利益を出したがらない資本主義 | 日本の構造と世界の最適化

日本の構造と世界の最適化

戦後システムの老朽化といまだ見えぬ「新しい世界」。
古いシステムが自ら自己改革することなどできず、
いっそ「破綻」させ「やむなく転換」させるのが現実的か。


利益を出したがらなかった日本企業


■株主の出資リターン
アメリカ企業経営者のプレゼン資料や欧米産業ニュースでは、「1株○○セントの利益をもたらした」などと株主利益増大・配当可能性の増大が盛んにアピールされている。「セントかよ!」と日本人なら思ってしまうではないか。
マイクロソフト、純益一株あたり45セント(2010/04/22 dailyfinance.com)

日本ではそういう報道は少ない。


日本の経営はむしろ「経常利益」の良さをアピールする。なぜなら銀行は融資にあたっては「経常利益」に着目する。これは日米の、間接金融重視直接金融重視の違いから生じるものだろう。
融資審査で一番重視される利益(中小企業の運転資金)
   

  銀行主体(経常利益の重視)←→ 株主主体(純益の重視)


営業収支が好調でも、株主へのリターンが大きいとは限らない。逆に、純益黒字でも、営業収支が悪ければ先々は不安である。欧米では株主のリターンが日本より強調されているといえよう。


会社は誰の何のために活動しているのか?という根源的問題とも関連する。


現金を流出しないこと


戦後の日本企業経営において、できるだけ「現金を流出しないこと」が実践されてきた。それは制度もあいまってのことである。



■額面株式制度と簿価土地の含み益
日本企業も株式募集による直接調達(直接金融)を行ってきた。


日本の構造と世界の最適化 ただし発行価額に「額面株式制度」という規制が2001年まであった。だが経済成長期では、昔決めた「額面」は割安なものであった。市場を介さず額面割当てで株式をもらえる仲間達には割安に新株を与え「含み益」を保証するものとなった。この仕組みを、経営者がうまく活用しないわけがなかった。株主も、配当などより新株割当ての「含み益」で満足であった。


 額面株式の発行 → 含み益の保証 
             → 株式持合いが割安に強化できる


こうして日本の経営者は、市場に悩まされずに経営者同士の相互保証が可能となった。だがバブル崩壊にいたるまでにバランスシート上も大きな変遷があった。
・1950年まで:額面株式の発行総額=資本金額(株券の発行額基準)
・1950年:無額面株式の導入(ただし最低発行価額などに制限あり)
・1981年から:株式の発行価額の総額=資本金額(株券の発行額基準)
・2001年:額面制度廃止・出資金額=資本金額(株式と資本の関係遮断)
*株式価値は市場化し、資本金は元手という原則になった


日本の不動産バブルにも、不動産の「含み益」が貢献している。


だが、経済成長とインフレ傾向の日本にあって、簿外「含み益」の活用は戦後の経営慣行でもあった。経営者は、イザというとき「含み益」ある資産売却により現金を獲得できた。


また、地価高騰などを見て将来の「含み益」をあてにした担保融資も積極的に行われた。短期的リターンを軽視して大胆な長期的投資を行うが、経済成長によって取り返せる。それは右肩上がりの成長を続ける戦後の常識であったし、実はこれも戦後の日本経済の成功の一因だった。

*地価や株価の暴落がはじまると、この経営慣行は壮大な悲劇を招くことになる。誰もが「含み益」の活用に手を染めていた。「含み損」は不良債権と化した。

*簿外での細工が大きい経済は不健全であろう

*復興経済による「上向き」が永遠に続くという前提である

*しかし70年代頃から少子化など日本経済の骨格は変質しつつあった


■低配当と節税に走ってきた日本企業
カネを出すならリターンを求めるものである。

企業に投下するカネは浄財か?企業は政治家か?政治家ですら利益団体にリターンを返すことについては真剣そのものだというのに。


銀行からカネをもらえば、負債として計上される。ところが株式を通じてカネをもらえば負債ではない。じゃあ返す義務のないカネか?配当というリターンを返す必要がある。だから銀行預金よりリターンがないと出資の合理性はない。
*バブル期の日本企業の平均配当利回りは0.4%程度 ←→バブル期の銀行預金の金利5%
*そして低配当の慣行は、株式の売買差益の追求に傾き、株式バブルをもたらすことになった。

*つまり日本バブル経済は、資本家のリターンの追求をする資本主義ではなかった


ところが日本の会社同士の株式持合いは、高配当の必要性をなくし、社内現金の流出を防いできた。自動車メーカとタイヤメーカが株式を持ち合うとき、資本主義的リターンをお互い求めていない。出資利益よりも生産重視である。株式持合いでは、配当があっても相殺されて意味がない。つまり資本が「富の死蔵」すなわちサラリーマン経営者らの相互保証の保険となった。
配当性向(利益のうち配当分)75%(1975年)→ 31%(1991年)
高株価経営も「含み益」を利害関係者に保証するものであった

*生産を最重視する体制こそが「1940年体制」(軍需型経済)の根本だともいえる


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配当を減らせば現金流出を防げる。

それはサラリーマン社長の地位を保障し、終身雇用を支援し、事業の長期的存続を助けるものと肯定されてきた。現金をできるだけ社内に残すという意味では、税理士などが指南してくれる節税も同じである。また研究開発費も日本では全額費用計上であったので、利益減らしに貢献してきた。そうすると業績が悪いときは研究開発への投資も停滞する。

*だが、会社への出資も財産信託のようなものであり、「リターンが少なくてよい」という開き直りは会社事業が出資者より偉い国家的存在であり雇用の箱だという、非資本主義的発想であった

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■税金前払い主義の弊害として
国家の税金債権があらゆる債権者に優先するがごとき日本税制は、「繰延税金資産の処理」などの税金前払いの処理を認めてきた。費用計上に厳格で利益を大目に計上しなければならず国が取りすぎたら後で返すという。
一週間程度で利益を減らすためにはどうすればよいのでしょうか?(教えて!goo)
税金債権は登記せずとも先取特権として優先権も持つ


源泉徴収も「税金前払い」思想の最たるものである。こんなものに慣れ親しんで当たり前のものと思っていはいけない。国家が債権者として最優先されるのは「国家主義」なのだ。

*源泉徴収は軍国化のためにまずナチス・ドイツで生み出された


弱い取引先には、現金以外の方法で払ってしばらく凌げるかもしれない。


しかし、国家に対しては常に現金で払わなければならない。現金は固定されておらず、企業を循環・流動している。ならば納税資料となる決算で、持って行かれる現金を少なめにしたくなるのも人情である。


だから日本企業は「純益」の多さを誇らしげに語らない。だが、経営者が「利益減らし」に一生懸命になっている資本主義は異常ともいえる。


国際会計基準は「税金後払い」主義だが、それは企業の投資活動の積極化を促すともされる(大目に費用計上でき、少なめに払う、取りこぼしあれば後で納税する)。国際会計基準の妥当性はともかく、経済低迷が続く日本において、企業活動が活発となるよう企業会計と法人税制がもっと収斂していくべきだろう。

*法人税を下げるというより、零細と大手の法人税を一元化し、企業会計と税制を一体化していくべきだ


まっとうな自由資本主義=利益を生もうとする競争をつくるようにすべきだ。利益を少なめにし、経営者と社員が自己保存を図ろうとする日本的資本主義は、バブル崩壊とその後の「失われた10年」で、もはや有効でないのが実証されてしまっている。