昔のゲームセンターは恐ろしい場所だった | ひとりでにわし・庭師、整体師、スキーパトロール、圧雪、山小屋番、五足のワラジをはく男のブログ

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横須賀市の植木屋庭師 整体師、スキーパトロール、圧雪、山小屋番、畠山庭園のブログです。冬は奥只見スキー場で圧雪オペレーター、上国ではスキーパトロール、八ヶ岳で山小屋番。バイクが趣味でハヤブサ初期型、xsr900に乗っています。

お盆休みありがとうございました。

無事にお墓参りと庭木の手入れなど(やらされた)してきました。

 

たまたま同級生と食事をして昔話に花が咲いたのですが、我々40代、80年代を青春時代としたおっさんは、当時はやっていたゲームセンターについては、おそらく皆さん(40代のおっさん)もうなずけることが多いのではないでしょうか?

 

今日はそんなお話をしようかと思います。

 

80年代のゲームセンターとは

 

えらく恐ろしい場所でした。それでも行くのですから、当時のゲームの魅力は相当なもので、現代のイオンの中にあるゲームセンターのように明るく華やかな場所からは想像もつかないような、暗く、怪しく、そして恐ろしい場所だったのです。

 

テーブルゲームという長方形のゲーム機を、所狭しと並べたゲームセンターは、各町にあって、なかでも船橋市は北習志野にあった「タイトー」という名の巨大ゲームセンターが有名でした。

 

船橋の皆さん、ご存知ですか??

マックの二階、三階にあったあの安いゲームセンター。

 

大きいだけに各町からゲーム好きだけではなく、当時は各学校に必ずいた「不良」たちもわんさかいました。

 

暗く不良たちのたまり場として君臨していた80年代のゲームセンター

 

子供を対象としたビジネスなのに灰皿はおかしいだろ!

 

今考えれば突っ込みどころ満載のテーマパークですが、小学校では行ってないけない場所として、厳しく言われていました。

 

PTAや親御さんたちもパトロールしていて、見つかっては起こられて、学区以外の場所でも「どこの小学校!?」と先ずは聞かれます。学校に言うから!が捨て台詞で、それを振り切って走って逃げたものです。

 

当時は子供が多かったですから、行けば誰かに会えるという安心感も手伝って、みんな行ってっていましたね。

 

行けば誰かがいるという環境に、親に内緒で行くゲームセンターがとても魅力的でした。

 

中で売っている駄菓子、怪しいミニカップラーメン、ドクターペッパー、子供相手のビジネスは、居酒屋のとなり、駄菓子屋の外、本屋、掘立小屋、プレハブ、電源さえ取れればすぐに始められるので、同級生の家がゲームセンターという事もありました。

 

なので、同級生と会えばその話で盛り上がる訳です。

 

当たり前にあったカツアゲ。

目が合った合わないで喧嘩。(ガンつける)

並んでまでやった当時のゲーム。

50円玉を台の上に並べて順番待ちの暗黙のルール。

 

挙げればきりがない80年代ゲームセンターのルールも、40代のおっさんなら大抵知っているのではないでしょうか?

 

その中で私が当時好きだったゲームは。

 

ドルアーガの塔

 

アルゴスの戦士

 

ご存知、グラディウス

 

ムーンクレスタ

 

これは慣性の動きで当時としては斬新だったと思いますよ。

これがのちにファミコンで大ヒットした、スーパーマリオの海のシーンで使われています。

バルーンファイトがそのきっかけですが、ぼくはムーンクレスタが最初ではないかと個人的には考えています。(慣性系のゲームの元祖はエクセリオンだそうです。)

 

 

そして究極はダライアス。

このボックスの中に入ってプレイするシューティングゲームは、神曲と今でもファンが多いタイトーの大ヒットゲームです。

 

ウーハーの大音量とともに興奮しながらゲームします。このころは中学生だったとおもいます。

 

話が長くなるのでこの辺で。

 

ありがとうございます。