或る動画で、お酒を口にして

 

 

No more peace inside here

 

 

と表現するシーンを観た。

 

そこには

 

 

平和の概念がねえ

 

 

と訳が添えられていた。

 

 

おそらくその飲酒は 特殊体験 だったのであろう。

 

でも、不味い という言葉も 

味に関する言葉もない。

 

しかも添えられた訳には 

元の英文には無い・概念・という単語すら登場している。

 

 

ニヤリ である。

 

 

 

 

 

表現って説明じゃないから。

 

不味いことを伝えるのが目的ではなく

 

伝えたいのではなく

 

不味いってのは キッカケの体験 でしかなく。

 

 

じゃあこの場合

コミュニケーションってなに?

っていえば

 

 

不味いという体験をきっかけに

 

その先にある

 

互いの 存在 に対する歓びの共鳴。

 

 

 

 

これが、会話のおもしろいところであり、

核心だとおもうのです。

 

 

 

 

表現力 ≧ コミュニケーション力

 

 

この場合

表現の目的って?

 

 

表現の精度

(事象の共有を目的とした表現。言葉の選択に対象把握の 正確さ を求めたもの。 その精度)

 

ではなく

 

表現の純度

(事象はあくまでもきっかけとした表現。 言葉の選択に各々自身の感覚を研ぎ澄まし リアルさ を求めたもの。 その純度)

 

 

 

わかり合うこと理解すること(共有)

 

 

わかち合うこと感じ入ること(共鳴)

 

は同義ではない。

 

 

伝える「正確さ」よりも 感じる「リアルさ」で。

 

 

そんなことを鮮やかに表現していた。

 

 

ニャニヤがとまらない。