今回の「あやしい話」シリーズは、私自身の庭師としての人生がガラリと変わった、ある不思議な体験についてお話しします。 大正時代から続く立派なお屋敷、高さ7メートルを超える巨大な松。 そこで出会った90歳を超える不思議な老婦人から告げられた一言が、私のそれまでの苦労や経験、すべての意味を一つに繋いでくれました。 「あなたはこの庭をお手入れするために、庭師になったのね」

 

 

ひとりでにわしです。

 

北海道生活も残り一か月を切りました。北海道というところは不思議ですね!多くの移住者を迎え、それぞれの思いがこもっている大地だと感じます。

 

そんな中、横須賀のヒマラヤンベーカリーのご夫婦から、ご紹介をいただき、東川の【sonoまんま】さんを訪れました。9月に入って最初のお休みのことです。

 

ここ、北海道へ単身でおとずれ、知り合いもなく、仕事以外の人付き合いは無い中で、うれしい事でした。少しの会話に癒されました。クロワッサンをいただきましたが、とても美味しかった。また行こう!

 

 

 

パン屋さんを後にして、あることに気が付き、、、いや、思い出しました。

「いつものように二人分買ってしまう自分」

いつものようにとは??

 

 

自分の中でパンとは、「買って人に持っていくの」ととらえ、ちょっと違った視線で見つめています。

 

”パンは人にあげるもの“

 

何故そう思うようになったのかはわかりません。それは、

 

若いころ、ある女性にパンをあげましたところ、喜ぶというか、何かホッとしたその顔を見た時から、パンは買って持っていくものとなりました。

 

記憶が定かではありませんが、自分がパンを買って食べるとき、なぜか彼女の分も買っていました。そして、「パンあるよ」といつも渡していました。

 

今思えば、その女性はいつも悲しそうでした。なにかに迷っているというか、寂しそうというか、、、

もちろん、彼女でもないし、友達でもない、何も知りません。そういう関係性の中、パンを買うときは、彼女の分も買うという、自分でも何故そうしたのかはわかりませんが、そうしていた時期がありました。

 

ただ、仕事で会うだけ。それだけなのに、パンは彼女の分も買う。自分にとってごく当たり前のことでした。

 

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月日は流れ、その女性とは会うことはありません。どうしてるかな??それを思い出しました。

今でもパンは二人分買うのです。自分で食べる分だけでいいのに。

 

無意識の力が働いてそうしてしまう。結局は自分で食べるのですが、癖?習慣?わからない、、

 

サンドイッチを作っても毎回二人分。パンはどうして二人分??

パン屋さんは自分にとってそういうところで、パン屋に行くたびにあの人を思い出す。いったい誰だったのだろう。

 

不思議なパンのお話でした。

 

 

 

ひとりでにわしです。

 

53歳になりました。なったというほうが正解ですね、誕生日は4月ですから。

 

さて、北海道にいる私ですが、なぜ北海道なのか?という問いに、自分自身に向けているところであります。

 

言葉にするのは難しく、それをほかの人に話すことも、思いのほとんどを伝えきれずにいます。うちの家計は代々、秋田の上小阿仁という村で、林業、農家をやってきた一族です。

 

聞いて伝え継がれてるのは、ひいおじいさんの代で、北海道へ渡ったこと、そして当時南半分が日本の領土だった(サハリン)樺太に王子製紙の造材事業部として、畠山造材事業部を立ち上げたこと。など聞いております。

 

それを見ていた息子、おじいさんも樺太を目指します。北海道から樺太へ、、、

ところが戦後の混乱の中、樺太は日本ではなくなり、強制送還となるわけです。

 

父の代の時も北海道へ渡ります。超ド級の田舎の上小阿仁では、将来は決められていて、その中でしか生きていけない。そんな風習だったかはわかりませんが、父も北海道を目指しました。

 

高校が決まっていたのにも関わらず、北海道の大工の師匠の下、旅立っていきます。

 

そうやって、3代にわたって北海道へ行くことになったのですが、4代目の私も今現在、北海道で仕事をしている。

なにか運命めいたものを感じるわけです。

 

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そんな中、ある事件が起きました。

8月21日の作業中、関節が鳴るような「ポクっ」という音がして、右の腕に力が入らなくなった。不利な姿勢で木材を支えていたところに、思いがけない強い力がかかり、筋肉が耐えられず切れたということです。

 

本能というか直観で、何かが切れたことが分かった。この場合、激痛が走るのだが、以外にも平然を装うことができ、そのまま作業を続け、何事もなかったように家路についた。

 

意外と客観的に自身に起きたことを冷静に受け止めた。これで北海道は終わったなと。しかし、次の日も仕事はあり、その次の日は大事なイベントを控えており、そこまではやろうと決めると不思議と体は動いた。

 

そしてそのことを伝えるわけだが。

人間とは不思議なもので、やると決めたその時までは痛みを感じなかったのに、終わりが見えたころ、「そろそろ話さないと」思った瞬間に、右腕に激痛がはしる。

 

ちょっとの木材も持てないぐらいで、右腕は完全に機能しなくなっていた。それでも冷静だった。明日病院にいってみてもらう。ちょうどお休みに入るので、翌朝行ってみると、病院で待っている間、痛くてしょうがなくなる。

 

あれだけ、なんともなかったのに、“俺はけがをしたんだ”と認めたら急に痛みが出るようになるとは。人間の肉体は精神とは切っても切れないものがあると思った。

 

さて、症状は思った通りで「右上腕二頭筋長頭腱断裂」

烏口突起についている腱は無事で、二本あるうちの一本が切れてしまった。そのため、腕の力こぶの筋肉が落ちて、まるでポパイのように盛り上がる。ポパイサインというらしい。

 

現状は分かった。さて、これからどうするかだ。登山道整備は、力仕事が日必須で、時には60~70キロを背負う。もちろん持ち上げるといった、上腕二頭筋を使うシーンは多い。持ち上げることは、今シーズンは無理だ。しかし、他は元気だ、歩荷や巡視など歩くことはできる。はたして、私に仕事は残っているのか??

 

「これは終わったな」と自覚するとともに、これからどうしようか。借りてしまったレオパレスの満期まで、のんびり北海道を満喫しようか?などを考えている。

 

こうして起きたことに、悲しんでいる場合ではない。やけくそになったり、悲しんでいる時間ももったいない。50代というのは、残された時間を意識し始め、自分自身を見つめなす時だ。なので、前に進もう!

 

そんな精神状態の中、私が選んだのは「掃除」だった。朝、いつも以上に早く起きて、家じゅうを掃除して、清めて、深く呼吸する。ご飯もしっかり作って美味しくいただく。

 

そう、日常を整える。いつも通り生きることが大切なこと。そして、できる限り要らないものを捨ててみる。すると不思議と心は落ち着いて、冷静な判断でいられる。

 

【日常を整える】

これほど、簡単で、効果抜群の精神安定剤はないと思う。

ぜひ、みなさんも試していただきたい。

何か窮地に立たされた時ほど、これらを実践してみる。

 

なんてことはない、普段通りに生きればいい。その生き方を普段から実践する、生活の一部に取り入れるということ。

それがミニマリストという生き方ではないかと、今は思っています。

 

また、報告します。

 

では、

 

 

 

52になり、親父の死んだ歳に近づき、奇妙な焦り?みたいなものを感じています。

 

この間、いとこ6人、疎遠になっていた折に、おばさん(89歳)が亡くなって、久しぶりに会った。このタイミング、合わせてくれたとしか思えないものでした。

 

我々いとこ同士、秋田の出身。それぞれの父親はなぜか短命で、一番長く生きたうちの親父でさえ55歳という若さだ。その55歳に近づいている自分。

 

いとこたちは全員年上なので、それぞれの父親が死んだを歳を越え、ホッとしている傍ら「なんだかなー」という感情らしい。

 

ただ、その歳(父親が死んだ歳)が近づくにつれ、その様子を見てきた自分が、その歳になり、更にはその歳を越え生きている。

 

こんなに若くして亡くなったのか!

 

と、いまさらながらかわいそうというか、無念だったろうな、と思うわけです。

 

 

 

オレはというと、

はっきり言って「焦っています。」

 

55歳まであと3年しかない!年が変わるのであと2年か、、、という焦り。

 

別に55で死ぬと確定しているわけではないが、おのずと意識してしまうものなのです。

 

 

~~~~~

いとこそれぞれが、働くようになった歳ぐらいで自分の父親が死んで、社会とは?家族とは?がまだわからないまま死んでしまったその感情たるものは、否が応でも共有できるものだった。複雑です。

 

残るは俺だけなのです。

 

「もう大丈夫だよ。」といとこたちは言う。

 

自分たちもかなりの不安のなかその歳を迎え、越して過ごしてきたはずなのに、やはり他人事なのだろうか?

 

いや、少なくとも気持ちはわかる同士なのでそなあたりは、他の人がいう「大丈夫だよ」とは安心感が違う。

 

(本当は考えていた山に入る、山で働くということ)

 

 

これらのことから、残りの人生を、100年時代の人生観とは違う。

 

まずは55歳を、、、

 

と、どうしても意識してしまい、50歳を超えてから、

 

 

もうなりふり構ってはいられない!精一杯、今を生きよう

 

 

と、いやなことは一切やらず、わがままに生きてやる!と決意したのであります。

 

いやなことはすべてやめた!

本当にやめた。

いやだと思うやつとは縁を切り、

いやだと思うお客は切り、

団体も去り、

本当にやりたいことは何か?

を、本気になって自分自身に問い定め行動した。

 

「わかっているけれど、」という生ぬるい考えではなく、

それこそ必死に、すべて行動に起こしてきた。

 

 

立ち上げた「畠山庭園」は来年20周年。

よくつぶさずにやってこれたものだと思う。

 

その20周年に、かなりの思いを込めて、手拭を作ることにした。

思いを言葉にして、注染特岡で仕上げるつもり。

 

人の思いというものは、その人、その一族にしかわからないものがある。

 

自分の父親が死んだ歳を迎えるというものは、ある種の恐怖と焦りが付きまとうものだと今感じている。

 

弱気ではなく、強気でいるので平気だろうと高をくくっているが、内心はビビッているのです。

 

 

では、

 

 

 

 

 

畠山庭園です。

2026年の事業計画が出来上がりました。

 

 

下記に剪定する時期、つまり営業しているのはここですよ。

を載せます。

 

 

・1月 落葉樹の剪定、枝下ろし、枝透かし、松、マキ

・2月 落葉樹の剪定、枝下ろし、枝透かし、松、マキ

 

・5月 カイズカイブキ、生垣の刈込剪定

・6月 年2回の剪定時期

 

・10月 低木類刈込、夏伸びた枝の剪定、透かし剪定

・11月 年2回の剪定時期

 

年のうち6か月営業します。(限定月)

 

 

7,8,9月夏の間は暑すぎて、多くの樹木が枯れました。

夏期間はお休みです。

 

枯れてしまったサツキ

全滅してしまったところも

 

キャラボク

 

 

真夏の樹木を挟むとかえって負担です。

もはや、日本の夏はかつての夏とは違って、亜熱帯になってきましたね。

今年も多くの樹木が枯れました。草も伸びず、セミも、蚊もいませんでいた。

 

 

※7月~9月の三か月間は、北海道の大雪山で登山道整備の仕事をします。

 

※3月20日ごろから5月7日までは、新潟県の奥只見丸山スキー場の仕事。

 

 

 

一年中、営業するのではなく、時期に合わせた剪定をする専門業者として活動してまいります。

 

変則的ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

ハタケヤマ