破壊される女神たち② 徒然考察編 | ハテナ?の王女さま

ハテナ?の王女さま

        ちょい早リタイヤ 日々雑記 

買い物を終えてスーパーから出てくると

見たこともないような、美しい飛行機雲!びっくり

なのにだれも見ていないよ~、もったいない💦

 

 

 

写真を撮りまくる私に、おじいさんが近づいて来て

「明日かあさってには雨になるよ」と教えてくれました

 

こういう、体験からくる知恵って素直に感動しちゃうな照れ

 

 

 

 

 

 

 

さて、連投失礼いたします<(_ _)>

 

昨日のブログで

縄文土偶と『古事記』『日本書紀』に登場する

二人の女神との関連について紹介しましたが↓

 

破壊される女神たち 『女神信仰と日本神話』

 

ここからは、そこからインスパイアされた

私の徒然なる考察を、書いてみようと思います

 

どうぞ、もうしばしお付き合いを

いただきたく💗<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

さて、前回紹介した、オホゲツヒメとウケモチ

 

この二人の太古の女神が

自然そのものを表しているのだろうということは

おそらく多くの人が気づくと思うのですが

 

この、女神を殺す、という残酷なイメージと

そこから与えられたという、豊かさのイメージは

私たちを少し、戸惑わせるものがありますよね

 

なんでわざわざ、そんなことするのさ!と

 

 

頼まれればいくらでも

食べ物や必要なものを与えていたという

大らかな女神たちおとめ座

 

なのになぜ?と

 

 

 

もしかしたら、この女神たちの世界は

一見、天国のように思えます

 

しかし見方を変えると、その女神(自然)が

与えてくれていたものは

 

もしかしたら、ときに

不作や不漁であったかもしれず

 

それは、絶え間ない循環の中で変わり続ける

自然の大いなる性質からくるものだったろうと思います

 

 

 

そのように、ちょっと不安定だったり

ときに暴れることもあるものの

彼女は決して、彼女の子供たちを見捨てることはなく

 

こぼれ落ちる小さな種の一粒さえも、全身で愛し

絶えず無償で、与え続けてくれていたはずです

 

そんな女神(自然)の性格を

古代の人々は尊重し、調和し崇めながら

暮らしていたのではないでしょうか

 

 

 

 

 

そして、この豊穣の女神を殺すことによって

五穀の恵みが現れるという記述

 

この女神を殺すのがどちらも

スサノヲとツクヨミという男神なのですが

 

(ちなみに二人とも、アマテラスの弟で

 これもまたちょっと興味深いですが

 今回は話がズレるので、またいずれ 笑)

 

 

 

これはおそらく、不安定ではあるものの

無尽蔵に生み出せるという、女性的な質を

 

男性性(意思)が、その全体性を壊し(否定し)

その一部を切り取って使用し、その恵みを

 

農業や養蚕として、コントロール下に置いた

…ということなんではないでしょうか

 

 

それと同時に

 

農業という安定した大量生産を可能にした代わりに

つねにそれらを管理し続けなければならず

 

それはある意味で

絶え間ない労働を作り出したはずです

 

 

 

 

 

そして、アマテラスが

ウケモチを殺してしまったツクヨミに激怒して

それ以降、顔を合わせなくなってしまい

 

このときから、世界は昼と夜の二つに

分かれてしまったという話ですが

 

 

 

これは、見方を変えれば

それまでの、淡い一元的な柔らかい世界観から

 

陰と陽、つまり二極に分かれた

二元的な価値観が勝ったということを

暗示しているのではないでしょうか

 

 

 

 

この二元的な世界では、私たち人間が

自分たちの知恵や技術を駆使して

 

世界をコントロールしているような

気になっているわけですが

 

本当にそうなのか?

 

 

 

 

 

ここで忘れてはいけないのは

そもそもの、大元の材料はすべて

 

この女神である

自然から与えられている、ということであり

 

 

彼女は、自分から奪い取っていく者たちを

決して罰することはないけれど

 

ただ、彼女は壊れていく

 

そして、そのまま息絶えるのか

あるいは、その偉大な回復力をもって

不死鳥のように、再生するのかのどちらかです

 

 

 

彼女は決して、私たちを罰することはしません

 

ただし、彼女が壊れていくときには

その、産毛の先っちょのような私たちが

 

当然、真っ先に生存を保てなくなっていくのは

ちょっと考えれば、わかります

 

 

 

 

何かをコントロールしようとしすぎるとき

私たちは、世界とのつながりを失います

 

赤ん坊にとっては

つながりを失う、ということは

即、生存の基盤を失うということですが


 

大人である私たちはその喪失感を

お金や、物や名誉で穴埋めしようとし

 

そのことでさらに

つながりとの断絶を深めてしまうという

結果になってるように思います

 

 

 


女性性と自然を

完全に同一視するわけではないけれど

 

この世界は、女性性と男性性の両方を

バランスよく必要としていて

 

本来は、もっと女性的な質が多いのが

自然な在り方なんだろうと思います

 

 

 

いま、私たちの世界では

女性性も男性性も、バランスを崩していて

それと同時に、どちらも深い傷を負っています

 

このまま、男性性優位で突き進む道が

何かしらの破滅を迎えるのは

もはや、時間の問題であって

 

人類が生存し続けられるのか、否か、という

ところまで来ているように思えるけれど

 

 

 

これは、ある意味、振り子が反転するごとく

 

私たちが分離の極限まで体験し尽くし

そしてまた、大いなるつながりの意識に戻っていくという

 

まさにその、転換期にあるのかもな、とも思ったり…

 

 

 

なんにせよ、私たちはいま

地球や他の種と、平和に共存していく術を

 

再度見直していかなければいけない

段階にいるのでしょうね

 

 

 

…というわけで、だいぶ長くなりましたが

破壊される女神に対する、個人的な徒然考察編でした

 

ご清聴ありがとうございました💓<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

余談ですが

 

この吉田敦彦という名前、どこかで見たことがあるなぁ…

と思ってたのですが

 

ハッ!っと思い立ち、本棚を見てみると…

 

 

 

あったー!笑

おそらく、20年以上前に買っていたと思われます

結局、昔から興味は変わらずのようで ( *´艸`)

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も遊びにいらしてくれて

ありがとうございました💗

 

すべての人が

自分らしく生きられますように

 

世界中の人が

安心して暮らせますように黄色い花