――― 薬が切れた
ケケケと笑いながら夕暮れ過ぎた薄暗闇にバックの中を弄ってみるものの、やはりもう安定剤と睡眠薬は無い。
あるのはマルボロと中身が空の財布のみ。
この前の夜、多量に飲み込んでしまったのが間違いだったのかしらん。くしゃくしゃになった銀色の紙しか残っていない。病院に行きたくとも銭がないし何より動く気力がない。
もう既に3日無睡眠なものだから、さすがに動悸と激しい頭痛が起きてきている。
チッと舌打ちしてまたヘラヘラと笑って見せた。正常ではない日常と意識を宥めてくれるのはパーソナルコンピュウタアと携帯電話に保存されているあの人からの過去メエルのみ。
してやったりのしたり顔した母親に薄ぺらな心配をされ無理やり食事を摂らされる。ごくりと飲み込むと同時に猛烈な吐き気に襲われるがその場は誤魔化し、もういらないと箸を置きコンビニへ行ってくると家を出て便所へ駆け込む。げぇげぇと吐き出すさまは今の私にしっくりくる。
ひとしきり吐き出した食物に胃がかなり持ち上がってきているが、ふぅと煙草を一蒸かし、胃は徐々に定位置に収まった。しばしコンビニにて行き交う人々の顔を眺めてみようと、駐車場へしゃがみこむ。
学生や社会人が丁度帰宅の途に着く時間帯のようで、様々表情が目に飛び込んでくる。もう一本、煙草を取り出した。
ゆらゆら揺れる煙草の煙の隙間から、少しずつ照明器具の明かりが眩しくなってくるのを感じ取れた。目を細め出入りする人々を観察すると、学生は皆笑顔で入っていくが、社会人の面々は一様に無表情であった。
これが人生経験の経年差なのだろうか。無意識の内、仕事脳に侵されてしまうと表情すら脳より頑なになってしまうのであろうか。初夏の今、蛍光灯の辺りに虫がブンブンとうるさい。
じじじじ- ばちん
じじじじー ばちん
じじじじー ばちん
紫色の蛍光灯に吸い寄せられた虫たちがぽたぽたと殺生されアスファルトに堕ちて行く。
くらくらと目眩が、私もあの虫同様吸い寄せられていっそ殺されてしまいたい願望に飲み込まれそうになった。
寄りかかっていた金網の網目に指を絡めながらよれよれと立ち上がり、帰りたくは無いが自宅に戻らなくては。重い足どりで側溝の蓋のつなぎ目を頼りに何とか真っ直ぐ歩く。
また現実に戻るのか。
道路の白線がぐにゃぐにゃして見えるのは気のせいだろうか。眼前にあの人の顔が幾度と無く現れるのは気のせいだろうか。
無邪気な小学生がきゃあきゃあ云いながら自転車を漕いで私の横をするりすり抜けていった。
思えばあのくらいの時期から私に自由は無かったな。
言葉を発しようとすれば「うるさい」「あんたは嘘つきだから喋るな」と怒号が飛び、喋る事ができなくなった。食事の茶碗を家族全員片付ける母は何故か私の空の食器だけ置きっぱなしだった。友達は選別され、兄と勉学の優越を比較され、デブで父親似で、喘息持ちで勉強ができない。そんな私を疎ましく思っていたのであろう。
その頃の私は本を貪るように読んでいた。かなり難しい精神論とか読んでいた記憶があるが、今となっては記憶にうっすらしかない。時折、単語単語がふと頭を過ぎる。
小学四年頃両親は離婚したが、原因は多分母の浮気であろう。離婚して半年後に新しい父となるべく人が現れた。当時の私は夜中に皿やら包丁やらが飛びかうよりましだと思っていたし、なにより母親を第三者という感覚でいたものだから新しい父親だろうが何だろうがどうでもいいことなのであった。
なんだかそんなことを様々歩きながら思い出してしまい、いつもよりもずっと時間をかけて帰宅し、自宅に戻るとすぐに思考を巡らせまいとパーソナルコンピュウタアの前にしゃがみ込んだ。
あの人からの「さようなら」がどうにも頭から離れない。
頭痛と共に涙が出てきてしまうのでどうにか別の思考をしなければ。心臓音が激しくなってくるのがわかる。
自分に多分に原因があるのであって、私から決別をしたのであって、私より何よりあの人のほうが余程傷ついているのであって、私が眠れないのは自身への罰であって、これはもうどうにも仕方の無いことなのであるのだが、「ふざけるな」とか「最低だな」とか暴言を一切云わずに全てを飲み込んでくれたあの人に後悔の念ばかりが振り払えずにいる。
息がいよいよ苦しくなってきた。
真白いPC画面が目を焦がし、頭蓋の奥から奇妙な笑い声が聞こえてくる。誰なのだろうか。
続く