とある日曜日。友人に年に何度か誘われるハイド主演のライブたるものに行く事となった。


VAMPSライブには昨年何度か連行されて行ったのだが、ラルクは初めて。どうやら20周年記念のライブらしく、2日間に渡る開催であった。




ハイドのナイス顔面にやられている友人、強烈なファンであるが一人で行くのは心細い、誰かと一緒に行きたいから付いて来てという情弱ぶりを発揮する。という事でライブの度、毎度自動的に長方形ミシン目入りの紙切れを頂戴し、しかる後その紙切れは友人に返却するシステムとなっている。




知らない曲もありましょうどうぞ熟聴してくださいと申し訳なさそに手渡す円盤も恒例行事となっており、わかり申した通勤中にひたすら流す。友人カップルで行くならば2枚でよかったんじゃね?なぞ少々の疑問を抱きつつ。


真面目か。




今回のライブは4人で行く事になっており当初は友人カップルと同僚と私で行く予定だった。のだがどうやら部屋とYシャツと私めいた響きに嫌悪感を持った同僚が華麗にライブを辞退し残ってしまった紙切れ一枚。


ぐぬぬぬと考え、とある人を誘ってみる。私は完全拒否されると思っていたのだが、意外にもOKしてくれた。


しかしながらこの人、ラルクに間違いなく興味がない。根絶興味がない。エコ活動ご協力ありがとうございます。


友人は丸2日のライブを堪能すべく前日既に味スタインしており、私と相方は当日朝小雨さらさら降る中、味の元スタジアムへいざ参る。朝マック口一杯にカーラヂヲからは嵐の予感。




事故渋滞  腰痛 大雨 そして 鳥肌実。




降り止まぬ雨 雨 雨 。後部座席のゴミ チリ ゴミ そして舞う。




相方、車きちゃないぞおい。




そうこうしている内に東京着。味スタ近隣には車が置けないという事で、父に電話。なんと味スタから程ない深大寺という場所に居住しているのだ。鬼太郎に命を捧げておいてよかった。




「おっ父、車を置かせて欲しいズラ。ついでに送って欲しいズラ」




我侭な要望に答えてくれた父は実に7年ぶりの再会である。


久方ぶりの再会が故にやたら饒舌だった。相方にただひたすら自慢話である。私は初めて恋人と接吻したのち顔を見合わせ照れ笑いを浮かべるような、初々しい恥ずかしさと紅潮する顔を隠す事が出来なかった。南無。



そうこうしてるうちに到着。



府中競馬場。


相方の顔面は嬉々としテンション急上昇なう。私は右も左もわからずただひたすら相方についてゆく。

場内のくそ高いピッツアを喰らいながら最終レース予想を開始。

私は父上の予言した馬券を購入。相方は瞑想にふけった後、鼻息荒く購入。



あげく 撃沈。


私と相方の顔はハイフンだけで充分描ける形相。

カタンコトンとゆれる電車の、中刷り広告を滲む目で眺めていた。






あぁ、味スタ?


地蔵の如く突っ立ち微動だにせずに豪雨にに打たれて修行しましたよ。



ハイド?


誰ですか



台風だと聞きましたが?

そんなことより相方のハイフン顔がいつ人間に戻れるかの方が重大。



唄?


覚えてない。



父上から貰った回転椅子を手土産に途方もない距離を疾駆し、ハイフン顔を眺めて寝た。

意味はない


けどブログタイトル変えた。馬面多かった。

ふと、小学生時分に食い入るように見ていたポケットサイズのことわざ辞典を思い出した。


やたらと印象に残っていたのでなんとなく、それにした。



以上。


あ、差し歯が抜けたんだった。

以下原文ままよ


桃尻ももちゃん


知人に頼まれて渋々デリヘル運転手アルバイトをした。時には電話番までさせられたのである。バイト代はお情け程度、まじやってられん。そんな風にくさくさしていたのだが、嬢にはなぜか気に入られた。


嬢たちの仕事が入ると助手席に乗せラブホまでレッツゴーなのである。仕事の回数は一本二本と数える。なんともえげつない。あなた方のムスコ達は本数計算されているのですよっと。まぁ、あながち間違っちゃいないが。


その嬢の中にももちゃんという源氏名の付いた子がいた。年齢は当時27歳。細身の身体ながらに爆乳である。顔は好みの違いあれど私は癒し系好きなので、ももちゃんを見るたび心の底から癒されていた。ももちゃんには彼氏がいるのだがこの仕事をしているのは、内緒である。しかし同棲しているのに夜に出てくるのだから、どう言い訳しているのかと非常に気になった。だので、ももちゃんに訊ねてみた。そうしたところ、彼は夜勤のある仕事のようで夜にデリヘルするときは彼氏の夜勤に合わせているとの事。

日中は普通に仕事に行ってると言っているらしい。癒し系の彼女を持つ貴方。気をつけなされよ。


しかしこのももちゃん、非常にいい娘で話も合うしおっとりしたしゃべり口調がたまらない。何より爆乳である。原爆オナニーズを聞きたくなってきた。

どうにもこうにも胸に目線がロックオンされてしまうのだが、ももちゃんは我関せずの具合。なんやかやと話をしている内、現場に着いた。頑張ってねと心張り裂ける思いでももちゃんを送り出す。あの身体を弄ばれてしまうのかと車のドア越し、目蓋に大海原を作っていた。


突然ももちゃんは出勤拒否をした。店の電話から掛けても、店長の携帯から掛けても一向に出ない。いささか不安になり、店長に許可を得てももちゃんの自宅へと急行した。その間私の携帯からももちゃんに電話を掛けてみた。一応アルバイトの身分だし、嬢との関わりも親睦もあまり深めたくなかったのでプライベートの携帯番号を嬢に教えることは無かった、が、ももちゃんだけは特別だった。しつこいようだが爆乳である。

プルルルと呼び出し音鳴る事5回。・・・・・出た!まどろんだ様子の声、もしもしが聞こえた。私は慌てて「ももちゃん、どうかしたの?大丈夫?」と幼稚園児が体調不良の母を心配して声を掛けるようなキラキラした童子の如く訊ねた。「うん・・・。昨日彼氏とね、喧嘩しちゃって・・・・。悲しくて不安で薬を飲んだのだけれど先生に処方された量では効かない感じがしてね・・・・。貰った薬を全部飲んだんだ・・・・」



ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ


ぜっ、全部ですかぁああああああああああああああ?????????


死んでしまうじゃないですか!だめですよ!そんなん!いっっ今すぐももちゃんの自宅に行きますから、とにかく電話切っちゃだめですよ!?私が着くまで話をしていましょう!いいですね?待ってて下さい!


大慌てでももちゃん宅に向かう。猛烈に心配すると同時に私の心のゴルゴに連絡が来た。本日15時18分 ねむはよからん事をカイシスベシ。・・・そう、ももちゃんは私の電話には出てくれた。待ってろももよ、ウシシ。心配と下心は紙一重である。失恋の相談に乗った男子が女友達とよい感じになってしまう定説にも似た感情が私の中の悪魔に微笑んだ。


しかしながら到着までは30分少々、時間がかかる。ももちゃんと電話を続けたかったが警察の目もある。ごめんももちゃん一度電話切るわ、兎に角お水をたんと飲んで大人しくしているんだよと電話を切る。かつて一人の皇帝が西方の名馬を渇望し汗血馬を手に入れたが如く爆乳の元へ爆走した。ただひたすらに、武帝になりたい。


ほどなくして到着。



玄関前、高鳴る鼓動を抑えつつインターホンを鳴らした。・・・・鳴らない。壊れているようだ。

電話しようかとも思ったが目の前なのでドアを開けて声を掛けることにした。


ぎぎぎいいい・・・きゅうっ


軋んだ音と共に扉が開かれた。



「ももち・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


声を掛けるのは、やめた。


恋焦がれたももちゃんは必死に武帝へと変化を遂げる私を尻目に、突然戻ってきた彼氏とよろしくしていたのであった。なまめかしい艶やかな肌が暖簾越し、ちらりちらりと見えてくる。


そうっと、扉を閉めた。


最後に見た私の汗血馬は、美麗な桃の尻を輝かせていた。



今年もまた、台風がやってくる。




或る日、友人がこんなことを言っていた。


「俺は今、五反田で破談、地団駄して段田団」



・・・なぜこんなリリックを奏でたのかは不明である。だいたいその友人は五反田にも住んでいないし破談もしていない。むしろ婚姻して子もいる。何にしろ段田団突如現る意味がどうにも解明しない。

友人の人生に於いて何一つ引っかかっていないこのリリックは人生としての韻を踏んでいない事となり、ということは全く成立しないとイコールになる。悪夢のようなリリックを思い出してしまったこと、そうしてこんな友人を持った私に合掌。

以下の文章とはなんら関係もない。が、親父ギャグ的センスに於いては同等の扱いやも知らん。南無。


店長が出張で失踪


いつだったか、忘れた。確か、とろとろと流れる川の清流のようにふんわりとした日差し、ぽんやりするには最適な午後であった記憶がある。中古バイクを取り扱う事情から、バイクのフリーマーケットに足繁く通った。とはいえ店はどう頑張っても1日しか休めずいける範囲に限界はあった。

そんな訳で私は留守番、店長がフリマへということもしばしば。

そのうららかな穏やかDAYにてんちょさんは仰った。


「買出し行って来るから、店頼むぞ~」


はいはい、解りましたよと軽トラの鍵を手渡したのち見送った。はて、どこまで買出しに行くのだろうか。まぁてんちょのことだ、愛知なんだろうとあまり深く考えずにいた。出かけた時刻は午前9時、お決まりのパターンだと15時過ぎに電話が鳴りいいもんあったぞと報告。そして店に戻るのが夜22時。今夜はどんなバイクが到来するのかと内心うきうきウォッチング気分であった。


15時。電話は鳴らず。まぁ取引難航しているのかなと考える。16時。おかしいなまだ連絡来ない。携帯の電源でも切れたのかしらんと少々、微々たる物だが隠し味程度に不安を覚える。17時。いよいよ隠し味どころか表立ってしょっぱい味に仕上がる。18時。こちらから連絡すれども電波の届かない場所におられるか~とDOCOMOのおねいさんに拒否られる。19時。常連に連絡しまくり皆を不安がらせる。20時ちらほらと常連が店に現れ安否を気遣う。21時。てんちょの彼女に連絡してみる。が、こちらもやはりDOCOMOのおねいさん登場、連絡付かず。22時を回っても帰ってこない。これは一体どうしたことだとざわざわする。挙句、


「もういいでしょう。帰って寝ましょう。」


薄情である。皆薄情である。言い出したるは私だが。

あくる日。てんちょはいなかった。そうしててんちょの彼女もいなかった、というか2人共に連絡がつかない。何なんだ一体!?さすがに手が震えた。身体も、足も。トイレを我慢していたことを忘れていた。

トイレに入ったところ、その震えは嘘のように消える。安否を気遣っての震えではなかったことが鉄板。しかし、だ。てんちょは一体何があったのだろうか。警察へ連絡してもいいが余計なことになってはいけない。ただひたすら悶々とし、時間は刻々と過ぎていった。


りんりんり~ん!!


突然店の電話がけたたましく、大きく鳴った。いつもより音が大きく感じた。

「○○警察の者ですが~」・・・まじか、警察って・・・。てんちょ死んだか!?猛烈な恐怖に慄きながら電話口の向こう、警官の次の言葉を待つとこう言う。「△△さんなのですが、そちらで勤務されていたことは間違いないですか?」「は、はい!間違いはないです。何かあったのですか?」と食い気味に警官に尋ねた。すると警官は「実はねぇ、△△さんちょっっっとねぇ~・・・」勿体ぶるのである。そんなじらしプレイをして、私に何を求めているのだ?警官の容赦ないプレイに興奮した私はだだだと話しかけた。「何があったのですか?私は店の留守番だけなので、戻ってこないと様々支障があるのですが・・・」本当にそうなのだ。私はあくまでスタッフというだけで細かいことは何一つ知らないのである。警官はやっと重い口を開いた。「この人ね、無免許なんですよ。しかも住所も偽ってるし愛知のほうでは名前も。という訳でタイ~ホしましたから暫くは刑務所です。」警察は淡々と語っていた。私は頭がガンガンした。波平さんに双子の兄がいたことよりも、大好きだったユニコーンが解散した事実よりも衝撃的であった。うわぁぁあっぁぁどうしよう。チーンと電話を切った後、私はなよなよと座り込んでしまった。

さて、今後どうしようか、店を閉めるわけにはいかないし来店する人は日々いるしましてやこんな事情は話せない。でも確かにあのてんちょ、虚言癖あったからなぁ~、バンドやっていたと言えば俺もやっていた、コンテストで優勝して中島みゆきに呼び出されて褒められた  だとか WORKSのレーサーだった とか あり得もしない事を平然と言っていた事を思い出し、ちょっぴり、泣いた。そうしていやいやそんなことではない、今後をどうするかと考えあぐねていた。


結果



全てを人のせいにし現実逃避セヨ


という神からの進言があったので、そうした。


てんちょは1ヵ月後、何食わぬ顔で店にひょっこり現れた。

給料は、未だ未払いである。

以下、過去の記事。



ロビンソン


18歳当時私は中古バイクショップに勤めていた。何度も言っているが勤めており、19歳になる頃、なかなかよい感じの相方ができたのだ。



相方は同い年。音楽に長けていて中学時代になにかの音楽コンクールで優勝したらしい。そんな相方は音楽の道を目指すべく東京へ、専門学校へと旅立ち学費は自分で賄うからと新聞屋でアルバイトをしていた。


ちょっとした遠距離である。休みのごとお互いがお互いに会うべく行き来していた。瞬間会うだけでも幸せで。そんな相方は中学時代、毛髪をキンキンに染めておったそうな。決してヤンキーではない。

当然先生に呼び止められ、その頭は何なんだ!!とこっぴどく怒られたが相方は飄々とし、相方は先生にこう言った。


「金髪なのはうちの母がブラジル人だからです」

と悲しげに答える相方に、先生はそれは大変申し訳ないと深々と頭を垂れたそうである。


翌朝


先生に昨日の10倍、こっぴどく怒られることとなるのは想定外であった。




「お前!ブラジル人は黒髪じゃねーか!!!!」


とんだ言いがかりだ。何を隠そう相方の母親はれっきとした純日本人なのである。

ブラジル人とか、全くもって無関係だ。



そんな相方と月に数回、逢瀬を重ねていたところもう様々限界がきている、音楽活動は続けるが新聞屋と学校は辞める。そんなことを言ってきた。相方は頑固である上信念が深い。私は引き止めることも頷く事もせずただ、好きにしたらいい、あなたの人生だから悔いのないようにしなさいと、言った。


数週間後、とうとう専門学校も退学し東京の下宿にあった荷物も片付け相方は静岡に戻ってくることとなる。



私同様相方もまた、バイク好きであった。帰省するや中古で400ccバイクを購入、毎日のように店に来店、私は嬉々としてそれを迎え入れ毎日心が満たされた気分だった。



帰省して1ヵ月後、いつものように店に現れた相方はいつもより少し物憂げな様に感じ取れまた何かに急かされているようにも見えた。


「今日はちょっと用事があるからすぐ帰るよ~。また連絡するから、夜にね」

そう言うと、おんぼろ車が故CDの聴けない私に「流行り物もちゃんと聴かないといけないよ」と相方がポンと手渡してくれたテープには、スピッツの「ロビンソン」が入っていた。車内では何度も何度もロビンソンを流す私は真面目なのである。



相方はブオンとバイクをひと吹かし、4ストの重低音と共にボボボと消えていった。



そう、本当に消えてしまった。



その日の夜中、自宅の電話がりんりん鳴り何事だと家の者皆起きてきた。2時すぎだろうか。妙な胸騒ぎを覚えながら電話に出ると、相方の母が言葉にならない声で私に発狂した。


「○○が、○○が!!事故で、事故で・・・!すぐに病院に来て!」


頭が混乱し心臓がこれでもかと全身に樹液のようなドロドロした血液を巡らせてこようとしている。よくわからぬまま状況も把握せぬまま脱ぎ捨てた服を拾い集めてなんとか身支度整え、病院へ向かった。


病院到着程なく言われた病室に、べたばたと足音乱してなだれ込むように入る。

「あっ」


看護師は私を見つけ、思わす声を発してしまったようだ。

その言葉を取り繕うように「今綺麗にしていますからね、外で少しお待ちくださいね。」

看護師は手馴れたものだ。私の気違いめいた気持ちを一言で諌めたのである。


看護師は相方を見せんと必死に隠す仕草をしている。2人の看護師腕の隙間から相方を、ちらり覗いた。


頭は膨張し腕から足からぱんぱんに膨れ上がり、消毒液まみれに染まった身体をよく絞ったタオルで拭きあげているので、素っ裸だった。きっとついさっきまでOPE室で救命措置をとっていたのだろう。



死に目には、会えなかった。





あまりの突然に涙もでなかった。10分ほどだろうか、看護師が相方の身なりを綺麗に綺麗に整えてくれている時間はものすごく長くて長くて、心臓が、息が、頭が、全てが身体から吐き出されて無くなってしまうのではないかという思いだった。


「いいですよ、入ってください。最後の挨拶をしてあげてくださいね」

やさしく微笑む看護師に嫉妬し残酷を見た。なぜ立ち合わせてくれなかったのかと。

そんなことはできるはずもないのだが、その時はそう思った。


目の前にいる相方はそれはそれは綺麗に綺麗に髪も顔も身体も、整えられていた。耳と鼻には綿が詰めてあり、泣きじゃくる相方の母親の前に呆然と立ち尽くした。


今日逢ったんだよなぁ。あの時どこにいくの?と聞けばよかったなぁ。相方の、初恋の人にこの事実を伝えなくてはなぁ。

取り留めのない考えばかりが浮かんでくる。




あくる日、通夜と葬式を済ませバイクショップの離れのプレハブ小屋、休憩室に篭った。誰にも会いたくない日はここに篭るのが定説で。


そこにはベットとテレビと灰皿だけがぽつねん置いてあり、この廃墟じみた空間が私は何とも好きであった。




テレビをつけると深夜の放送が済み砂嵐がとうとうと流れる。その砂嵐にニヤっと笑う相方の顔がぼぅっと浮かんだ。

見返してもやはり相方が映っている。幻想でもなんでもなかった。一人私は「○○、向こうでプロになれよ」と呟き、砂嵐のテレビにそっとキスをして、初めて一粒涙を流した。





ロビンソンはそんな歌だ。