52になり、親父の死んだ歳に近づき、奇妙な焦り?みたいなものを感じています。

 

この間、いとこ6人、疎遠になっていた折に、おばさん(89歳)が亡くなって、久しぶりに会った。このタイミング、合わせてくれたとしか思えないものでした。

 

我々いとこ同士、秋田の出身。それぞれの父親はなぜか短命で、一番長く生きたうちの親父でさえ55歳という若さだ。その55歳に近づいている自分。

 

いとこたちは全員年上なので、それぞれの父親が死んだを歳を越え、ホッとしている傍ら「なんだかなー」という感情らしい。

 

ただ、その歳(父親が死んだ歳)が近づくにつれ、その様子を見てきた自分が、その歳になり、更にはその歳を越え生きている。

 

こんなに若くして亡くなったのか!

 

と、いまさらながらかわいそうというか、無念だったろうな、と思うわけです。

 

 

 

オレはというと、

はっきり言って「焦っています。」

 

55歳まであと3年しかない!年が変わるのであと2年か、、、という焦り。

 

別に55で死ぬと確定しているわけではないが、おのずと意識してしまうものなのです。

 

 

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いとこそれぞれが、働くようになった歳ぐらいで自分の父親が死んで、社会とは?家族とは?がまだわからないまま死んでしまったその感情たるものは、否が応でも共有できるものだった。複雑です。

 

残るは俺だけなのです。

 

「もう大丈夫だよ。」といとこたちは言う。

 

自分たちもかなりの不安のなかその歳を迎え、越して過ごしてきたはずなのに、やはり他人事なのだろうか?

 

いや、少なくとも気持ちはわかる同士なのでそなあたりは、他の人がいう「大丈夫だよ」とは安心感が違う。

 

(本当は考えていた山に入る、山で働くということ)

 

 

これらのことから、残りの人生を、100年時代の人生観とは違う。

 

まずは55歳を、、、

 

と、どうしても意識してしまい、50歳を超えてから、

 

 

もうなりふり構ってはいられない!精一杯、今を生きよう

 

 

と、いやなことは一切やらず、わがままに生きてやる!と決意したのであります。

 

いやなことはすべてやめた!

本当にやめた。

いやだと思うやつとは縁を切り、

いやだと思うお客は切り、

団体も去り、

本当にやりたいことは何か?

を、本気になって自分自身に問い定め行動した。

 

「わかっているけれど、」という生ぬるい考えではなく、

それこそ必死に、すべて行動に起こしてきた。

 

 

立ち上げた「畠山庭園」は来年20周年。

よくつぶさずにやってこれたものだと思う。

 

その20周年に、かなりの思いを込めて、手拭を作ることにした。

思いを言葉にして、注染特岡で仕上げるつもり。

 

人の思いというものは、その人、その一族にしかわからないものがある。

 

自分の父親が死んだ歳を迎えるというものは、ある種の恐怖と焦りが付きまとうものだと今感じている。

 

弱気ではなく、強気でいるので平気だろうと高をくくっているが、内心はビビッているのです。

 

 

では、

 

 

 

 

 

畠山庭園です。

2026年の事業計画が出来上がりました。

 

 

下記に剪定する時期、つまり営業しているのはここですよ。

を載せます。

 

 

・1月 落葉樹の剪定、枝下ろし、枝透かし、松、マキ

・2月 落葉樹の剪定、枝下ろし、枝透かし、松、マキ

 

・5月 カイズカイブキ、生垣の刈込剪定

・6月 年2回の剪定時期

 

・10月 低木類刈込、夏伸びた枝の剪定、透かし剪定

・11月 年2回の剪定時期

 

年のうち6か月営業します。(限定月)

 

 

7,8,9月夏の間は暑すぎて、多くの樹木が枯れました。

夏期間はお休みです。

 

枯れてしまったサツキ

全滅してしまったところも

 

キャラボク

 

 

真夏の樹木を挟むとかえって負担です。

もはや、日本の夏はかつての夏とは違って、亜熱帯になってきましたね。

今年も多くの樹木が枯れました。草も伸びず、セミも、蚊もいませんでいた。

 

 

※7月~9月の三か月間は、北海道の大雪山で登山道整備の仕事をします。

 

※3月20日ごろから5月7日までは、新潟県の奥只見丸山スキー場の仕事。

 

 

 

一年中、営業するのではなく、時期に合わせた剪定をする専門業者として活動してまいります。

 

変則的ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

ハタケヤマ

 

 

 

 

ひとりでにわしです。

 

働き方はいろいろあるけれど、「社員でなければならない」

「ちゃんとした仕事」などと、枠に当てはめようとする大人がいる中、俺は常にこの考え方に反発してきた。

 

先祖は秋田県上小阿仁村の林業(きこり)で、仕事を求めて樺太へ、北海道へと渡り歩いて、親父の代で千葉に来た。生粋の風来坊一族だ。

 

 

オヤジの話になるが、当時千葉県に冬の出稼ぎに来ていたらしい。

大工のオヤジは「これは、行ける!」と踏んだのか?

千葉へ移住を決意した。

 

それこそ、上小阿仁村の土地、山、田んぼを惜しげもなく売り払って、家族総出で出てきたわけだ。

 

そうして、仕事のあるところ、夢や希望のある所へと移り住んで今があるわけだが、俺はというと、千葉はとうに捨てて、新潟、長野と渡り歩いて今はなぜかヨコスカにいる。

 

そこで庭師を生業としているわけだが、庭師だけしているわけではない。

 

夏は北海道で登山道整備。(これは2025年から行き始めたので、来年契約できるかは未定だが行く気は満々。)

 

冬は奥只見丸山スキー場で、スキーパトロールと圧雪の仕事をしている。

 

庭師として活動しているのは一年のうち、半年ほどで、夏と冬は山仕事をしていることになる。

 

これは上小阿仁村の血か?はわからないが、なぜか山に行きたくなってしまう性分で、3年前から夏は山仕事とシフトした。

 

暑いから・・・

 

と人には言っているが、本当は山に行きたい、山にいたい、ただそれだけのことなのだ。

 

この感覚は人にいってもわからないだろうし、上小阿仁村の純血がそうさせているのかもわからない。

 

 

何が言いたいかと・・・

 

 

要するにだ、

社会人になって、大人とは、働くとは、「こういうものだ」と、どこか折り合いをつけて生きている。どこか、本当は・・・と思いながらほとんどの人はそうしているのではないか?。

 

本当のこと、本能に従ってというか、あなたのやりたいことは何ですか?

に本気になって応えて、それに向かって一生懸命に生きている人って少ない。

 

 

本当はやりたい!

そうできれば苦労しない。

皆そう言う。

 

やらないだけだと俺は思う。

 

できないだけか?

 

型にはまって生きる人生なんてつまらないだろう!

大人って、余計なアドバイスするけど、そのほとんどは枠やレールに当てはめようとする。つまらねー奴らばかりだった。

 

 

それは打破するがごとく反発して生きてきたわけだが、何が怖くてできないのか?

 

 

そのあたり、こういうやつもいる。というぐらいのつもりで、自分をさらけ出して生きている。SNSが便利だからあえて公表することで自分を慰めているのかもしれない。

本当は、俺だって怖いし勇気のいることなんだ。

 

安定とは程遠いい、季節労働という仕事。

 

庭師、山仕事、スキー場、

現在これらを季節ごとに、ヨコスカ、北海道、新潟を渡り歩いている。

 

それなのに家族もいる。こういうやつもいてもいいんじゃないか?

 

しかし実家はない。

友達もいない。

そういうものだからだ。

 

あなたはどう思う??

 

ありがとうございます。

 

 

北海道の大雪山で登山道整備の仕事はじめて、3回目の休みのことです。


寮で使っている清川のアパートで朝食を食べていると、窓ガラスに何かが当たる音がしたのです。


すぐにベランダに出ると、窓の下で一羽のアオゲラがうずくまっています。


ガラスに目の前の白樺の木が綺麗に映っていて、そのまま突っ込んでしまったのです。







目をパチクリしながら、脳震盪を起こしたのか、フラフラしているようにも見えました。
8月18日の朝のことです。

助けたいと思いながらもどうしていいのか?
わかりません。

とりあえず見守る事しかできず、気にかけながら時々様子を見ることに。

同時に目をパチパチさせて、目を回しているその姿に、何故か感動を覚えたのも事実です。


さて、このシーンどこかで?、、

デジャブだろうか、

何故か知っている。

何故だろう?



そう、この本

【旅をする木】

つい先日まで「旅をする本」だと思っていた
こちらの本

久々に読み返してみると、俺が知っているそのシーンがここにあったのです




【旅をする木】
32ページになります。

まさに北海道に渡って、18日目の朝に体験した、一羽の鳥の衝突事件

どこかで知っているような気が、、
それはこの本に書いてあった記憶がそうさせていたのでしょう。

そして、木を本と勘違いしていたことに気が付いて、なんとなく読み返していた今、

北海道で経験したアオゲラの衝突と重なった

引き寄せなのか?
呼び寄せ?

多くのことは偶然であり、運命であると
いや、必然なのかも知れない。

人と人が出会う確率は、0.025%だという

だからこそ出会いや、人との関係は大切にしたいと思うわけだ

そうそう、アオゲは朝食を食べ終わり、コーヒーを飲んでいる頃、忽然と消えていました。

強さと脆さの秘めている自然とは?
何故か引かれるのも、その脆さからかも知れません。

いくら確率が低い人との出会いといえど、嫌なやつからは、100%の確率で俺は逃げますけどね

では、





お疲れ様です。

 

毎日大変ですよね。何かと、、

 


映画の話をしようと思います。

 

映画という非日常は、日常を忘れさせてくれるし、憧れや、希望、

そうだな、目標みたいなものも時には与えてくれるし、何より好きになるということの方が多いかもしれない。

 

この二つの映画は、アメリカと日本、時代背景もかなり違うけれど、一つ

 

コーヒー

 

喫茶店

 

という共通点があって、俺はこの映画を見てコーヒーが好きになったし、二つ目の日本の映画に関しては、最近のおしゃれなカフェという空間に行きたくなる映画だ。

 

一つ目は「天使のくれた時間」

 

2001年公開の映画、あらすじは割愛するが、もしもあの時、、、こうしていたら今頃どうなっていたのだろう?という物語。

 

「コーヒーを飲もう!」

そして、かけがいのない時間を二人で過ごす。

二人で夕方まで話して過ごす時間って素敵じゃないですか?

 

この映画を観て、缶コーヒーで過ごしていた当時森林組合の俺は、一気にコーヒーが好きになって、山のあちこちでコーヒーを飲むようになった。

そして喫茶店にあこがれたものだった。

 




 

二つ目は「アナログ」です。

2023年10月の映画。ちょうど今から二年前です。

 

二宮くん推しのおれは、彼の作品は観るようにしているのだけど、この映画、美味しそうなシーンが結構あって、なかでも待ち合わせのピアノが(カフェのことね)がとっても素敵で、こんな待ち合わせ、いいなーと思うわけです。

 

そして、やっぱりコーヒー。

 

二人で会ってコーヒーを飲みながら話す時間。

 

同じ時間でもこういう時間って、本当に素敵だと思います。

 

いつまでも話をしてずっといる。

 

どうしょうもないない時間ではない、

素晴らしい時間って、こういうことではないかと。

 

時は待ってくれないけれど、時は経つわけです。

どう過ごすかはあなた次第だけど、どこで、誰とが、もっとも重要だと、

 

喫茶店、カフェで、素敵なあなたと、というのがピッタリなシーンが出てくる映画なので、そいういう目線で観てみるといいかもしれない。

 

ある種の先入観を持って映画に臨むと、楽しくなりますよ。原作読んだり、評論家の話を聞いてからなどなど、、

 

コーヒーという一つのテーマが組み込まれている素晴らしい作品なので、ぜひ!

 

では、