身内制度としての株式持ち合い慣行 | 日本の構造と世界の最適化

日本の構造と世界の最適化

戦後システムの老朽化といまだ見えぬ「新しい世界」。
古いシステムが自ら自己改革することなどできず、
いっそ「破綻」させ「やむなく転換」させるのが現実的か。


身内制度=株式持合い


株式持ち合いは、自動車メーカとタイヤメーカが相互に株式を持ち合いような形態である。相手の株式高配当など求めない。戦後の安定経営乗っ取り防止に寄与してきたことは確かではある。
東証・斉藤社長、株式持ち合いに厳しい見方(日テレNEWS24)
株式持ち合いとは

高度成長期には、この持ち合いはプラスの相乗効果がある。誰かの躍進はあなたのバランスシートの改善・好調にもつながっていく。たまたまあなたの営業が振るわなくても、資産が膨れるので営業不調が会社にダメージを与える程度を緩和することができる。


しかし景気後退期には必要以上に全体が後退する。あなたの営業には問題ないのに持ち合い株が下落するとバランスシートが悪化する。こうして悪いときはみんな悪くなる。誰かが失敗してもビクともしないというわけではない。


バブル崩壊は、この株式持ち合いによって傷が深くなった。株式持ち合いは逆に「含み損」となってしまったからである。しかし株式持ち合いについて解消を義務化するような規制は今のところないようだ。


経団連等財界はこうした株式持ち合いを肯定的に見ているが、彼らが「自由資本主義」ではなく「身内番頭主義」の擁護者であることは確かだ。


■「資本の死蔵」を招く慣行

株式持ち合いの弊害は「資本の死蔵」である。

「リターンを求めない投資」がサラリーマン経営陣によって決定され、巨額の株式がこうして保身保険して使われてしまう。生産に投入されることなく、サラリーマン社長の保身保険として使われてしまう。


やろうと思えばグループ内で過半数の株式を持ち合うことだって可能となる。また、新株を無償交換する方式であれば、現金を一切使わずに双方の資本が膨らむことになる(実態のない資本)。持ち合い株が多数を占めた場合、犠牲になるのは現金を出資した既存株主権である。


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*ただし1981年の商法改正で総株式1/4以上の相互保有株式の議決権行使が禁止された


        番頭 > 資本家


    この国で搾取されてきたのは資本家である


日本に莫大な金融資産のストックがありながら設備投資が伸びず、経済が低迷している一因として、こうした「閉じた構造」があり資本のムダ使いがある。


「閉じた」というは雰囲気だけではなく、れっきとした資本構造の問題でもあるということだ。


これは縄文時代から続いてきた日本文化などではない。戦後創られたサラリーマン企業システムである。
*戦前の財閥システムはこれとは異なり、財閥家・財閥銀行を頂点としたピラミッド型の株式支配構造であり部外者が入るスキがなかった


社外取締役の問題


日本の上場企業の7割近くは社外取締役ゼロであり、会社の取引先やOBが役員を占める形態である。


取締役会は、事業部代表が占めているような形態で、これでは当然、トップのリーダーシップによる不採算事業の廃止などできない。さながら会社民主主義である。


社外取締役はガバナンス徹底のために欧米でも導入されてきているが、そもそも土壌が異なる。もともと欧米の取締役会は、社長=船長・株主=出資者(船主)という歴史が根付いている。


日本の場合、社外取締役の人材は不足している。生涯一社主義のサラリーマン社会において、当然に幹部・役員クラスにも流動性はない。それゆえ都合よく外部者を見つけるのも難しい。

壊れゆく日本企業が再生するために
Olympian depths(2012/11/03エコノミスト)

エコノミスト紙は、日本の身内的経営を批判しながらも、社外取締役のいない会社の方が株式リターの点では優秀であることも指摘している。ガバナンスがしっかりしていることの金銭的意味は、損害賠償のリスクの問題でしかないかもしれない。


いずれにしても、社外取締役という方法論はあまり日本では機能しないようだ。


だからといってみんな身内では、チェック機能が不在で、そもそも暴走を止める手段も歯止めもないことになってしまう。「これは会社ぐるみか?」という報道があったりするが、そもそもほぼ会社ぐるみで動いているハズである。


犯罪でもそうだが、みんなが共犯の罪を背負うとき、その結束は強固なものとなる。それが本音であろう。


もちろん「自己責任だ死ねこのヤロー」というのは身内外の人間に対する言葉であって、身内への責任追及は極めて甘いことが数々の法人事件から散見されるのである。クビにしたあと密かに雇いなおしたりとか。



閉じた社会は成長するか


「うおおお身内コネ社会サイコー!」というのが日本人の本音であるとしか思えない構造なのである

オリンパス事件で露呈した「開かれた社会」の中の閉じた日本企業(Newsweek)


オリンパス事件は、全世界的ニュースになった。おかげで、日本企業には優秀な欧米人幹部はもう入社しようとはしないだろう。「ふん!いらないさ」と言っているのは、そもそも幹部ではない層のサラリーマンである。


しかしプロ野球で低迷を続けるチームがあった場合に、監督や選手の総入れ替えがあったとしても日本人は何の違和感も感じない。「監督やめさせろ!」「もっと優秀な選手で補強しろ!」と叫ぶ。伝統的な相撲ですら、外国人力士があふれている。

サッカー岡田監督批判/今からでも監督代えろ/親善試合(日刊スポーツ)


企業もプロ野球と実質はそう変わらない。ダメ監督がいたり、ダメ事業部があったりする。


日本企業社会でだけ、「外国人お断り」というのも変な話だ。また成績が低迷しているのに監督と選手(社長と社員)を絶対守ろうとするのもおかしい。


産業構造が流動的であるなら、新興企業ゾンビ企業を滅ぼして新しい構造を作っていく。実際、戦前システム」を壊して成り上がり新興企業がどんどん台頭していったのは戦後の高度成長であった。花形であった石炭・紡績・造船を押しのけて新興産業が新しい時代を作った。


しかしバブル崩壊以降、日本ではベンチャーなどと呼ばれても実質下請の企業はあっても、戦後大御所を叩き潰すほどの勢いは弱い。政治家も産業人も「戦後型システム=戦後レジーム」を必死で守ろうとしている。年老いたサラリーマンも成長期の約束(年金等)の維持に固執している。かくして若者のチャンスを奪っていく社会となっている。


リフレという魔法で、硬直化した産業構造にはメスを入れずに、低迷基調が打開できると信じている者も多すぎるようだ。
*電力業界には大惨事という事実もあり、新規参入促進などわずかに活性化の希望がないでもない

こうした株式持ち合いにより、業績が悪くても役員入れ替えという事態が阻止されるし、総会屋すら使って株主総会を無意味化することでもサラリーマン社長は守られてきた。さながら番頭の力が資本家より強い社会である。