人の目を気にせず、自分と原理原則を信じる | 自由人へのパスポート 「Shigemi Yukitoshi Program」

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マスター重見幸俊氏の学びを紹介しながら
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こんにちは、「学ぶハナミズキ」です。


いつもいいねやペタをありがとうございます♪




     

       (アセビ)


「こんな事言ったら、人から何と言われるだろう?」

「こんな事して失敗したら、人はどう思うだろう?」

と人目が気になって、言いたいこと、やりたい事に

ブレーキがかかるという事はありませんか?


それは人の批判を無意識に恐れているから

勇気が出ないのであって、

やりたい事を成し遂げる喜びよりも

人に何て言われるだろう、という恐れの方が

大きいからなんでしょうね。


そういう人の目が気になるというのは

社会システムの何者かによって決められた規範、

つまり「これは良い事・これは悪い事」というのが

そのように条件付けるのだとマスターは言っています。


但し規範だからと言って、それが必ずしも

善悪を指し示すとは限らないのですが

規範が決められると、

人々はそれに縛られるようになりますよね。


また、子供が幼少時の親の言葉にも一因があるようです。


親が子供を従わせたい時や

親の意に反する事をしようとした時などに

「そんなことしたら、人に笑われるよ」

などと言ったりする事がありますね。


その結果、子供は自分で考えるより、人の判断を

行動の基準(ものさし)に考えるようになってしまうのです。


でも、全く人の目を気にしない人もいます。


そういう人は、自分に自信があり、自分の信念に従って

行動しているので、全く人の目が気にならないのですね。


釈迦は


「自己を島とし自己を頼りとして他人を頼りとせず、

ダンマを島としダンマを頼りとして

他のモノを頼りとせずにいなさい」


と言っています。


島とは流されないモノ、ダンマとは法則、

つまり原理原則のことです。


つまり、自分と原理原則を信じて

他のモノに流されないようにしなさい

と言っている訳です。


(原理原則とは、

「そうすればそうなる、ああすればああなる」

という法則性です)


日本では、この釈迦の教えを「自灯明・法灯明」として

知られているようです。


これはとても大切な考え方で、そう考える事によって

人は責任を引き受け、勇気や自信を培い

揺るがない人間へと成長して行く、

マスターは言っています。


でも人の目が気になるというのは

自分で判断するのではなく、

判断基準を他人の意見にするという事ですね?


何かしようとしても、人に変な目で見られるかもしれない

と考えると、ブレーキがかかって、


自由に行動する事も発想も出来なくなります。


これでは、「独立して自ら思索して考える」ことが

出来なくなって、思考の牢獄です。


ではその原理原則をどう学ぶかですが

マスターのプログラムには原理原則が満載なので

繰り返し学ぶことで徐々にそれが自分のモノと

なってきます。


私もまだまだ修行中ですが、いつしか

原理原則からモノを考えられるようになり

あまり人の目を気にしなくなっている自分を感じています。


こういう成果があるので、学ぶ事が楽しいのです(*^▽^*)



最後まで読んでくださって、ありがとうございました。