おはようございます。
佐世保の高1事件は、考えさせられることとなりました。
今回、担任をもつにあたっては、10年以上前に神戸で起きた中学生の事件とその後をつづった本を読み、3年目まできました。
友達の家に行く楽しみと、相手が意図している目的の達成による代償が高校生では、心身面であったり、金銭面であったりと、大きくなる傾向があることを知らなければならない。
常識が通用するかどうかは全くわからない。
私は生徒に、高校3年間でやってきたことが、君達の常識になるのだから、自分の常識が社会に近づかなければ、意味のない高校生活となり、結果として後悔しか残らないと伝えています。
友達関係については、呼ばれたら行く、呼んだら来る関係ではなく、ある目的をもって、決められた場所に集まり、その目的に対して精一杯かんばることで、仲間ができ、より生活が充実することを話しています。
もちろん、そこでは時間や当番などのルールがあり、お互いを気遣うマナーがある。
友達と仲間の違いを述べ、仲間であることが、私達にどれだけの安全、安心を与えるかということを理解させています。
よく、生徒から友達は居ますかと質問されます。
私は、居ないと答えます。
なぜなら、大事にしている友達は、自分の前から居なくなるからと答えます。
そして、気づいたら仲間だけが残っていました。
さすがに、悩みとかを打ち明けられる相手でもないので、そこが友達と違うし、友達は、目的がなくても、会えるし、一緒にも居れるので、そんな友達はやっぱり居ないと説明します。
友達になれるかどうかの判断基準は、今から会えるかと聞いて、いいよと返ってくるかどうかです。何をするのか聞き返されると仲間意識しかなく、友達にはなれないのです。
久しぶりにこんなブログになってしまいました。
興味のある方は、2年くらい前にたくさん書いた記憶があります。
あと数日で休めます。
今日も一日がんばりましょう。