庭木と言うのは人間の手が入っています。自然な感じにと言っても、無理矢理作った形や仕立てが庭木にはあって、自然な…にはならないものです。
写真をみると、スッキリして綺麗になった。と思いますよ。お客様も喜んでいます。
でもね、自然な、と言うのは庭木ににはありません。
山をみると、稜線のラインに飛び出た木はなく、綺麗に整っています。人の手がハイッタ訳でもなく、それこそ自然に形を整えている。
風なんです。
風が吹くと枝がなびくでしょう。延びた枝は強くなびく、揺れる。すると、折れるんです。そうやって、自分の輪郭を保って成長し、山全体の形となります。
スケールが大きいですよね。
庭と言う小さな空間に、生きている庭木と、山に生えている木では違う。庭の中で生きていくには、自然にやってくれている、枝の調整などを人の手でやらなければならない。その役割を担うのが我々庭師です。
庭の中で自然を想う。
そうやって、風に見立てて手でなびかせ揺らし、枝を調整します。それを剪定と言います。
輪郭だけではありません。風が通り日が入ることも必要です。山は自然の力で出来ますが、庭は人の手でやらないと風と光は入りらなくなってしまう。
庭木と人との共存を考えてお手入れをしなくてはいけないと思います。
単に形を整えるだけの植木屋さんでは寂しいです。そう言う人が多かった。庭木のことより、自分のこと。気持ちが入ってない。そう言う人と仕事してもツマラナイ。
ですから、僕は一人でコツコツ、庭木の人との共存を願って、それが、お互いの幸せを生むのだ。と信じてオテイレヲしています。
気持ちが違う。
刈り込みも機械は使いません。魂を込めた鋏、大鋏で気持ちを込める。
そう言うお仕事が庭師です。
気持ちを込めるのは整体もそうですね。やってくれと、自分の体を他人ごとのように扱う人が多い。そうじゃないとやって来たけど、なかなか伝わらなかった。
庭木は正直です。
今日も1人、庭木と話ながら剪定しております。ありがとうございます。