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八子のブログ(旧館)

ブログを移転しました。
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先日、道に歩いた時、ソフトバンクホークスの応援Tシャツを着ている運転手さんを見た。さすが日本だなあと思って、微笑んだ。
中国にいた時、「タッチ」などのアニメを見て、野球は日本で人気があると分かっているけど、日本に来て、野球の人気を身をもって感じた。普段ニュースを聞く時、必ず野球試合の結果の放送がある。時々公園を通り過ぎて、キャッチボールを練習する子どもたちの姿が見える。去年11月、ソフトバンクホークスは日本一になった時、「日本一おめでとう」の看板がどこでも見えた。福岡ほとんどの店はキャンペーンがあって、試合勝っただけでちょっと大げさじゃない?同時の私はそう思っていたが、半年ぐらい経て、どんどん野球の地位、役割を分かるようになった。
日本で、野球はスポーツのトップに立っている。しかし、体育大国と呼ばれる中国は、野球みたいな国民的なスポーツはないと思う。ピンポン球はかつて「国球」と呼ばれ、中国の選手たちはよくオリンピックで勝つから、中国人にとっては、本当に誇りがあるスポーツだが、野球と比べたらやはりどこか足りないと感じた。中国のスポーツはスポーツ選手だけのことだ、普通の人とあまり関係がないみたい。日本人にとって野球は身近いことだった一方、中国人にとって、ピンポンはオリンピックの時だけ見るものだろう。
大連で過ごしたことがあるから、北の方では、サッカーはもっとも人気があると感じていた。何年前、中国サッカーの悪いニュースが少なかった時、大連の「実徳隊」は非常に盛んでいて、地元の人はよく試合を見に行ったり、生放送を見たりした。応援グッズの販売も良かったし、サッカー選手を目指す少年も少なくなかった。サッカーのことを言ったら、誰でも興味津々だった。去年、まだ中国の大学にいた時、大学のサッカー場で大連「実徳隊」の試合があったから、友達の中で地元出身の人はだいたい見に行った。しかし、帰った時「やはり前より弱かったなあ…残念」と皆そう言った。ちょっと悲しくなった、サッカーは日本の野球みたいになれるけど、サッカー界のせいで、影響力どんどん弱くなった。
スポーツはどんな役割を果たすか、この文を書いた時ずっと考えている。オリンピックの精神higher、swifter、strongerはもちろんだが、もっと現実的な役割は経済を促進、人々に元気を与える、この二つだろう。今まで中国の体育界に対する批判は数多く存在している、特に「全国の力を尽くして、選手の成績を上がる」と「結果だけ重視する」の意見を賛成する人が多い。社会主義の原因かもしれないが、中国は全国の力を尽くす何かをやることが好きみたい。大躍進の時も、核開発の時も、体育も例外ではない。あるイギリスのスポーツ選手は中国選手「ロボットみたい」と言った、なぜかというと、感情がない、金メダルだけ目指す、練習ばかりしてるからだ。確かにそうだった、私は戦う戦士じゃなくて、人間味がある人をみたい。
スポーツはどれぐらいの市場があるか、私の知っている限り、この辺の報道はあまりなかった。経済を促進するどころか、選手を育成するため、お金ばかり使うのだろう。日本みたいに応援グッズ、キャンペーンがあればいいと思う。ソフトバンクホークスのパンフレットを見た時、家族向けのいい席はご飯までついている、これは素晴らしい発想だと本当に感心している。
スポーツはなぜ人々に元気を与えるか、私の考えは、試合をみると、所属感が感じれるからだ。人間は社会の動物だから、必ずある集団に所属したい。日本野球みたいに、各地自分のチームがあって、試合をすれば、どちらを支持しなければならない、そこで一体感、所属感が生じた。そう考えてみると、日本の野球は代わりのない重要な存在だ。
地元への愛情はどう生じるか、どうやって人々に参加させるか。スポーツの他に、各地独特な祭りも結構役に立つと思う。これから、先日見た山笠を例として述べよう。

TBC
これは日本に来た前の話だった。 
留学の手続きをするために、交番所に行った。その手続きはもう一枚が必要だと言われて、近くのプリントの店に行った。そこで、友達と話しながら、待っていた。
お店の旦那さんは五十歳ぐらいのお爺さん、眼鏡をかけて、無口な人みたい。私たちの話を聞いて、急に声をかかった「あんたたち、日本へ留学するの。」
ちょっと意外だけど、正直に返事した「え、そうですけど…」
お爺さんはしばらく黙って、言った「日本か、日本にいる中国の地位が低いんだよ!人から軽く見られる!」
私ちょっと驚いた、言葉が出てこなかった、黙ったままで、お店に出た。その時お爺さんに言わなかったが、自分はそう思ってる。尊厳なんて他の人からもらったものではなく、自分自身持っているものだ。もし自分はいい人だったら、如何な社会でも尊敬されるだろう。
その後日本行って、留学している。日本にいる間、自分は中国人、自分は外国人だと強い感じなかった、たまに「外国の方ですね」と言われても別に差別されたり軽く見られたりすることではない。それより、中国人自身の意識少し問題があるかなと思っている。

バイト先の先輩は中国人で、高校卒業の後日本にきて、日本語を勉強している。とても優しい人で、いろいろと教えてくれた。この間店の人はあまり足りなかったので、ある日本人の女の子が入った。店の仕事だいたいレジだけど、朝の時、トイレの掃除や外の掃除とかもあるのだ。あの女の子はまめな人で、よく自らトイレ掃除をしている。ある日、先輩と一緒に外掃除をした時、いきなり聞かれた。
「最近よく私に『これをやれあれをやれ』って言われたね、いやだろう。」
「いや…別に…仕事だから…」なぜこの問題を聞いたのと思いながら答えた。
「そっか」先輩は続いて言った「あなたと話している時あまり注意してないね、友達だからもん。普段日本人と話す時絶対そうじゃないよ。ほら、新しい来た子、トイレ掃除をさせてもなんか自分は申し訳ないなと思って…」
この話を聞いて、なんか吐くそう。多分自分も敏感しすぎるかもしれないが、先輩の考え方はどうしても納得できない。トイレ掃除は仕事の一環、きたないから中国人にやらせる、日本人なららくな仕事をしていい、しかもそう思っているのは中国人。おかしいではないか。
話はちょっと混乱になったが、言いたいのは、他の人からの尊重を得るために、まず自分は尊厳を持ちべきだ。自分自身を差別的だと自虐的になるなら、他の人もついに差別するだろう。中国の諺「高ぶらずへつらわず、傲慢でもなく卑屈でもない」のいうような態度は一番理想的だと思う。
 先日、有名な童話作家鄭淵潔は自分のシナ微博で、小学校の幹部制度を激しく批判した。小学校幹部制度は三つの大罪がある、つまり「強権のために力を尽くすこと」、「仲間を裏切ること」、「仲間をひどく扱うこと」と述べ、小学校幹部制度を取り消すべきだと呼びかける。このツイートはネット上でかなり大きな反応を起こさせ、関連の投票結果から見て、90%以上の人は鄭淵潔の意見を賛成した。もちろん反対の声もあった。幹部制度は子供たちの能力を伸ばせ、クラスの紀律が守られるという意見が出て来た。
 このニュースを見た後、半年前に一時的話題になった少先隊総隊長ー黄芸博のことを思い出した。この少年は2歳からCCTVのニュースを見た、7歳から「人民日報」を読んだ、わずか13歳なのに、総隊長になった。その総隊長の象徴といえば、黄さんいつも付いてる「五本線」のだ。
 中国の小学校、幹部と庶民の区別は左腕で付いてる「一本線」「二本線」「三本線」ということだ(画像→http://upload.newhua.com/e/3f/1304581090169.jpg)。「一本線」は小隊長、「二本線」は中隊長、「三本線」は大隊長だ。簡単に言えば、小隊長は10人ぐらいを管理する、中隊長は一つクラス、大隊長は一つ学年、また全部の学生を管理する。これは一般的な仕組みので、「五本線」はあまりばかばかしくて、ネットユーザーに笑わせた。
 小隊長、中隊長はクラスの組長と班長を対応し、権利は大体同じ、呼び方違うだけだ。小隊長、つまり組長の権利だといえば、宿題の回収ぐらいだ。中隊長の権利は大きいのだ、一つのクラスを管理する。他の学校の班長はどうな権利があるか知らないが、自分経験したことをすこし述べよう、全国大きな区別はないと思う。
 小学校や中学校の時、クラスの幹部たちは「クラス紀律日記」みたいなものがある。班長、時々組長はこのクラス一日の動きを記録する。例えば今日何人遅刻した、授業中誰がしゃべった、誰かルールを守らなかった、ちゃんと名前を書かなければならない、そして放課後先生見せるのだ。日記で記録される人は次の日先生に呼ばれて、叱られるかも。また自習する時、直接他のクラスメートを警告したり叱ったりすることができるのだ。幹部を選ぶ基準はあまりない、一応投票で決めるが、成績に左右されるため、本当に腕がある学生は幹部にならない可能性もある。実際に先生一人で決める場合が非常に多い、だから親たち賄賂を使うことはまったく珍しくない。
 私小学校中学校の時、成績がよかったから、組長や班長とかやったことがあった。でも私決していい幹部ではなかった。皆に笑わせるかもしれないが、私いつも学生たち自治グルプを作るべきだと思い込んだ。幹部は学生のために存在する、学生たち一つ組織になって、自分の要求をちゃんと先生に伝える、私はそう考えた。だけど、幹部制度が存在したため、この考え実現することはまず不可能だ。幹部になると、先生の番犬になるのだ。クラスメートを裏切るではないか、当時の私はそう思った。
 今でも、私は幹部制度を取り消したいと思う。小学校からの幹部制度は中国官僚主義の芽生えだと言っても過言ではない。学生は幼い時から、官僚の意識を持つが、サービスする精神がない。官民の差別があり、不平等の関係のため、対立しつつある。大人になっても、幹部への憧れは消えない、幹部になると親にも誇りがある。幹部は権利があり、安定で、自分の小集団が守れる。この不安定の社会で、かなり魅力的だ。毎年公務員試験を参加する若者の数から覗かれる。
 小学校にも「賄賂」を使ったり、小集団を作ったりする現象は多少あるから、大人たち醜い行為は知らず知らずうちに子供たちに影響を与える。やはり小学校幹部制度を取り消したほうがいい。もし取り消しないなら、せめて平等的に決めたほしい、シフト制になり、学生全員幹部になるチャンスを与えるのはよいではないだろうか。
 毎週の金曜日は作文の授業で、私は書くことが好きだから、毎週楽しんでいる。作文授業だと言っても、実際は小論文のトレーニングだ、だから先生はよく最近のニュースをテーマとして、私たちの観点を述べなさいという。
 先日、中国と韓国は衝突が起こった。皆知っているように中国の漁民は韓国の海に魚をとり、韓国の警察に発見され、トラブルが起きた。その結果一人の韓国警察が殺された。このニュースは中韓だけではなく、他の国にも注目される。ネット上は毎日討論され、作文のテーマとして、ちょうどいいじゃないかと思った。意外なのは、クラスメートの態度。皆強い抵抗する態度を示した。先生はびっくりした様子で、何故書きたくないのと聞いた。
 「この事件にあまり知らないね...」ある女の子が言った。
 「そうよ、しかも、この記事書いたのは事実かどうか、判断できないよ。新聞は自分にとって、都合のいい話ばかり書いてるだろう。」隣の女の子はうなずいた。
 「先生、これ難しすぎるんだ、政治に全然分からんわ」後ろ男性の声が聞こえた。
 近くに座っている友達はこっそり私と言った。「先生は日本人だし、自分の国を批判しても、見せたくないな。」
 
 私はちょっと驚いた。クラスメートの見方とはかなりのギャップがあることが気付いた。
 この事件起きたからずっと関心を持って、いろんな意見にも読んだ。私の意見は船長が間違えた、でも政府側謝る必要がない、法律に従って処理しなければならない。今回の事件をきっかけに、汚染と乱獲の問題を重視し始めなければならない。でもネットで主な意見は船長は間違えなく、武器もない人は殺人なんてできないはず、きっと韓国の警察に殴られたから、仕方なく反抗した。これは個人的な行為で、政府側謝ることはない。そして、海の所属にも問題がある、以前サインされた「中韓漁業協定」は不平等な条約だった、守る必要はない。昔は中国の属国だったのに、偉そうに言うなって、ネットユーザーは反発した。ネットの意見から見て、私は少数派だった。
 去年上海万博の時、韓流スターが会場に来た、ひどい事件が起こった(このリンクを参考→http://bit.ly/saLFPN)。あの時以来、ネットで反韓は主流だ。私は元々韓国のドラマや歌手とか興味ない、反韓だと思われるが、実際に嫌いというより無関心。ちょっと心配しているのは、ネット上の反韓ブームはやりすぎるのだ。韓国が好きな人がいる同時に、嫌いな人もいる、これこそネットの常態だと思う、だが、韓国に関する声は一方的で、反韓は圧倒的だった。これは歪んでいるじゃないかと私は言いたい。
 今回の事件にも、ネットで韓国を批判する一方だった、罵倒する人も少なくなかった。警察は暴力を使うかどうかのはともかく、漁民まずルール違反だった。これは否定できない事実だった。以前ニュースにも時々報道した、汚染が酷く、乱獲したため、魚がなくなった。一応休漁期があるが、守られるかどうかまだ分からない。そして、中国のネットユーザーは韓国に色眼鏡で見るような気がした、これは昔から大国のプライドだといえるだろう。
 この大国のプライドを捨てたほうがいいと思う。そうしないと、客観的に問題見ることができないのだ。最後、今回網易の特集はよくできたと思う、違う声が聞こえた、コメントの方も冷静的な発言が多い。(リンク→http://bit.ly/sy9sLr)
 うちのクラス、男性は一人いる。一応Tさんと呼ぶ。Tさんと話したことはないが、時々遅刻して、あまりいい印象を持ってない。今日はTさんの発表なのに、また遅刻した。
 Tさん発表したテーマはお菓子だった、男なのに、お菓子を作りたいなんて、意外だなと思った。うちのクラスは大学院進学向けだが、Tさんはやはりお菓子に興味があるって、大学院を諦めて、専門学校を通うことを決めた。
 なかなか勇気が必要な決定だ。Tさんのことを見直した。
 うちの妹は同じ夢を持っている、つまりケーキ屋をやっていること、私は賛成したが、母は猛反対だった。なぜかと言うと、大学を行かないと駄目だ、母はそう思っている。もちろん母の心配をちゃんと理解できるが、納得できない。

 2000年前後、大学の規模は急に拡大して、大学生はどんどん珍しくない存在になった。以前大学に進学イコール仕事だった、しかし今大学生就職難は社会問題になった。大学は変わっているが、人々の考えは変わってない、大部分の親は子供が大学に進学すれば成功するのだと思い込んでいる。高校の先生たちも同じ、よく「大学に行けば、楽になるわよ」と言う。おかげさまで、大学に行き、「やった」と思い、遊びばかり、卒業直前、四年を振り返り何も得ない気がする。
 近年、「大学で何を勉強するか」という本は非常に人気になった。私読んだことはないが、この本何故人気になるか理由はなんとなく分かる。

 クラスには同じ学校の先輩がいる。先輩は去年日本に来たから、時々分からないこといっぱい聞いた。大学時代のことを話すと、先輩はよく悔しそうな顔している。
 「私はね、日本語全然好きではないの、だけど、大連(先輩の出身地は大連)は日系企業いっぱいあるから、母は日本語を勉強すれば、きっと仕事が見つけると思って、無理やり日本語を勉強させた。元々英語が好きだったのに」先輩はため息をついて、続いた。
 「日本語が好きではないから、やる気は全然ない。一級は合格したけど、話せない、最初日本に来たとき、本当につらかったわ。今やっと話せようになったが、英語は全部忘れちゃった。大学院で経営を勉強したいので、英語の試験を受けなければならない、でも今の英語力は...ああ、悔しいな...」
 わたし黙って聞いた。幸い日本語が好きだ、日本語勉強している時にも楽しかった。
 急に初めて日本語学院入った時のことを思い出した。高校生時代、アニメ好きな人はあまりなかった、大学で日本語を勉強して、同じ興味を持っている人沢山見つけるだろうと思ったのに、最初自己紹介の時、アニメが好きという人は非常に少なかった。大体は就職するため、または仕方なかったため日本語を勉強したわけだった。
 中国では大学入る前に、希望専門三つ選ぶことができる。しかし必ず第一希望通り好きな専門を入るわけがない。もし点数が足りない場合、第二希望にする、そして第三。第三だと言っても、自分選んだから、まあまあいいが、運が悪いと、合格人数があまり多い場合、他の専門に行くしかない。これは自分決めることではないのだ。周りではこのような人は少なくない。好きではないのに、仕方なく日本語を勉強して、楽しくないだろう。

 先輩は時々このような話を言った。「私の大学生活は本当にめちゃくちゃ、何をすればいいか分からない。将来のこと考えたこともない。アドバイスをくれた人がいればいいのにな。サークルや学生会など参加しなかった、毎週一番大切なことは実家に帰ることだった。アメリカなら、大学を入った前に、あまり勉強しないけど、大学に入ると、一生懸命勉強する。それに比べて、中国高校生時代勉強する意欲は既に燃えさした、大学で遊びばかり。大学こそ、差がつく時期だったのに。」
 先輩苦笑してる横顔を見て、何か言いたかったが、言えなかったままずっと黙っている。

 妹と話した時、もし母の話を従って、大学に行ったら、フランス語や経営とかを勉強しようかと言った。この二つ専門ならば、いつか役に立つかも。妹まだ若い、彼女にとって、人生はまだまだ始めた、いろんな選択ができる。失敗しても、ずっと応援したい。妹を支えるため、自分も頑張らないといけないのだ。