

 


1979年そのとき、日本の大衆音楽界では、それまでの純粋な歌謡曲が緩やかな潮流を保っていたのに対して、「ニューミュージック」という新たな潮流が発生し、急速に流れ込んできた。
 

ここに鳴戸の渦潮もどきが出来上がってしまったのである。


もちろん、それはマクロ的な見方ともいえる。

だから、なぜ、「ニューミュージック」という早い潮流が生まれたのか?
 

そのとき、伝統的な歌謡曲はどのような変遷を余儀なくされていったのか?
 

また、それまで歌謡曲を支えてきた作り手、歌い手はどうしたのか?
 

さらに、業界的にはどうなっていたのか?
 

このように渦潮の発生メカニズムをマクロにとらえるだけでなく、海水の温度や地形や天候などの諸要素もひっくるめて、かなりミクロな分析を試みたのが「本書」といえる。

 


本書におけるミクロ分析の対象は、「作品(曲)」「人(作り手、歌い手)」そして「業界」である。


渦潮は歴史的な必然によって、あるいはごく一部は偶発的にも発生する。
 

そして、発生した大きな渦潮は、その後の環境にそれなりの影響を落とす。
 

それが、大衆音楽の世界では、「1979 年」だったというだけのこととも言える。
 

もちろん、渦潮は、それ以前にも以降にも発生していたはずだ。
 

たとえば、1960年代の末には、GS(グループ・サウンズ)ブームという潮流が発生しているし、バブル期の 1980年代末には、J-POPの潮流が生まれている。

それなのに、なぜ、あえて「1979 年」なのか?(と言い出したらキリがない。)
 

数多ある大小の潮の中で、おそらく著者にとっては「1979 年の潮」が圧倒的に大きな存在として記憶されていた、としか言いようがない。


でも、著者より、チョイ下ていどの世代である私には、それも分かるような気がするんである。

 


はじめて自分の小遣いで、好きな歌手のレコードを買う。


とくに、アルバムともなれば、それなりに高価なので、そのときのドキドキ感は今も鮮明に覚えている。


サザンオールスターズの名曲「思い過ごしも恋のうち」(1979年7月25日発売)的に言うなら、『♪忘れようにも忘らりょか』な記憶なのである。


著者にとってのそれは、ゴダイゴの傑作アルバム「OUR DECADE」(1979 年 6 月 25日に日本コロムビアより発売)だったらしい。


まったく偶然にも、私がはじめて自分のお金(おこづがい)で購入したアルバムも同じなのである(ただし、このとき同時に同じゴダイゴの前作3枚目のアルバム「MAGIC MONKEY」)も購入している。


自分がはじめて音楽にのめり込みつつあった少年時代の記憶をたどってみたら、それは疑いようもなく「1979 年」。


著者の記憶にある最大の渦潮がこの年において他にない、というのも無理はない。

 

ただそれだけのことといえばそれまでだが、こうした著者や私の個人的な事情は、趣味趣向や世代を超えた普遍的な「補助線」になると思うのだ。

 


対立概念がぶつかり合う『渦潮』という思考の補助線。
 

つまり、自分にとっての「渦潮」が何処にあるのか、いくつあるのか。
 

その中で、今も自分自身の記憶に蘇る、最も激しく、大きく映る「渦潮」とは、いつの時点の、どんな渦なのか?


過去と現在の自分自身を見つめ直すことが、将来への足がかりになるのなら、自分にとっての渦潮を分析・評価する作業はけっして無駄ではないと考える。


しかも、その方法論については、本書の基本構成(作品、人、業界)に従うことで見えてくる。


こうした意味で、本書は恐ろしく普遍性のある、使える本なのだ。

 

最後に、本書が素晴らしいと言える理由の3つ目。
 

それは、文章術の訓練になる、という副次的なメリットだ。


読んでいただければわかるが、スージー鈴木という人の文章はメチャクチャ上手い。


まず、本書のような一般公開の単行本の場合、文章の読みやすさは命である。


鳩ブログのようなナンチャッテな文章ではいけないのだ。そう、ハトじゃいかん。


だからこそ、出版編集者は、専属の校正者を作家につけたりする。


しかし、おそらくスージー氏の文章はほぼほぼ素のままではあるまいか。


それというのも出版社が異なる彼の他の作品と見比べてみたのだが、まず間違いなく文体、表現、臭いに至るまで、99%ご当人の素の文章だとしか言いようがない(残りの1%は、担当編集者が「てにをは」に赤くらい入れるだろう、でなければ編集者の怠慢になる)。


彼の読みやすさの理由は何かを考えた。


思うに、それは圧倒的な知識量ではないか?と。

 

この本を手にした読者の大半は、たぶん 1979年のヒット歌謡についてサラッと語られた煮ても焼いても食えなさそうな作品だと思っているはずだ。


それが、これまたたぶん、彼の膨大な知識量を下地にした、圧倒的に分かり易い文章を前に、まるで渦潮に引き込まれるかのように読み進めてしまえると思う。


もちろん、彼の知識は音楽業界にとどまらず、歴史、文化、市場、広告、スポーツ・・・などなど。


実はあからさまに知識をひけらかしたりはしていないのだが、「あ、こいつよく知ってんな」と読み手が勝手に思い込んでしまえる程度の巧さを持っている。


持っている知識をどのように切り出して文章に仕込むか?という巧さである。
 

これは見習いたい。


というか、これが出来たら、文章一つで何でも売れてしまうのではないか?


変なライティングの本や教材で勉強したつもりになってる方がいたら、本書をボロボロになるまで読み込むといいんではないか?

 

 

鳩はハトなりにもそう思う。

 

 

 

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